待ち受けに、みかん。
私はデザイン、編集に関わる会社に勤めている。
先日私が尊敬しているリーダーから、打ち合わせで「師走は忙しくなりそうだから、心得よ!」との号令がかけられた。
私はその人が大好きだ。今までいろいろな仕事をしてきた中の出会いでも、ピカイチだ。それは、(詳しく説明できないので信じるかどうかはあなた次第になってしまうけれど)私が今の会社で不当な評価で窮地に立たされた時、違和感を感じて頂けたようで、私が今どう感じているかを聴いてくれたのだ。その後、関係者へ「おかしいんじゃないですか?」と掛け合ってくれた。
その人の働きのおかげで、私への誤解は解け、環境は改善されたし、会社の空気もなんだか変わった。また、その人は仕事に対しても常に真面目で、スキルも高く、とても聡明で、ユーモアもある。本当にすごい人だ。
ところで、急に愚痴って申し訳ないが、うちの社長は癖が強い。それは、端的に言うと、人の精神をパン生地のように扱うのである。最初は、「はーい、では小麦粉、水を混ぜますね~…」という優しい工程を経る。入社していきなり優しくされることに戸惑いながらも、優しいなあ~嬉しいなあ~と素直に思っていると、唐突に、叩きこねる!!!圧倒的に叩きこねる!!!ダーンッ!ダーンッ!ダーンッ!パン生地の気持ちになれば、「アタシ、さっきまで丁寧に混ぜられていたのに、なんで今こんなに叩きつけられているのかしら?はて?」である。
会社内は、パン生地扱いされてる班と、パン生地扱いされない班に結果的に分かれているようだが、私はパン生地扱いしてもいい人材として判断されてしまったようだ。
私が入社するときに入れ替わりで辞めた女性がいた。その人が退社する際の引継ぎでのメールのやり取りやサーバー内の個人フォルダなどを覗くと、痛々しく感じる痕跡がところどころにあった。彼女はパン生地班だったのだろう。
その彼女の痕跡のヒントをはじめ、この会社は、そのリズムを繰り返しているんだなと思った。それって見過ごしてていいのかな。そして私に対するこの扱いは一体いつまで続くのかな。と、感じる日々。
社長には、どうやら私が思い上がっている人物に見えてしまったらしい。何をきっかけにそう思われたのか未だにわからない。
社長が今更こねなくても、私はだいぶこねられてきた。いっそ、自分のことをいろいろ話してみようか?と思う。そしたら何か変わるだろうかと考える。なんか嫌だ。そして、そんなことはそもそも求められていないだろう。言ったところで、ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言われるかもしれない。
それに、統合失調症や適応障害になったということを看板にして自分自身を評価されたくない。偏見のない評価が欲しいのだ。また、長く仕事を続けるという実績も獲得したい。だから、断片的にしか人のことを見てないくせに、勝手にお前はこういうやつだと時折当て付けられても、私は常に飄々としていようと心に決めた。また、仕事自体は楽しいし(それはとてもありがたいことだと思っている)、とにかく私は目の前にある仕事を頑張ること。周りの役に立つこと。それだけを心掛けて約2年半ここで仕事を続けてきた。
自分で言うのもなんだけれど、最近その飄々&努力が報われてきたような気がしてきた。そして、自分の思い上がりも確かにあったかもな…なんていう気付きもあったりして、成長したな、自分。と、なんとなくいい気分でいた最中、プライベートの出来事も合わせて、ダブルパンチ的に、結局、腹が立ってしょうがない状況が急に訪れた。
それをきっかけに、いままで生きてきた自分の鬱憤さえも発散したい思いに駆り立てられた。それがnoteでの投稿に至ったのである。
そしたら、私のような人間の文章を読んでもらえた。会社ではパン生地なのに。これはもう、天にも昇るような想いだった。本当に嬉しかった。感謝しかなかった。
それからというものの、noteが私の心のオアシスになっていた。
noteは自由。みんなも自由でそれが自分の事のように嬉しい。こんな素晴らしい場所があったのか!と、なんだか個人的にステップアップしたような気持ちになっていた。
けれども。
仕事に以前より集中できなくなっている自分がいた。次、どういった事を書こうかな…と考えては、ハッとして机に向かう。しかしまたぼんやり考えだす。
この状態って、まずいのでは、と思い始めた。
統合失調症(妄想型)になった自分である。
「妄想型」である。
明らかに気持ちがぶれている。
そんなことを、まだ言語化もできずにただもやっと感じ始めていたとき。
これまたデキる後輩が、ある日会社でみかんをくれた。おすそわけだ。
みかん。
それは、漫画「あたしンち」の主人公の名前。
急にあるエピソードを思い出した。
主人公のみかんが、友達とおしゃべりをしていると、その友達がしゃべっている内容の何かがひっかかって、ぽや~んと空想を始めて止まらなくなり、友達に、ちょっと聞いてるの!?と言われてその空想から連れ戻される、といった表現のあるエピソードだ。オチは忘れたけど。
私、まさに今あのみかん状態じゃん、と気付かされた。
私はすかさず、そのみかんの写真を撮った。
私は統合失調症から復帰して、仕事を皮切りに「普段の暮らし」という車に乗れるようになって、停止していた世界がふたたび動き出した。でも、途中から、パン生地扱いされ、長いトンネルに入ってしまっていた。それがnoteを使うことで、トンネルを抜けたような心地になった。その景色に見とれて、きょろきょろと、運転しながらよそ見をして浮かれていたのである。
このままでは、事故る。現実はソッチ→じゃなくてコッチ↑だ!ぐいっと顔をフロントガラスに向ける。
みかん状態になっている場合か。師走が来るぞ。尊敬しているリーダーを含めて、みんなに迷惑かけるのか!?やめろ!!
そういうわけで、私のスマホの待ち受け画面は今みかんになっている。
よくよく見ると、傷がついていて、なんだか自分みたい、と思った。
その後、数日してからそのみかんを食べた。酸っぱかった。
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待ち受けをみかんにしてからほどなく、私が尊敬している例の人が、「そういえばこの間のミーティングで、社長がえけさんのこと褒めてたんだよ!」と教えてくれた。
「「ブルドーザーみたい」って言ってたよ!良かったね!」って。
ブルドーザー…?あの、土をドドドと動かす、でかい重機ですよね…?良かった…のか…?なんか、お花とか、もっといい例え、なかったのか。
しかし文脈的になんだかそれで褒めてたらしい。私は「ブルドーザー」の例えが頭の中にこだまして、その具体的な理由を聞き逃してしまった。
とりあえず、苦節2年半、ブルドーザーという称号が与えられました。知らんけど。
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