小説「実在人間、架空人間」第四話
空洞?
言っている意味が良く理解できない。
「空洞とはどういう事だ?」
「この天井な、どういう理屈でそうなってるんか知らんねんけど、無いんよ」
「無い?」
「そうや、無い」
「それはどういう……」
松葉が「まあ、見といてや」と言うと、徐に椅子を七脚テーブルの上に次々と乗せていった。続いて松葉がテーブルの上にのぼり、そうして三脚の椅子をテーブル上で横に並べ、その三脚ある椅子の座席部分に二脚の椅子を乗せ、さらにその二脚ある椅子の上に一脚の椅子を置いて丁度ピラミッドのような形にした。余った一脚の椅子を手に取りそのままピラミッドの頂上へゆっくりと向かった。
「口で説明するより……」
そこで話を区切って一脚の椅子を抱えた状態でテーブルに乗せられた椅子のピラミッドの頂上に立った。
「実際目で見て確認した方が、ええおもてな」
よっと、と言いながら、抱えていた椅子を両腕で天井に突き出した。上に突き出された椅子は、天井にぶつかる事も無く吸い込まれたように通り抜ける。
「言うてる意味、分かってくれたか?」
何て事だ、これを理解できていないが、彼の言った『空洞』であるという言葉も、この現状も理解できる。理解できない事を理解した矛盾が、今、目の前で起きている。
ガリレオは『自然の書物は数学の言語によって書かれている』という言葉を残した。彼の生きた時代は、宗教の教えが全ての答えであり、聖書に神の言葉が全て書かれていると、世界もそれに従っているんだと、そう信じられていた。
「……おーい、柊さーん、分かったー?」
そんな当時、ガリレオの言葉は異端だった。
私達には『他者の物を本人の承諾無しで取ってはならない』『商品を購入したらレジに表示されている代金を支払う』といった様々なルールがあって、それを知るには回りの人々がしているのを見ていれば、自然と身につく。これは人が定めたもので、基本の定義として『人がやられたら嫌な事を、法で縛ろう』の統計である。
「なー、柊さーん」
地球は自転と公転を繰り返していて、日は昇り、下る。自然界にも様々なルールがある。しかし、100回繰り返して同一でも、101回目で違えば、証明になっても答えにはならない。したがって、事象の答えを数式というしっかりとした定理で導き出す必要があったのだ。
「おーい」
目の前で起きているのは立体映像か?
だとしても、部屋の中から映し出している様子も無いし、では外側から……。
「……柊さん、柊さん」
私の服の腕の裾部分を引っ張り、伊東が何やら話しかけて来た。
「あ、伊東か、どうした?」
「松葉さんがさっきからずっと呼んでますよ」
「そうか」
それを聞いて私は、天井に向けていた視点を松葉の顔に向けた。
「柊のアホー!」
な……。
「いきなり何だ、失礼だぞ」
「失礼なんはあんたやー、聞こえてるんなら無視すなー!」
そう言って松葉は「結局やり損かーい……」と誰に言うでも無く声に出し、椅子から降り、不機嫌な様子でこちらへと向かってくる。
「あんたほんまなんやねん、実際見せた方がわかりやすいやろなおもて、椅子持ち上げてたら無視て、新しいボケか何かか?」
「あ、いや、悪かった」
「……はぁ、もー、まあええわ」
そういって眼鏡のブリッジを押し上げた。
「見てて分かったと思うけど、天井だけ何かスカスカやねん」
「それは理解した、しかし、外がどうなっているのかが気になるな」
少しの間が空く。
「実はな、もう確認してんねんそれ」
「え」
「ガクを肩に乗せて、さっき外の様子見てもらったんや」
恐らくガクを肩に立たせた当人が、先程のように椅子に立った状態でガクに見せたのだろう。
「詳しくはガクに聞いてな」
すぐ側に居たガクが話始めた。
「本当にここ変だよ」
「まあ、そうだな、外も変なのか」
「うん、最初に見た時は木がいっぱいあって、森だった」
「最初?」
「そうだよ、最初、一番初めに見た時ね」
「あ、いや、それは分かる、その言い方だと何度も見ている素振りだが……」
「二回目に見た時はね、滅茶苦茶暑い砂だらけの砂漠だったんだ」
「それはどういう……」
「えーっとやな、最初は森やったから、皆で相談して、助けも来るか分からんし、食料なり今後困るやろうしで、ここにずっとおるよりは外に出ようってなったんやけど、次見たら砂漠やってなー、この部屋ん中もやたら暑なって、ほんま大変やったで」
「でもね、一旦部屋に戻って、また外を見たらね、また森になってたんだ、だから今は暑くないでしょ?」
実に理解しがたいが、ここまでくると理解できない事を放棄しないと、かのガリレオを否定した人達と同じ道を辿ってしまう。
「……そうなのか、では、俺に手伝って欲しいと言っていたが、それは何なんだ?」
「やっぱり外に出る事にしたんや、ただし、森のタイミングで出ようと思ってる」
松葉が自身の眼鏡のブリッジに触れる。
「ここを拠点に、森に何人か入って貰って、ここが何処で、他に助かる道があるのかを探る。そのついでに、食料なり、使えそうな物を探す。皆と相談したんやけども、出入り口が外に無ければこの部屋自体が出入り口ちゃうかなーってなったんよね、実際俺らここから入ってきたんやし、だからここを拠点にしよってさ」
「それで?」
「それをやな、柊さんにやって欲しいねん」
「俺が?」
「あ、一応俺も一緒に行くで、それとなぁ、やっぱり肩に乗して担ぐのって軽い方がええやんか、でも女性に外に出てさっき言ったのをやらせるんは体力的に大変やろ?」
そういう事か。身長が170cmの男で、そこまで体が大きくない私が一番適している。ガクはまだ若いし、先崎や下地は体格が良すぎたり華奢だったり、身長があったりでバランスの取りずらい椅子で肩に乗せるとなると多少危険だ。
しかし、外に出るとなれば壁に沿ってテーブルと椅子を配置し、肩に乗った者が外に出る形になるだろう。その際に壁の支えを利用して行えば、体格があろうが身長があろうが肩に人を乗せようと思えば比較的安全に行えるはずだ。
それらの事情も含めて、先崎だと彼の持っている独特な威圧的な雰囲気があって頼みにくいし、もう一人の下地だと臆病過ぎるから不安、というのが本当の所だろう。勿論、必然的にこの中で一番体格のいい先崎が人を担ぐ事になるだろうが、その役を自然の流れで先崎に自発的に促す事で、今後物事を頼みやすくなる可能性も含めれば適材適所と言える。
「ちょっと待って、私も行くわ」
話の途中に、女が名乗り出た。