小説「実在人間、架空人間」第二十六話
愚者の存在。
初見同士での最もチームプレイで重視されるのは無難さを知っていること、これは常識を知っているということ、故に非常識が通りやすく、時にその常識を覆すプレイが生かせる。もし何も常識を知らなければただの異質な者としてその者が所属するチームに悪影響が及ぶことが約束される。
愚者というのはこの常識の理解が欠落している。常識は無くても良い、ただそれを知っているかどうか、ここに重点が置かれる。
ではハクが取った行動はどうだったか。
口に出さないが一様にハクを皆心底恐れている。何故ならハクは今、人を撃ったのだ。これは殺人と同義であり、且つ短絡的な行動から来る身勝手な行為だ、それに何の意味も無く理由が薄い。
この短絡さが理解の欠落ということ、この危うさを理解している者達は愚者を心底恐れる訳だ。
愚者はただいるだけで暴力になる、複数の者を無意識に貶めるに足る要素を多様に持ち、その暴力を無意識に使ってくる。この恐怖は常識を知っている者達からすれば、いつかは自分に降りかかる死を連想させてしまう、それどころか全滅をも想像し、愚者に恐怖する。
そうして知っている者達はこうも考える。
『……殺すか』
そう、それは常識を知っているからこそ、理解しているからこそ、このゲームに真面目に取り組んでいるが故に始まる常識を覆すプレイというものだ。
つまりは、
『ハクを殺すか』
これである。
愚者は生きているだけで害がある、そしてこれには理がある。愚者を排除することで無駄に実在側の人間が死なないという至極判り易い要素だけでは無い、それはハクが架空側である可能性も捨てきれないということだ。
勿論この状況だ、ハクが架空側であるとすることは有り得ないぐらいに無い、が、ハクが絶対的にそうでないと言い切れもしない。確認する方法が無いのだからハクが架空であると考えても良い、これはあくまで考えて良いという意味合いだが、愚者であるハクを排除するという意味合いではとても理に適っている。
今でも声にこそ発しないが、その心の声が声帯を震わさずとも口を開けずとも各々から聞こえてくるようだ。
『愚者は排除した方が良い』『誰かこいつを撃ってくれないかな』『次やるならハクか』『いっそのこと撃ってしまうか』『このままハクを生かしていては全滅してしまう』
そして、あるルールの内容を思い出した、『4、ゲームの初期設定の値』にあった、あれは確か……。
ルールブックをペラペラと捲った。
(2)『架空側は実在側上位二名の知能と同等とし、実在側の知能指数はゲーム内で数値化し、0.00が最小値、100を最高値とし、その実在側の平均値に対して3で割った数値を架空側二名に平等に割り振った状態とする、余り1が出た場合は小数点以下を切り捨て、一番知能の高い架空側に振り分けられる』
これだ。
そう、この観点から考えてハクは実在側である。
私がもし知能として下位なら、私が思いつくことそのものを架空側のハクが思いつかない訳が無く、仮に私の知能が上位だとしても、その知能はルール上、私よりも上に設定されるが故にまずハクは間違いを犯さない筈だ。
その筈だが……。
人には個性があって、感情が強いのか理性が強いのかの差が存在する、その差が過ちを犯すことも有り得るのかも知れないし、ルールにも穴があるのかもしれない。
例えばその数値化はただのIQテストのようなものだったら?
あるいは数値化によって決められた幅に閃きの要素が欠けている可能性もある。
何かを思い出したとき、その経験から自身以上の情報を他者から聞いていた、あるいは書物として読んでいた、知っていた場合、それが一種の閃きの要素となって限界値以上のものを生み出すことがある。よって数値化は実質不可能な要素なのでは?、という疑問符を打ち消すことが出来ない。
もしそうなら思いのほか発想や閃きの上限は低い可能性がある。
実在側を乗っ取るのだから架空側はその経験は乗っ取った側の要素しか入らないとして、持っている知識に差が生まれるとすれば架空側はそれほど脅威ではなく、発想は他の要素から混ぜて統合させる閃きなのであって、その知識が足りないのならその知能はあまり機能しない可能性がある。
いや、違うか、実在側の知能を合算させているのだから実在側の知能の上位陣二名の知識も、他の者の知識を3で割った知識も架空側に共有されていると考えて自然か。
だとすれば架空側はどうしたって実在側を上回っている、こちらが勝る要素は人数だけ、知能戦に持っていくと危ういから不確定要素からのコンビプレーが要求される。結局は私が初めにこのゲームに対して抱いたイメージに間違いは無かった。ただその思い出は共有されていないだろう、もし共有されていたのなら架空側は瞬時に実在側の全てを理解してしまうから、あくまで知能が割り振られているという意味合いで捉えて良い、そもそもルール上『知能』が割り振られると銘打って書かれているんだ、思い出の共有はされないが知識は共有される可能性がある、そう考えて自然だろう。
そうか、ならばハクは殺すべきじゃない。
ここから導き出される解は『ハクは生かすべきである』となるだろう。
ハクという実在側からして危うい者こそ生かすべきで、ある種こちらの不利になる要素がこのゲームにおける勝利に導ける可能性が高いと考えて良さそうだ。
不利な状況こそが勝機に繋がる、それをルールブックが教えてくれた。
今はか細い理でも、その虚を突いて実とするにはハクは切り札になる、私はそう確信した。