もうひとつの出雲駅伝と全日本大学駅伝
出雲駅伝が終わったあと、浜山公園陸上競技場に移動し、出雲駅伝の1区と最終区に出てくるアップダウンのあるところ。で行われる「もうひとつの出雲駅伝」出雲市陸協記録会を見終えるまでが出雲駅伝。出雲駅伝にエントリーされるも出走できなかった選手が5000mの記録会に出場する。「もうひとつの」という名前をつけたのは、EKIDEN MANIAさんだったか。「もうひとつの」というのは、日本テレビが箱根駅伝大会後に放送する箱根駅伝のビハインド・ザ・シーンストーリーから来ているのだけど、EKIDEN MANIAさんが「もうひとつの」と呼びはじめたのは、通常の記録会のようにタイムを追い求めるものではなく、まるで駅伝のように順位を狙うトラックレースの要素があるからだ。
コロナ禍で「もうひとつ」が開催されなかったときは、浜山公園のサブトラックに駒澤、創価、帝京の選手らが集まり5000mのタイムトライアルが行われた。大八木監督(当時)が「これは駅伝だからな!」と走りはじめた選手たちに発破をかけた。5000mのレースの中で駅伝のように展開や位置取りを考え、一緒に走っている選手の呼吸やリズムを感じ、仕掛けどころを外さない。出雲駅伝を走れなかった選手に実戦に近い状況を作り上げることが目的だ。何年もこの記録会に通いつづけてると、ここで好走した選手は後の全日本、箱根において「いぶし銀」な走りを見せることが多い。大エースではなく「いぶし銀」。箱根でいえば、往路よりも復路で効く走り。
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