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人生の星
今から遡る事29年前の1月7日。
夕方、自宅の居間でTVを見ていたらいきなり画面の上にテロップが出て
【画家 岡本太郎氏 死去】
という訃報が出ました。
その次に画面全体が切り替わり見た事もない絵がどどーん!と現れました。
《重工業》や《森の掟》という油絵が私の目に飛び込んで来たかと思ったら、ゴーンガーンゴーンという音と共にヘンテコな鐘を鳴らすオジサン。そして…
『芸術は爆発だ!』という台詞。
私は何が起きているのか解らない状態であっけに取られていたものの、ものすごいインパクトを感じてその訃報の一連のニュースを食い入るように眺めました。
岡本太郎という芸術家の事をこの時初めて知ったのでした。
私は大阪生まれ大阪育ちで幼い頃から絵が大好きで育って来ていましたが、日本の有名な絵描きさんなんて殆ど知らなくて太陽の塔の側を父の車に乗ってよく通り過ぎていました。
ほんのわずかのその岡本太郎の訃報で、私の世界が一変したような感覚になり、その日から岡本太郎とはどんな者か?と思い馳せるようになりました。
岡本太郎が亡くなった年の5月か6月くらいに、偶然立ち寄った本屋さんで岡本太郎の写真の載っている雑誌を見つけて即買いして読み込みました。
『こんなにぶっ飛んだ面白い絵描きが世の中にいてたんや!しかも普通によく見てた太陽の塔を作ったのがこのおっさんなんや…!』
と雑誌を読めば読む程引き込まれていきました。
うまくあってはいけない。
きれいであってはいけない。
心地良くあってはいけない。
既存の概念から逸脱し続ける事。
無目的の爆発。
それが芸術。
高校生だった私はその意図をちゃんと理解出来る程の頭を持ってはいませんでしたが、岡本太郎の芸術に対する熱量だけはものすごく伝わって来て、こんな人に出会えるなんて思いもしなかった!と泣きながら何度も何度も雑誌に掲載されている絵を見返していました。
岡本太郎の本を何冊が読むようになり、彼もまた若い頃にフランスでピカソの絵に出会い、グンと一本の大きな棒を飲み込まされたような衝撃を受けたと本に書かれていて、正に私が岡本太郎に出会った時の印象そのものだ!と興奮しました。
そして高校卒業の進路を決める時期となり、私は迷わず芸術の大学を選びましたが、全て落ちてしまい、浪人生となりました。
浪人生活が続きまた受験の季節が近づいて来た時、受験の為の資料請求で手にしたものの中に、またもや岡本太郎がいました。
とある美術専門学校の教員が学校案内のページで
『岡本太郎は芸術は爆発だ!と唱えました。あなた、起爆剤になりませんか?』
と教員の自己紹介の枠なのに岡本太郎の事を持ち出していて
『うわ!この先生の居てる学校に行ってみたい!』
と思い受験をしたらアッサリ受かり、春から専門学校へ行く事になりました。
2年の学校生活を経たら、次にまた美術の学校へ行きたいと思うようになり、大学へ編入学を希望しました。
その大学では作品審査と小論文の試験があり、小論文のテーマは何が出るかは解らないので、事前に何も対策もせず受験に向いました。
静まり返った受験会場で小論文のテスト用紙が順番に前から配られて来ました。
配られて来る時は裏返しなので小論文のテーマは何なのかまだ解らない。
『始め!』
というような合図が出たように記憶しています。
それからテスト用紙を表にして小論文のテーマを見た瞬間に私の頭の中で、サッカー解説者の川平慈英が、サッカー選手が巧みなプレーでゴールを決めた時に叫ぶ
『ゴーーーール!!!!!』
という雄叫びが響きました!
…何故かというと…
【岡本太郎について述べよ】
というのが小論文のテーマだったのです。
1996年1月7日に亡くなって以来ずっと追いかけて来た(今で言う押し)岡本太郎が小論文のテーマになっているなんて…夢のよう!
堅苦しそうに腕組みして試験監督をしている教授っぽい人達より私は岡本太郎の事知ってますから!!
その小論文のテーマを見た後、鉛筆を走りに走らせ文章を書きなぐり、1枚の紙では足りなくなってしまい裏面にまで岡本太郎の偉業を描きまくりました。
そして見事に試験に受かり、あれよあれよという間に時が過ぎました。
推しのお陰で受験をパスして、推しのお陰で底なし沼の芸術という世界を今も楽しんでいるのです。
岡本太郎と同じような絵描きにはなっていないですが、どれだけ彼の絵に勇気付けられ、彼の思想に励まされて来たか…
憧れの人というものは永遠に押しであって、自分を導いてくれる星なのです。
《痛ましき腕》という絵のなんと形容して良いか解らない芸術を愛してしまった者の腕の痛み。
《座る事を拒否する椅子》のユーモラスで思春期の苛立ちのような佇まい。
《太陽の塔》のアッケラカンとした風貌で尚且つ内包しているものの熱量の凄さ。
作品の深みや面白さを教えてくれた岡本太郎。
一瞬で私の心を鷲掴みしてしまった岡本太郎。
芸術って汲み尽くせない泉のようで、一度はまり込むと抜け出す事は不可能な沼のようなものなのだと思います。
私の人生はまだまだ続きますが、推しのお陰で日々豊かになっているようにも思えます。
何故なら、歳を重ねる毎に岡本太郎の作品の新たな側面を発見したり、自分と照らし合わせて自分の色を確認したり垢が落ちたりするからです。
高校生だった私が雑誌を読んで泣きながら
『さよならじゃなくて、こんにちはやで!』
と思って雑誌のさよならという所を黒マジックで塗り潰しているのが面白いです。
奇しくも今年は大阪でまた万博が開かれます。
1970年の大阪万博の時は
『こんにちは〜こんにちは〜世界の〜国から〜♪』
という歌がよく流れていました。
岡本太郎は
『人類の進歩と調和?!そんなものしていないじゃないか?!』
と言って古代モニュメントのような太陽の塔を作りあげました。
今彼が生きていて今年の万博をどう言うか?など考えを巡らすのも面白いものです。
自分がのめり込んでしまう程好きなものは自分を死ぬまで生かしめてくれる起爆剤なのだと思います。