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小説「実在人間、架空人間」第二十二話

 ここでふと松葉を見ると悲しげにハクを見ている、心配した様子で本を開いてはハクに話しかけたり「ハクは何も悪いことしてへんよ」としきりに励ましていた。そうこうする内にガクもハクも松葉も他愛の無い談笑をし、時に笑顔を浮かべては冗談を言い合ったりしていた。

「ガクは普段何して遊んでるん?」

「格ゲーかなぁ」

「格ゲーなら何でもやるいう感じ?」

「うん、基本的に自由な時間はそんなに無いから、普段練習ばっかでやになっちゃうし、ずっと会える友達も移動することが多くて少ないから、大体は友達とネット対戦したり通話したりして遊んでる」

「だからガクは私より成績が悪いんだ」

 そう言って笑いながらハクはポケットから採取してきた木苺を、ひょいと投げ入れるようにひとつ口の中に入れた。

「何だよ、いいじゃんか別に、たまにゲームするぐらいさ」

「たまにだって、あはは毎日やってるじゃん」

「うるさいなー」

「ハクめっちゃ辛辣しんらつやん、こわー」

 そうして三人は笑いあった。

 このやり取りを見ていた杉原が、聞こえるようにわざとらしく深く溜め息をつく、その嫌味を込めた溜め息は周りに聞こえはしたが、その笑い声にかき消されていた。

「ちょっと、そこの三人さん、楽しい楽しいお話の途中だけど、いいかしら?」

 少しの間を置いて杉原が続ける、その間は皆が警戒し、杉原自身も警戒されていると感じているから声にしたに違いなかった。

「今はね、そんな話をしている場合じゃないの、そうこうしている間にも時間は過ぎていってるの、このままだと私も巻き添えになって死んでしまうわ、少しは人のことを考えたらどう?」

「ええやん別に、こういう会話から何かわかるかもしれんねんから、それが無駄やって決め付けることもできんやん」

 案外松葉の考えは悪くない。

 油断は隙を生むから、こういう談笑からその油断を誘ってボロが出ることもあるだろう、何故なら架空側は時間を目一杯使いたいから、その違和感を実在側がキャッチできる可能性が広がることもある、その違和感からボロボロとほころびが次々に出て、それが連鎖するように特定することがのちに良いように繋がることもあるだろう、このゲーム性であればまったくの無意味であると談笑そのもの全てを否定することは難しい。

 何より知能は架空側が有利と確定している事実から、それに対抗するには不確定な要素から発生すると考えれば、松葉の言っていることは悪くない発想だ。

「無駄に決まってるじゃない馬鹿ね、無駄は無駄でしかないの、時間は有限、こんな単純なこともわからないからそうやって呑気に笑っていられるのよ」

 杉原が言うのもやはり正しい。

 時間は有限であるから有益に使うことは望ましい事だ、ましてこの二時間という限られた状況であれば尚更だ。しかし、談笑を無駄と考えるのは何も始まらず、何も展開しない。現状知れることが少ないのだから情報が増えたと考える事もまた正しい。

 そうして有限な時間を有効に使いたいと願ってここからおおよそ予測される展開は『投票』だろう。

 投票のパラドックス。

 仮にA、B、Cがいたとして、そこに10票の投票権があったとする、そうして投票の結果、Aに4票、Bに3票、Cに3票となった場合、一見して数値的にAが最もらしく見えるが、ここでさらに追加で不人気投票を行ったとする。

その結果、Aに6票、Bに4票、Cに0票となった場合は、一番人気だった筈のAは一番不人気という結果となり、むしろ票という数値に置き換えれば、人気投票では4票、不人気投票では6票となり、数的に見てもおかしく、最も良く無いものが良いという矛盾が生まれてしまう。

 Aに興味が無いBとCはAに不人気投票の際にAに投票したから、Bの3票、Cの3票がAに移った訳だ、そうしてAは不人気投票で一番の票を得てしまう、そうしてAはライバルであるBに対して投票する為にAの4票がBに流れることになる。

 では票を1票ずつ何人でも投票すれば良いと考えればどうか。

 投票者がA、B、Cに対してその対象に1票を何票でも投票できるシステム。例えばAとBに1票ずつ、あるいはAとBとCに一票ずつ、あるいはAに対してだけ1票、といった具合に気になっている対象に対して票を入れることができるというもの。

 ここで仮に従来通り1票ずつ多数決のような形でAに6票、Bに0票、Cに4票となっていた場合、Aの6票の者達は複数に投票できるならライバルであるCには投票しないとしてBに投票する。Cの4票の者はAには投票しないがBに投票する可能性がある、よってA6票、B10票、C4票となって一番不人気だった者が1位となり、この割合になる可能性がある。

 またしても一番不人気な者が一番支持されてしまうという結果になってしまった。

 順位点投票。

 1位に3点、2位に2点、3位に1点と点数をつけて割り振るというもの。

 一見して良さそうに感じるこの投票方法も平等にならず、パラドックスが発生する可能性があることから皆が望むような結果にならない。AとBとCに対して投票が均等に入った場合に必ずパラドックスが発生する。

 まずAの支持者がAに3点を入れる、次にBの支持者がBに3点を入れる、次にCの支持者がCに3点を入れる。

 この時点でA3点、B3点、C3点。

 AはライバルであるCを嫌っているからBに2点、CはライバルであるAを嫌っているからBに2点、そうしてBの支持者がどちらでも良いとしてAに2点入れたとする。

 ここではA5点、B7点、C3点となる。

 次にAはライバルであるCを嫌っているからCに1点、CはライバルであるAを嫌っているからAに1点、BはどちらでもいいからとCに1点を入れた。

 A6点、B7点、C5点。

 こうしてBが一番人気、Aが二番人気、Cが最下位となった。

 これで平等な票となったように見えるが更にこれを同様に均等に投票を続けるとどうなるか。

 A支持者はCに1点、C支持者はAに1点、B支持者はAに1~2点あるいはCに1~2点を均等に投票する、BはAもCもどちらもライバルであるから均等になる。

 つまりは次の投票ではB支持者はBに3点、Cに対して2点を入れてAに1点を入れることになる。A支持者はAに3点Bに2点Cに1点、C支持者も同様にCに3点Bに2点Aに1点と票を入れる。

 前回と同様に計算していくと2回目の投票は以下のようになる。

 3点の行方は、
 A6点に+3=9点。
 B7点に+3=10点。
 C5点に+3=8点。

 2点の行方は、
 A9点±0=9点。
 B10点に2+2=14点。
 C8点に+2=10点。

 1点の行方は、
 A9点に+1+1=11点。
 B14点に±0=14点。
 C10点に+1=11点。

 投票結果はA11点、B14点、C11点となる。

 これはBの投票によってAが2着になったりCが2着になったりAとCが同率となることを意味する。

 勝ち抜き戦投票。

 勝ち抜き戦投票とはA、B、CがいるとしてAとBが争い、続いてその勝者がCと対決する。

 例えば投票出来る権利のある者が全体で100人いたとして、まずAとBで投票を行った場合に以下のような結果となったとする。

 A51票。

 B49票。

 こうしてAが勝利したとして続いてCと対決することになるが、Bに投票した者は諦めて次回の投票に参加しない可能性がある、そうなると残った全体の投票数は51票となる。

 そうしてAとCが対決すると以下のようになった。

 A25票。

 C26票。

 こうしてAがまた脱落する、といった具合に投票する率が下がることで公平になりずらい。

 この時、Cの支持者は26名いてAにも多少支持していたが、数値だけを見ると前回の投票ではAを支持していたとなりAが51票だったのに、Cの支持者は実質26名しか存在しないにも関わらず、Cが最も支持されているという結果となってしまう。

 しかし実際はBの支持者は49名いる、Bが一番人気であるにも関わらずBが最も不人気であるという矛盾が発生する。

 元を辿ればAが最も数値として大きい筈だがそうもならない。

 更にいえばそのBの支持者の中にはAに対して多少支持していた者が存在していた場合に、Aの支持者が実質25名なのにBの支持者がAに対して多少の支持者が+2名でもいれば一位であったCが最下位となるという結果にもなってしまう。

 この時、数値上ではこうなっている。

 実際の支持者の数の割合。

 A支持者25名。(+Cから26名)+B支持者2名。
『実質の数値は最下位なのに1位にも2位にもなり得る』

 B支持者49名。(-次点でAを支持する2名)
『数値としては1位、ある種2位でもあるのに結果は最下位。この時点で49名は諦めて次の投票には参加せず、その49名の内Aを次点で2名だけ支持しているB支持者がいたが、その2名も諦めたので次の投票には参加しなかった』

 C支持者26名、この26名は次点でAを支持している。
『実質の数値は2位、最下位でもあるのに勝者はC』

 1対1での投票というのは投票をする手間もあって、何度も投票を行うからこそ面倒であるとなりこういった偏りを持つ要因をつくってしまう。

 かといって投票を義務付けて参加しない者には違反として罰金などの刑罰を適用させたとしても、諦めた人間の行動はときに理に適っていない行動を取ることも考えられる。

 それは私は俺はBを応援していたのだから"Aに対して敗北感を味わった"として"嫌がらせ"と称してまったく支持していないCに投票する可能性があるということ。

 総当たり投票。

 候補者全員に対して1対1で投票を行う方式を指す。

 A、B、Cと分かれていたとしてAとBでまずは投票を行い、次にAとCとで投票を行う。BならAとCそれぞれと1対1で投票を行い、同様にCならAとBそれぞれと1対1で投票を行う。

 勝ち抜き戦投票と同様に投票出来る権利のある者が全体で100人いたとして、まずAとBで投票を行った場合に以下のような結果となったとする。

 A51票。

 B49票。

 勝ち抜き戦投票と同様にAが勝利したとして続いてCと対決することになるが、やはりここでもBに投票した者は諦めて次回の投票に参加しない可能性がある、つまり残った全体の投票数は51票となる。

 そうしてAとCが対決すると以下のようになった。

 A25票。

 C26票。

 こうしてAがまた脱落する、といった具合に投票する率が下がることで公平になりずらいことは同様に起こりえるだろう。

 ここでその反省点を生かして中間発表を行ったとする、その数値を公表する訳だがその公表する時期をいつ行うかによって人の心理は変化する。

 初めの段階から公表するとすれば拮抗しているとしてBはAの足を引っ張るようになる、そうなれば本来公表しなかった場合であった以下の数値、

 A25票。

 C26票。

 この数値が激変する。

 BはAに対して敗北したので嫌がらせとしてCに投票する、そうなると次のような数値となる。

 A25票。

 C75票。

 こうなる訳だが、この中に愉快犯が存在したとする。

 Aは嫌いでBを支持していたがどうでも良いとしてAに投票する、これが満場一致したとすればこうなる。

 A74票。

 C26票。

 ここまで偏らないにしても、その愉快犯によって僅差でAが勝った場合、つまり以下のようになった場合、

 A51票。

 C49票。

 といった数値となるが、BはすでにAに負けているのだからAに数値として敵う訳も無く、Aを嫌っているBによってCが足を引っ張られるという事態が発生しAが勝者となる。

 勿論、逆のパターンもあるのだから、

 A49票。

 B51票。

 となることもあるだろう。

 このようにそのどれもが正確性という観点から考えて曖昧さの回避はできないとされている。現在では全ての投票方法を使用して正確性を上げる方法を取っている国もある。しかし、その方法も全てにおいて公平とはいい難く、経済学者ケネス・アローによって三者以上の投票は数学的に満場一致でしか成立しないとされた。

 満場一致のパラッドクス。

 印象の自動操作。

 現状杉原の印象は最悪だ、自ずと満場一致で杉原が架空側として吊るし上げられ投票されるだろう、では杉原が実在側だった場合、この満場一致は自身のチームの首を絞めているのと同義だ。人には偏見というものがある、その体調、その経験、その体験、その印象、この思い込みは数値を生み、その数値に支配されて印象が自動で操作される。

 このゲームのルール上、この世界の銃でしか架空側を殺せないのだから、実在側の数の減少は今この状況だとその銃も消費されてますます不利になってしまう。杉原にはどうにかその対象を間違えずに銃を使用して欲しいし、使用に限りがある一発という縛りがこちらの戦力として一度だって無駄にしたくない、無駄にすればする程に実在側の戦力の低下に繋がってしまう。

 満場一致の愚者。

 満場一致は余程の例外が無い限り、事実上明らかな選択の場合のみ成立するとされるがどうか。

 リンゴが1個とオレンジが3個あって、リンゴはどれかと聞かれれば満場一致でリンゴとなるし疑いようもないが、極論であるとして、回答者全員の知能が相当に低くて、全員がオレンジを指差してリンゴとする状況も否定できない。一見妙だがそういう状況になることもあり、回答者もそうだが質問者の知能も影響し、その質問者もその回答を『これがオレンジだ』としてリンゴを提示してしまうこともある。

 これは支配者がそうしむけることもできる、よって知能の差は不利益にもなる、その支配者が突如戦争を始めるかもしれない。その戦争は理に適っているかもしれないが皆がそれを望むとも限らず、支配者がそこに誘導して皆を信じ込ませることも出来てしまう。これは知能で劣る側はそこに自ら飛び込む事もあるということ、知能が高いことで皆との知能の差によって望んでいない結果となることもあるということ、まして勝手に自滅することもあるということ。

 このように投票というシステムは何処かに矛盾が発生することもあり、こちらを立たせてもあちらが立たず、圧倒的な不人気な者が1位を獲得したり、人気であった筈の者が一番の不人気になることもあり、こと投票というのは数値的に見ても印象で見ても必ず公平さを生むものと断言できない。

 もっといえば正しいとされているものが望むものとも限らない、架空陣営の術中にはまっているだけとも考えれる。

 コイントス。

 では運否天賦、つまりコイントスのようなものに頼ってはどうか。

 ある意味では平等だが、例えばとんでもない悪行ばかりする者も同等に扱われるというものでもあるし、かといって最善の選択にもなり得る、これは実在側と架空側の両陣営含めての話でもある。実在側の愚者はときに味方さえも巻き込む、その愚者が勝利目前まで生き延びたとして架空側に勝てるかといえば知能で劣る愚者にまず勝ち目は無いだろう。

 これは無作為に銃を撃つようなもので、生き残ったなら良し、そうでないなら負け、しかしこれは偏りが発生する可能性もあり、平等であって正解じゃない。

 コイントスは時間があと残り僅かとなってからでしか機能しないだろう、敗北濃厚な状況で唯一残された苦肉の策、投票を公平にするには運に頼ることになるが、そこに公平さはあっても必勝でもなければ理に適っても無い。

 運は必勝では無い。

 かといって公平に見える投票もまた危うい。

 よって時間を有限とする過ぎる考えは、一見効率的に見えて不効率、知能で劣る我々実在側は、実を知ってきょを取る方法が望ましい、であるから松葉の意見は案外正しいんだ。

 それは談笑、それを知り、その事実から虚を取る、逃げられない状況は相手側に取って避けれない状況だ、その虚を突くには情報が欲しい、知能は相手側に理があるが、その知能の差は圧倒的とまでいかない、よって虚は生まれやすいと考えて自然だ。

 それは不効率な事、虚が生まれやすい状況というのは一見して相手に有利に働いている時に発生するもの、よって談笑が一番不効率で効率が良い、今はその談笑でさえも情報の不足を補う時間であると割り切るしかない。

 しかしこれも運の一種だ。

 コイントスよりはまだましだろうがやはり不確定要素でしかない。

 つまりは現状は実在側が圧倒的に劣勢だということだ。

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