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人は人の範疇を超えられない

何もないと思わしき場からビックバンが発生し、各惑星や太陽、そういった確率的に低い調和の取れた世界が確立され、そうして生命が誕生したこの世界におけるこれらの存在が肯定される確率は天文学的数字によって発生している。


大数仮説

ポール・ディラックによって提唱されたこの仮説は、いくつかの基礎物理定数から求められる無次元数に10の40乗という値が現れることを根拠にしている、しかしこの仮説は肯定も否定もされずに議論はまだ本格的とまでされていない。


物理定数

この世界における法則は全てこの物理法則に基づいて形成されている。その計算は物理定数によって行われていて、これは『k : 比例定数』『g : 重力加速度』、物理の公式についている数字の変わらない係数のことを指す。

( -1.602 \times 10^{-19} ) クーロン(C) 。

電子の電荷(E)は、電気素量の基本的な物理定数であって、電子1つが持つ電荷の大きさは、陽子の電荷の大きさと等しくて、符号が逆。

電気素量は電気量の最小単位であり、イオンなどの他の荷電粒子の電荷はこの値の整数倍になる。

電子の質量は約 ( 9.109 \times 10^{-31} ) キログラム。

重力加速度g=9.8。F : 重力、m : 質量、g : 重力加速度、重力 : F=mg、このmgのgは適当な数字ではなく必ず9.8でなければならない。地球上では約 ( 9.8 , \text{m/s}^2 )。

この物理定数はこの世界では絶対的に変化しない。


宇宙は人間に都合が良すぎる

これらの数値で成り立ってしまうことからも、このgの数が9.8でなければならないという事柄も、余りにもきっちりと纏まりが過ぎていてこの世界はつくられたものなのでは無いかと捉えることも自然に考えることが出来る。


少々スピリチュアルが過ぎる発想だが、この物理定数を神が初期設定の値としてつくりだしたのなら単純で且つわかり易く最もらしく捉えれる。この説を否定するのが案外難しく、かといって納得のいかない要素ともなっている。

肯定するにもその存在を知る者がこの世に存在しないことからも、否定も肯定も実質不可能という訳だ。


人工物

この世界はバーチャル空間、VRのようなゲームのような存在として捉えることも出来る。これはあらゆるところで説として称えられていて、例えば我々が関与出来ない異次元からの関与となればどうしたって向こう側を認識さえ出来ない。

ゲーム内のキャラクターはその設定に基づいて作られている為に、その設定の範囲内を越えられない壁として常に存在し、例えば私達が見た夢を現実とするのか生きている世界を現実とするのかも不可能なように、それは今後明らかにされたとしても、その意識は変えられない。

人工物という称し方をしたが、これが大きさという観点でも良い訳だ。

私達の体内にはあらゆる細胞が何億とも存在し、その存在らは私達を理解することすら出来ない。この宇宙そのものが誰かの体内である可能性もあり、どうしたってこの説を完全に否定することは難しい。蟻から見た世界ですら私達人間を人という括りに出来ないだろうし、そこにその脳内のキャパシティだったり生活があったりする要素から、その大きさという観点だけであってもこの世界を理解出来ないのは当然である。

これらのことからもこの世界がつくられたものであるという否定は出来ないようになっている。

勿論肯定も出来ない。


人は人の括りでしか捉える事が出来ない

この世界がつくられているとしているその式そのものが、人の範囲内での思考や式であることから、それは人が都合よく解釈しているに過ぎないと捉えるのが自然でしょう。

偶然というのはそれを都合よく解釈しているのかもしれない。これの否定も難しく、かといって否定の否定も難しい。

この世界は案外もっと単純で、この世界で例えるならば、赤ん坊がレゴブロックでただ遊んでいるだけの世界である可能性もあり、それを私達は争っている風であるとか、感じている風といったように勝手に都合良く解釈しているだけかもしれない。

だとすればいい加減な不運なども適当に遊ばれていて、私達がその世界を理解出来ないだけであって、その赤ん坊からすれば積み木のような遊具の一種であると考えることも出来る。

そうなれば何が善で悪かという括りさえしっかりと定義するというのも難しく、それはこの世界の風味をただ味わっているだけなのかもしれない。

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