死は生の原点であり、最終地点。かあちゃんにとっての「エラマ」とは
こんにちは、あいすかです。
みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
約1か月ぶりのお手紙ですね。この1か月、幸せと死について、感じたり、振り返ったり、体験する日々を送っていました。
偶然にも、エラマプロジェクトの代表 石原侑美さんのインタビュー記事が公開された時期とも重なっていたんです。
だから今回の手紙では、かあちゃん自身が、いま考えているエラマ=Elämä(フィンランド語で人生、生き方、命の意)について、みなさんに共有させてもらい、一緒に考えてもらえたらと思って書きます。
かあちゃんに少しだけ、お付き合いくださいませ。
先輩との突然の別れ。実感がわかない現在(いま)
6月中旬の或る日、かあちゃんの夫さんが、電話を受けた後、暗い顔をして言いました。
「Aさんが亡くなったらしい。昨日、犬の散歩中に事故にあったらしい。……」
かあちゃんは、悪い冗談だと思いました。
Aさんは、前職の先輩で、10年前のかあちゃんの結婚式では司会までしてくれた元気いっぱいの太陽のような人でした。
インターハイにも出場されたほど、スポーツが得意な方でした。
体力も凄くあったし、熱を出したこともないほどお元気だった。
コロナ前までは毎年2回くらい飲みに行っていて、その席では、ご自身と同じようにスポーツで活躍されている息子さんの成長を嬉しそうに話されていたことが、昨日のように思い出されます。
30代から60代までの飲み仲間のなかで、死から一番縁遠いと、みんなが思っていた先輩が先に逝ってしまったんです。
もちろん、ご家族のことを思うと、言葉にもなりません。
このコロナ禍で、感染拡大と同時に私たち人類全員が死に対する恐怖を少なからず感じて過ごしてきました。
死は本当に突然やってくるのです。
先輩も自分が突然この世から居なくなるなんて、思ってもいなかったはずです。
正直、今のかあちゃんは信じたくないという感情も、悲しいという感情も、何も湧いてこないのです。
無の感情ってこんな感じなのか、と思いました。
ゆみさんの記事で、フィンランド語のElämä(エラマ)人生、生き方、命という意味について触れてありました。
生きるということが日常のなかにあるという話もそうですが、死に対する距離感の話もでてきて、この数日、かあちゃんの頭の中はそのことでいっぱいでした。
現実から遠ざかって、非日常をふわふわと過ごしていました。
このエラマの言葉の意味を、自分の身体の中に落とし込もうとしていたのかもしれません。
そして、同時にもうひとつの死のエピソードについて、毎日のように思い出してしまうのでした。
実父との時を刻みながらの覚悟と別れ
ちょうど1年半前、2019年のクリスマスにかあちゃんの実父はこの世を去りました。
まだ60代でした。自宅で商売をしていたので、まだまだ働き盛りでした。
病名は、肝臓癌。たちの悪い進行性で、体調不良の症状が出てきたときには既にほとんどの内臓に癌は転移していました。
余命宣告されたものの、抗がん剤などの治療をスタートして数か月間は、本人も痛みを感じないほど至って元気そうに過ごしていました。
かあちゃんも、少なくとも月に1回は飛行機で瀬戸内の実家へ子ども2人を引き連れて帰省しました。
できるだけ父に会いたかったし、孫の顔もいっぱいみせてあげたかった。
6月末の余命宣告から9月末までは普通に過ごしていたけど、でも、身体の中は既にボロボロだったんですよね。
10月には急に自分で立つことができなくなって、11月には寝たきりになって、12月には話すのもやっと。
父の最期の時をみんなが感じていました。
それでも、本人は弱音も吐かず、ずっとそばで泣きそうになっている母に
「くよくよするな、なるようにしかならん」と、その時を受け止めているかのようでした。
いつも通り、ジョークを言っては家族を笑わせていました。
自分のことより、そばで看病している妻の体調や今後のことばかり気にかけていました。
父が緩和病棟へ入り、最期が近づく数日前、神様も意地悪です。
息子がインフルエンザになり、実家でかあちゃんは息子と二人で隔離生活となってしまったんです。
明日、明後日が山かもしれないのに、直接会えない。
病院で寝泊まりしている母からの電話で、語りかけに頷くしかできない父とかあちゃんは毎日会話をしました。
その日、電話口でいつものように父に話しかけていた時、横で母が「お父さん、息してない、先生呼んでくる」と。
それでも、かあちゃんは電話口で話し続けました。たぶん聞こえていると思ったから。
「明日には病院行けるから、待っててね」
それが、最期の会話。
直接会えなかったけど、父本人が最期に聞いた声が、娘、かあちゃんの声だったんです。
そう思うと、ありがたくて、嬉しくなるんですよ。
父が亡くなって、通夜と葬儀の準備をしているとき、息子のインフルエンザ隔離生活が終わった矢先に、今度は長女が高熱を出し、原因不明の病気で入院しました。
いろんなことが重なりすぎて、茫然でした。
でも、父との最期のお別れです。
最初、夫と義理両親が娘のそばについていてくれたので、かあちゃんはお通夜に出ようとしました。
娘が父の通夜にでるのは当たり前だと思っていたから。
でも、この状況をみて、父だったら何ていうだろう、って考えたんです。
そして、わたしはどうしたいのだろうって。
答えはひとつ。娘のところへ飛んでいきたい。
実母と兄弟に心の内を伝えたら、すんなりオッケーを出してくれました。
父なら孫のほうへ行けというはずだから、通夜は出なくていいって言ってくれて。
翌日の家族葬には少し離れた娘が入院する病院から向かいました。
父とも、ちゃんとお別れできました。
そして、ありがとうって伝えました。
葬儀もね、家族や近親者のみの家族葬にしたので、不謹慎だけど、とーーっても笑いの絶えない葬儀だったんですよ。
父の人柄、生き方、生きざま、ですね。
寂しさよりも感謝しかない現在(いま)
それから、父が亡くなったことを知ったご近所さん、仕事関係者、昔からのお友達が毎日自宅にご挨拶に来てくれて、そんな生活が2か月以上も続きました。(笑)
母はひとりで寂しい思いをするどころか、毎日お客さん対応に追われていたそうです。
これも、父が、ひとりになった母を寂しくさせないように段取りしてくれてたのかもしれません。
亡くなって、死んでしまってからも、父の器の大きさ、周りの人たちから愛されていたこと、知らない父の一面もいろんな方から教えていただきました。
かあちゃん自身、寂しさより、本当に感謝しかない。
父のことを思い出すたびに笑えるし、嬉しい気持ちになります。
そして、いつも父がそばにいてくれるって感じるんです。
ゆっくりと、死を感じながら、懸命に生きることを教えてくれた父との話。はじめて話しました。
長くなってしまい、ごめんなさい。
ちなみに、娘の病気も原因がわかり、3週間ほど入院しましたが、早期治療のおかげで、いまではすっかり元気になり、スポ根テニス少女になっております。
幸せは「死合わせ」であり中庸そのもの
人はみんな、死に関わる出来事に必ず遭遇します。
若いときにそばにいる人たちの死を経験する人もいるだろうし、かあちゃんみたいに大人になって経験する人もいる。
死は決してネガティブなことではなくて、極論を言えば私たちの人生の最終地点、ゴールなんですよね。
みんな、そこに向かっていまを生きているんです。
いつだったか、「幸せ」をスマホで変換したときなぜか「死合わせ」って出てきたことがありました。
そのときは、えっ!!って思いましたけど、スマホもうまいこと変換してきたなぁって、今だったらそう思えます。(笑)
まさに、そのとおりなんですよね。
死があるから生きるということ感じられる。
そして、生きていることを感じられるってことが幸せなんだなって。
生と死は真逆なものでもなくて、プラスマイナスでもなくて、まんなかの中庸。
生と死の間に振り子はないんじゃないかな。
かあちゃんはそう思います。
かあちゃんにとって、エラマ(人生、生き方、命)は、愛おしい存在です。
エラマ本来の意味に加えて、生と死を包摂した中庸そのもののようにも感じています。
今回はちょっとふわふわしたお手紙になっていますね。(笑)
ごめんなさい。
だけど、いま、ちょっと落ち込んでいたり、何か目標がみつからないって感じている人がいたら、かあちゃんの老婆心だと思って聞いてください。
みんな、生きていてくれて、ありがとーーーー💛
Text by Äiskä あいすか(Cheer up girls★かあちゃんライター)