マーズ・ヴォルタのプログレ的メンタリティ
マーズ・ヴォルタはどのジャンルに入れるのかは少し難しい。強いて言うならプログレだが、年代的に二〇〇〇年代なので一九七〇年代に全盛を迎えるプログレとは趣が違う。でも、そもそもプログレとは何なのか。
プログレッシブロックへの背景
ロックンロールが始まった頃、芸術的な態度で鑑賞するといった雰囲気ではなかった。娯楽だ。芸術も娯楽か。まあ、カジュアルに親しまれるものだった訳だ。
一九六〇年代後半でビートルズがアート方面に向かった事からもわかるように、この時代にはロックの捉え方の変化があった。一足早いサイケデリックロックなんてのは電気の通った楽器を手に入れた喜びを表すかのように電気から生まれる音を空間にばら撒いた。ジミヘンもばら撒きまくった。聴きやすくデザインされた音楽から脱却するが如く。ジミヘンは聴きやすいか。
レッド・ツェッペリンはライブでやたらと演奏が長い。逆算的かもしれないが、ライブで原曲を拡張するというより、圧縮された原曲をライブで元に戻すが如く。わかめや干し椎茸みたいに。そこにはコンパクトに収まったポピュラーミュージックからの脱却を見せたがっているように思う。芸術を志向している。大作=芸術というわけではないが、少なくともポップス感は薄れる。
ジャズの世界でもビバップ以降は即興演奏だ。即興の演奏をパートごとに回していく。その為に演奏時間が長くなることもある。六〇年代のマイルス・デイヴィスなんかはスタンダードの曲を十分を余裕で越えてきたりする。もちろん、ジャズにおける即興とロックバンドの即興は趣向が違うように思うが。
プログレッシブロックとは
プログレッシブロックの特徴はロックを六〇年代末当時の風潮であるアート的な解釈や、一つのテーマをコンセプトに音楽を展開させていくところにある。そういう意味ではサントラってコンセプトアルバムですね。
そして、プログレのもう一つの特徴はロックを基盤に広がりのある大作をつくる点だ。大作である理由はクラシックのように壮大な展開を見せたかったからじゃないかと予想。芸術だと認識されやすいフォーマットに則ろうとしたのだ。
他にも大作になる理由に、先程の「わかめ、干し椎茸」のような考え方もある。そこにはクラシックのような計画的な構成があるというよりは行き当たりばったりの感じが強い。また、ジャズのように知識的に構成されたフレーズを即興で演奏する訳では無い(勿論全くない訳では無いが)。ノイズで時間稼ぎだ。言い方悪いけど肯定的ですよ、私は。
プログレの方々
芸術の色合いの強いクラシックから影響を受けたフレーズがよく聴かれるのは、やはりロックで芸術を見せたかったのだろう。しかし、クラシックからの影響ばかりではない。他にも芸術として解釈されやすい音楽はある。それらはロックの拡張の為に用いられる。
そもそもプログレという括りは「進歩的なロック」な訳で、進む方向だって当然違うのだ。だから一口にプログレと言っても、ピンク・フロイドとキング・クリムゾンとイエスでは毛色が違う。みんな代表格なのに。
ピンク・フロイドはサイケ的な音の広がりがある。元々サイケロックでしたね。ウマグマなんかは現代音楽みたいだ。時折サイケが顔を出す。「原子心母」は実際にそっちのスジの方と作っている(ちなみにその方の名前は「原子心母」の逸話でしか聞いたことがない)。ザ・ウォールはオペラか。それでも通底してどこかブルージーだ。ギルモアのせいか。
キング・クリムゾンはジャズ的な要素を持っているように思う。フリージャズとまでは行かないにしろ、それに近い暴れ方をしませんか。管楽器の存在感の問題なんかな。「太陽と戦慄」と「暗黒の世界」あたりはどう説明できるだろうか。既成のロックにはない実験的なサウンドを志向している。
ちなみに好きなアルバムは「アイランズ」です。斜に構えている訳でなく、タイトル曲である「アイランズ」が凄く良いんですよ。とか言ってるがあんまりプログレって感じの曲じゃないという事はよくある。エイフェックス・ツインの好きな曲がピアノの曲だったりするのと似ている。横道が思いのほか大通りになりました。
話戻って、イエスはわかりやすくクラシカルだ。なんかメロディがクサい感じがするけど、まあ、納豆みたいなもんでそれがいい。適当か。
カンはマーズ・ヴォルタを語る上では外せない。「クラウトロック」というプログレの下位カテゴリで、言ってしまえば「ジャーマンプログレ」だ。彼らは現代音楽からの影響を受けている。イルミン・シュミットとホルガー・シューカイはシュトックハウゼンの元で学んでいて、電子音楽もシュトックハウゼンからの影響だとか。
カンタベリーロックもプログレの下位カテゴリだがジャズにだいぶ寄っている。ソフト・マシーンなんかはマイルス・デイヴィスの「キリマンジャロの娘」辺りからアイデアを貰ってるんじゃないかな。
フランスの雄、マグマはリーダーであるクリスチャン・ヴァンデがジョン・コルトレーンを敬愛しまくっている。しかし、その音楽は単にジャズ的とは言えず、もっと禍々しい何かを感じさせる。自分で作ったコバイア語という言語を用いて大所帯でコーラスをする。また、彼はドラマーだがイカれたヴォーカルも見せる。
ダラダラ書いてしまったが、押さえて欲しい点は影響元がバラバラだということ。 ただ、ロックを発展させるために過去の音楽を参照し、新しいものを生み出そうという考えは一致している。
形式的プログレ、精神的プログレ
そんなプログレも「プログレ」という形式になってしまい、新しさを生み出す為の根本的な考えはなくなった。本来、プログレは新しいロックを生み出そうとする潮流によって纏められていたのだ。「精神的にプログレッシブ」だったのであり、「形式的にプログレッシブ」だったわけではないが、時代と共に捉え方が変わるのは不可避なので。あかんという訳じゃない。
マーズ・ヴォルタは「精神的にプログレッシブ」だ。七〇年代のプレーヤーの知らない八〇年代、九〇年代の音楽を経由し、それらを過去の音楽として参照し、新しい音楽を生み出した。
彼らの音楽は、アット・ザ・ドライヴ・インからのサウンドの雰囲気を引き継ぎつつ、主要人物であるオマー・ロドリゲス・ロペスとセドリック・ビクスラー・ザヴァラのルーツたるラテンの要素を足している。また、大作を作る為の要素として、クラウトロックの音のバラマキ具合の影響を感じる。クラウトロックは古臭くなりにくい。特にカン。メロディが甘さひかえめだからか。ライナーノーツかどこぞに書かれていた「無機質」という表現がぴったりだ。ストイックな反復は強い普遍性を帯びる。それがオルタナ的サウンドをプログレに仕立て上げる為の媒介として機能している。
希望的展望
プログレ自体は過去の音楽となったが、プログレの考え方はまだ活用できる。過去の音楽を参照し、落とし込む。まあ、新しい音楽なんてそういう要素を含むんだろうけど。今なら二〇〇〇年代とか二〇一〇年代とかを参照して二〇二〇年代型のプログレは作れないのだろうかなんて考えも浮かんでくる。
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