第9章 【アメリカンフットボール引退・帰国】
第9章 アメリカンフットボール引退/帰国
アメリカンフットボールシーズンの途中に、
自分の弱さをケガのせいにして、チームを去り、
目標を見失いながら私は5年間のアメリカ生活を終え日本に帰国しました。
一応、就職活動をしました。
面接官の挨拶の声の小さに失望しこの面接直後に、
辞退の連絡をいれました。
大学卒業→就職活動→就職、という発想がなかったです。
でも、どうしましょ。
日本に帰って来たけども・・・。
とりあえず、東京でジムを探してトレーニングだけはしました。
アメリカンフットボールのケガもだいぶ良くなり、
トレーニングをしていると、「また頑張ってみようと」
少し明るい気持ちになれました。
トレーニングで健全な心になれました。
「何か別の方向でも頑張ってみよう」と。
帰国後、就職先も決まっていない私は、
トレーニング仲間の先輩に紹介してもらい、
飲食店で週末だけアルバイトをさせてもらいました。
有名人の集まるお店で、
当時、私が大好きだった格闘技イベントK-1の関係者の方々
もよく来店されていました。
ある夜の事です。K-1の幹部の方が来店された時、
冗談でとポンと私の肩を叩き、すれ違っていかれました。
「君もやればいいのに」と一言。
体に電気が走りました!
どこに向けて良いか分からなかった
私の次の目標のピントがあった気がしました。
今思うと、怖いくらいのエネルギーでした。
私はその次の週、
肩を叩いてくれた関係者の方が来るという事も分からないのに、
その方宛てに手紙を書いてポケットに入れながら勤務していました。
「やります」と、書いた手紙を自己紹介に添えてポケットに入れながら。
そして、その次の週も偶然にもその方がいらっしゃいました。
運命でした。
その方に驚かれながらも突然その手紙を渡しました。
数時間後、私はその方のテーブルに呼んで頂き、
「じゃ、来週からアンディのところ行きなよ」と、一言頂きました。
「アンディ」って、そう、あの、アンディフグ選手のところです。
心の炎が燃えました。
アメリカへ行くことを決意した時のような目の輝きを取り戻せた感じでした。
キックボクシングの「キ」の字も知らないのにこれからどうなるのか、
お楽しみに。
窪田豊彦 184センチ100キロ
帰国後2ヵ月。アンディフグ選手とご対面。地獄再び・・・
「とよ先生」まで後6年9ヶ月。
当時はそういう環境を作ってくれた方達への感謝の気持ちなど持つ余裕もなく
ただただ自分が動くことで精一杯でした。
周りの先輩方、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
私が一生かけても返せない恩だとは思いますが、皆様から頂いた貴重な経験を少しでも活かして、他の人の為になるようにe-kidsを頑張っていきます。
押忍