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生きようとする盲目的な意思が備わっている

世界の奥底には生きたいとする根源的な意思がある。


人体

目があるから見たいと思うし、手があるから手を使いたいと思う訳で、足があるから足を使いたいと思う訳だ、これはあらゆる生物には予め備わっている意思が存在すると考えて自然だ。

元々備わっているのだからその意思は用意されたものであって、ある種そこに自由意思は存在せず、生まれた瞬間からこれをしたいあれをしたいと欲求が高まっていく。


見聞き

見たい聞きたい読みたいという欲求はその目があるから、その耳があるから、その口があるから。読み書きという欲求は言語を覚える前から用意されていて、それを覚えたいのは世界の意思として人間という生物が根底としてあるからだ。


生きている意味は存在しない

あらゆる欲求は世界の意思によって決定されている、それは生物に備わっている機能、一見してその欲求を叶えることが生物としての意味のように見えて、人は生まれて死んでいく過程にその欲求が高まっていくだけであって、生物を残していくことが意味であるならそこにゴールが存在しないことからも、生きている意味というのは存在しない。

それは生きようとする盲目的な意思である。


したいという意思が形を持って表現されている

植物は葉があるから光合成をしたい、猫は髭があるからその空間を把握したい、植物に葉があるのは『それを使いなさい』と生物として形作られているから、猫の髭がセンサーの役割を持っているというのは『それを使いなさい』と生物として形作られているから。

もしその機能が存在しないならそれを欲しない訳であって、更にはその選択は生まれる前に行うことは出来ないから、世界からその意思が生まれている。

その機能を途中で無くせばその機能を欲するし、周りがその機能を持っているからその欲求が高まっていく、予め全ての人間に目が無いのなら誰も欲しがらない。

そうしてそこに差別化がされてその欲求が高まっているだけだ。


欲しくない機能

もし自身の身体、生殖器に違和感があるとして、その機能はいらないとするにしても結局のところ他の生殖器を欲する。無いことによって有を欲しがる、それは他にその機能があるから欲求となるし、互いにその機能が無ければ違和感すら発生しない。


目的やゴールが存在しない

生物は必ず死ぬのだから死がゴールなのだとすれば生きている理由が無くなってしまう、では何故生きているのかというと、この世界には生きようとする盲目的な意思があるから、その目は私やあなたの意思で存在していないし、その脳は私やあなたの意思で存在していない。

生まれたから生きている、その機能があるから使っている、ただそれだけのこと。死にたくないと思うのも生きているからであって、生きれるというその機能が世界の意思である。

生きたいというのは自由意思のように見えて、その意思は機能として予め用意されたから使っているだけだ。


人間

動物ならただ生きるだけでもその自然界での生活で良しと自身を肯定出来るだろうが、ここまで人類の脳や機能の使い方が多様に増えてしまってはどうしたって目的が欲しくなってしまう。

何処かにゴールがあると盲目的に信じざるを得ないから何かしらに注力したいとしているだけであって、それも自身の意思ではなくその予め用意された機能から欲している。

どうしたってそうなるのだからと考えれば多少の重みは取れるし、かといって無気力になってしまうから自死という選択も生まれた訳だ。

これは生物全体にもいえる、実は人だけで無く動物でさえ自死を選択することがある。


猫の自殺

自死というのは自然とは真逆だと感じるだろうがそうでもない、猫であっても自死を選択する。それは生きている機能があるからこそ死にたいという欲求が増えるからだ。

ある猫が両前足を失い、人に飼われていた、その猫はそこで楽しく暮らしていたのだが、孤独であろうからと気を遣った人間が新たに別の猫を飼い始めた。

そうしてその前足の無い猫に悲劇が訪れる。

他の猫と自分とを比べて劣等感を覚えては、食欲が低下し、無気力になり、そうして自分の腹を裂けて血が噴き出る程に噛みちぎったり、高い位置から飛び降りたりするようになった。猫は人間の2歳から3歳程度の知能だというが、これは人間でも2~3歳から自殺は意識できるという意味でもある。

この悲劇の猫が取った行動は"デストルドー"と呼ばれる破滅衝動だ。

・フロイトが明確にしたかった自死の理由
「死の欲動」の概念を展開する前のフロイトは、「愛する者の死を願う」といった両価的感情を伴う殺害願望から自殺を説明しようとした。つまり「攻撃性(Aggression)」の内向という解釈であるが、この時点では説自体は「生の欲動」の従属的位置にとどまる。一方彼の「破壊性(Destruction)」という言葉も混乱を招きやすかった。

▲Wikipediaから抜粋。

結局フロイトを含む数々の後継者であっても自死について明確に定義付けられなかったが、結局のところこれも自由意志では無く、生きているという機能があるからそこに死にたいという欲求が生まれるのであって、その機能は予め世界が用意しているに過ぎない。

そもそもがそこに自由意志があるとしているから矛盾が生まれるのであって、その根底にあるのは世界の意思が形を持って表現されているからだ。

あらゆる生物にその機能が形を持っている、人には目があるし耳がある、手があるし足がある、心臓があるし脳がある、それは自分の意思では無い、自身が成形したのではなく、世界が意思を持ってその形として表現されているだけだ。

欲望は無限に生じてきて、それが満たされればまた新たに欲するだけで終わりは存在しない、そもそもが生きている理由が存在しないのだから。

そのあらゆる欲求も、生きているのも死にたいとするのも、果てはその殺意も、それはただの盲目的な意思である。

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