たった一つだけ魔法が使えるなら「自分の性格を変えてください」そう願い続けた青春時代〜「わたし」が「わたし」を愛せるようになるまでの4015日(2)〜
こんにちは、pieni(ピエニ)です。「わたし」が「わたし」を愛せるようになるまでの4015日シリーズ第2章を書かせていただきます。
※第1章はこちら
みなさんは子どもの頃、どんなテレビアニメを見ていましたか?
私は魔法少女ものが大好きで、リメイク版の魔法使いサリーちゃんやひみつのアッコちゃん、魔法のアイドル パステルユーミ(知ってます?知っていたら同年代!)を見て、まねっこして遊んでいました。
ステッキを祖父母におねだりして買ってもらって、実は私は魔法使いなんだと自分だけの世界を心の中に描いたり。
思い起こせば今も続く私の想像、妄想好きの性格はここから始まっていたのだと記事を書きながら気が付きました……。
前置きが長くなりましたが…思春期に入ったころにはさすがに魔法は使えないと分かっていました。でも、もし何か奇跡がおこって、たったひとつだけ魔法が使えたとしたら、お金持ちになりたいでもなく、ゲームやCDやバッグが欲しいでもなく、とにかく「性格を変えてください」それを切に望んでいました。
この願いは20代が終わるころまでずっと続くことになります。タイトルとは真逆、全くもって自分を愛すことなんてできず、もがいていた時のお話です。
保育園時代の記憶と目立ちたがり屋小学生
子どものころの記憶をさかのぼったとき、どこまで思い出すことができますか?
わたしは一番古いもので3歳ごろの記憶があります。
なので、保育園年長さん頃の記憶は結構残っていて、同級生の友達に「よう覚えてるな~」と驚かれることもしばしば。
お菓子屋の長女に生まれた私は、祖父母も父母も自営業で家にいたこともあり、保育園は周りより遅く年中から入園しました。とにかく家族と離れてご飯を食べたり遊んだするのが嫌で、ピアノの後ろに隠れて長い間泣きじゃくっていた記憶があります。
お泊り保育の時、長時間家族と離れ友達と過ごすという体験をした朝、みんんで朝ごはんを食べていた時に急に悟った記憶があります。
「私はお友達と上手にお話しできない。なんだか悲しい。」
誰かに何かを言われたのかもしれませんが、こんな気持ちに包まれた時の光景はいまも、ワンシーンとして思い出すことができます。
小学生になると、勉強が好きだったこともあり、だんだんと「目立ちたい」という気持ちが湧いてきました。
高学年になると児童会の役員に立候補してみたり、音楽会などは極力目立つパートの楽器を選んでみたりと自己表現にひたすら取り組んでいたように思います。
そのころは、「あれ?わたし結構いけてる子ちゃう?ヒトと話すのも好きちゃう?」という希望なのか勘違いなのか分からない感情を持ちつつ、それなりに楽しく過ごしていました。
しかし、中学生になったときその楽しさはたった一言によって、崩れていくのでした。
「あいつ暗い奴やな」の一言におびえた中学生時代
中学1年生、思春期を迎えるこの時期にそのあとの人生に関わるような体験をした人も多いかもしれません。
私にも忘れられない、20代後半まで引きずってしまった一言に出会います。
小学生のころ仲が良かった友達とクラスが別れてしまい、不安はあったものの小学生のころの性格で生活していたら大丈夫だろうと思っていたある日のこと。
自習の時間、周りにお話しできる子がいなかったので普通に勉強していたら、後ろからちょっとやんちゃな男の子の声が聞こえてきました。
「あいつ暗い奴やな」
えッ!と思いました。私のことじゃないだろうと思いたかったのですが、明らかに「あの人、小谷さんっていうらしいで」とほかの男子の声……(pieniの旧姓は小谷です)。
背中がさーっと冷たくなりました。
だって知っていたのです。当時クラスであんまり話さない、一人でいがち、まじめで暗い奴認定された子は、だんだんハブられることを。
ある意味器用だった私は、すぐに自習勉強をやめて、なんとか話せそうな女の子のところへ行った記憶があります。
その日から「あいつ暗い奴」認定を何とか払拭するため、話題もないのに女子の輪に入る努力を始めました。
これが苦しかった~。何か話さなきゃと思っているがために、何を話したらいいか分からなくて、無理やり話題を絞りだそうとするから消耗する。
ニコニコ楽しそうにしてるけれど、心の中は常に緊張臨戦態勢。
制服のリボンタイをチョーク入れに隠されていた日なんて、どう取り繕っても顔ひきつる、でも仲良くしておかないと暗い奴認定される。なんて辛い日を過ごしたこともありました。
当時書いていた日記の悲しいこと。
「明日が来なければいいのに、このまま時間が止まってしまえばいいのに、神様私の性格を明るい性格に変えてほしい」
そんなことが毎週、休日の夜に綴られています。
もちろん部活や仲の良かった幼馴染といるときは楽しいこともたくさんありました。
ひどいいじめにあっていたわけでもありません。
ただ……暗い奴認定の呪いから逃れるために、空気を読んで自分じゃない私を演じることに心が消耗していた中学生時代でした。
「私がいるから場が盛り上がらないんだ」にとらわれた高校・大学生時代
中学生時代に掴んでしまった「誰かと話しておかないと、仲間の輪に入っておかないと暗い奴認定されてしまう」という怯えは、高校生や大学生になっても続きました。
今の仕事や行動から見ても、おそらく私は結構な頻度で「ひとり」になったり、「ひとり」で楽しむことが上手で好き、そして心を正常に保つのに必要なんだと思います。
学生時代ってこの「ひとり」が難しかった。
誰かといなければ、友達と登下校しなければ……。一人でいたら嫌われる。
これにとらわれて、仲間に入ろうとするけれど「次は何を話したらいいかな?何を話したら場の空気を崩さないかな」と古いパソコンのロード時間のようにくるくる頭の中で回路が回り続けていました。
お酒が飲めるようになってからは、酔いに任せると楽なことを覚え、とにかく飲む!を実践していました。いつの間にか私はお酒好き酒豪というイメージが付いていましたが、ごめん実はお酒あんまり好きじゃない。お酒なくても話せるようになった今は、飲めるけどほとんど飲まない。
大学生の時に入っていたサークルもサークルのメンバーも大好きでしたが、困ったのは何を話したらいいんだろう病に襲われること。
特にご飯会に誘われた時なんかは緊張マックス。移動する車の中で話が弾まないときは、「あぁ私がいるせいだ。私がこの場にいるから車内がシーンとしているよ……。」と、ひっそり手に汗をかいていることが多かったです。
だんだんとご飯会に参加することが怖くて断っていると今度は「ノリ悪いな」とぼそりと言われたことに怯え、ノリとは?ノリよく生きるには?を必死に考える時期もありました。
こんなこと話したことないから、当時の友達はびっくりするかな~……。
「腹黒い」は「できる女」だと思っていた勘違い社会人
22歳で就職した後、言い方は悪いですが、受けよく演じることは中学生時代から得意だったので、どうしたら嫌われにくいか、どうしたら仕事しやすいか、どうしたら輪に入れるかは社会人になってからも研究し続け、実践していました。
もちろん、本当に楽しかった仕事や先輩や同期とのやりとりもあります。
でも時々「pieniちゃんって腹黒いよな~」と言われることがありました。
当時の私は、これ誉め言葉だと思っていました。本気で。
Aサイドにも、Bサイドにもいい顔しながら、天秤にかけるように自分が嫌われないように、上手くいくように片方を落とす発言してみたり…。
それが世の中をうまく渡る術なのだと思っていました。
腹黒いといわれるほど、私できる女やんと勘違いしていた自分の姿を思い出すと、今は顔から火が出るほど恥ずかしい。嫌な女だっただろうな~。
ただ、これが100%悪いことではないと思います。こういった生き方もあるかもしれません。けれど、どこか自分の心の奥底で、何かが違うというのは常に感じていたような気がします。
メガトンパンチからの人生立て直しターン突入
社会人になったころには自分の本当の気持ちを押し殺す癖がついていたり、嫌われたくないからとにかく嫌われない方法をとろうなどと、自分のなかで嘘をつく習慣がついていました。
学生時代まではそれでも何とかなっていましたが、仕事に支障が現れだしました。
小さな仕事はなんとか進めることができていましたが、段々責任が出てきて大きめの仕事を任された時、どう考えても自分にはできそうにないと思っている仕事を、できないと言って嫌われたり怒られたりしたくないがゆえに「できます」「やります」と言ってしまう。
どうやるか道筋がまったく見えてないのに、誰かに相談することもせず、停めてしまう。
結果は……散々。
取引先へ部長が謝りに行く事態が2回ほど発生。やると言っていた期限にふたを開けてみたら何も進んでいない……。
後で言われたのですが、周りも私にどう助け舟をだしたらいいか、分からないくらいだったと……。
ミスがミスを呼び、だんだん何をしたらいいか、どこから手をつけたらいいか分からなくなっていき、一人会社で朝まで過ごしていることもありました……。
そんな時、とどめの一言が舞い降りてきました。
「自分(あなた)はいつも顔はにこにこしているけれど、本当は自分のことばっかりで、周りや、相手のこと、人のことを大切やと思ってへんやろ」
この一言はずっしりと全身に重く響きました。
尊敬していた人から言われた言葉だったのと、なにより薄々自分の中で気が付いていた部分。私は「嫌われたくない」それが何よりも重要で、そのほかの人、仕事のことは二の次、別にどうだっていいと思っている……。
そこが一番嫌な部分、魔法で変えて欲しいと願っていた嫌いな性格の部分だったからだと思います。
ポケモン世代の私からいうと「メガトンパンチ」とどめの一発(一言)でした。
この日から、足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚に陥り、思考回路がプツリと切れてしまったようで、出社はしてもパソコンに向かっているだけ、最終的にはトイレにこもっているという状態に。
見かねた先輩が、たぶん心の病気になってる気がするから病院に行っておいでと言ってくれ、よくわからないまま行ってみると診断は「鬱」。
その時は、ドラマや漫画の世界の病気になったんだ…という何とも言えない情けない感情に支配されていました。
この後は散々でした。
あまりよく覚えていない部分もあるのですが、休職中に車にはねられたり、気が付いたら100万円の借金が発生していたり……。
よく戻ってこれた、よかったと今は思いますが、思い出すとちょっとぞっとします。
休職明け、会社の人に家までお迎えに来てもらったり、在宅ワークにしてもらったりと様々手は尽くしてもらいましたが、どうやって自分が立っていたかが分からず、なにを軸として生きたらいいのかも分からず、最終的には退職することにしました。
よく鬱の時を「暗いトンネルにいる状態」なんて表したりしますが、私の場合はぼんやり薄黒い霧の中に一人で立っていて、立ってはいるけれど地面がぐにゃぐにゃで心もとなく、気を緩めるとずんずん沼に引きずり込まれるような不安定な気持ちでした。
実家に帰り、しばらく何もせずにいたのですが、何も仕事をしないという状態がものすごく恐ろしく、ダメ人間に感じられアルバイトを探すようになりました。
もちろん、メンタルがぐにゃぐにゃな面は隠し通して。
(でも実際のところ雇ってくれた方にはバレバレだったかもしれませんが…)
このバイト先での出会いが私の人生を変えます。
雇ってもらえたバイト先では、面白いイベントをされていました。
占いやヒーリングのお仕事の方を集めた「スピリチュアルフェスタ」という取り組み。
ここで、私は黒い霧の中で道を照らして脱出させてくれ、ぐにゃぐにゃになった私自身を再生する方法を教えてくれる人と出会うことになったのです。
pieniの人生立て直しターンへ突入!その話はまた次回へ。
Text by pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)