他者と自分の関係
こんにちは、Eラボです。
研修クリエイターをやりつつ、マインド学者として世の中の事象をマインドの法則で分析しています。とにかく創作が好きな人です。
この間こんなことを考えていたのですよ。
生きていると、人から裏切られたりマイナスの経験を積むこと、誰だってありますよね。そして知らず知らずのうちに「他人って信用出来ない」そんな思い込みを作っていました。
でも気がついたのです。そんな思い込みのせいで他人を近寄せないようにしていることに。
元々、友達たくさんより少数の親友を大事にする主義だけど、なんせ裏切られたり、人間不信になる経験が多かったので「出来るだけ他人と関わらない主義」になっていました。
この事実に気づいた時、こう自分に問うてみました。
神様はなぜそんな経験を私にさせたのだろう?
なぜならすべての経験は必要だから私たちに与えられるから。
で、話を戻しますと、なぜ神様がそんな経験をさせたかというと、きっと本当の意味での「自立」をさせたかったのだと思います。
もともと、周りの目ばかりを気にしている子でした。親の目、友達の目、先生の目…そして、それが窮屈で「孤独」を愛するようになった。これは一重に他人の目が怖かったのです。孤独は寂しいけど、他人の目から自分を守ることができた。私にとっては、他人の目よりも孤独の方が心地よかった。
そんな私にさらに人間不信にさせるような経験が与えられたのは、「もう一段階進め」のメッセージだったのだと思います。何をもう一段階進めなのか?人生の歩みを止めて、この重要なメッセージを解いてみました。
そのメッセージから見えてきたもの。それは、他人の目=他人の評価を私は怖がっていたのです。なぜ怖いのか。それは他人の評価に自分の価値を委ねているから。他人の評価によって自分の価値が左右されるとなれば、そりゃ他人の目が怖くなりますよね。本人、そんな気はさらさら無いけど、深層心理でそう考えているのです。
例えば、SNSのいいねの数=自分の投稿の価値だとされたら?SNSが辛くなりますよね。友達の称賛の数によって自分の価値が左右されたら?友達の顔色を伺うようになりますよね。
そっか、だから私はSNSもぶっちゃけ嫌いだし、友人も少ない方がいいと考えるようになったのか。SNSや友達付き合いって面倒臭いと思うのはそのせい。納得です。
これは無意識の表面化、深層心理の表面化です。そんな裏の自分に気付いたので、アップデートしてみました。
そもそも自分の価値に他人は関係ない。「他人の中で自分を見出す」なんてどこかの小難しいことばかり言っている心理学者が言ってたけど、あれには注意が必要。それは他人との違いは個性であり優劣ではないということ。自分の存在価値は自分自身の目で見出すものです。他人の中で自分を測るべからず。
自分の価値を神のような大いなる存在に委ねるのならまだしも、他人に委ねるものではない。さらに言えば自分をコントロールできるのは自分のみ。他人にコントロールされるようなものではない。
では他人とは何か?
一言で言ってしまえば単にこの世に共に存在するエネルギー。言い換えれば地球上の分子仲間のようなものです。縁があって出会う人もいれば出会わない人もいる。でもたとえ出会っていない人であっても地球上の仲間なのです。
では健全な共存とは?
たとえ仲間でも依存しあうと、途端に窮屈になります。健全に共存するには、それぞれが自立していること。他人は他人、自分は自分。何度も言いますが、他人の中で自分を測るべからず。自分の価値は自分が決めればいい。これが真の自立です。
この考えを徹底すると、この世は仲間の分子がたくさんいて、その中で自分も一分子として生きているのだと、世界が変わって見えてきます。
信用できる人、できない人、そんなこともひっくるめて。世の中には色々な分子がいて当たり前。そもそも信用できない人であっても、自身には何ら問題ないことに気づこう。それ相応に対応すればいいだけの話なのだから。
最後まで読んでいただき有難うございました。