■ 其の221 ■ 悪は存在しない〔校則〕
ブラック校則 / 線引き / 正義と悪
ワイドショーなどでブラック校則が取り上げられた時、それがどんな展開になるかは、だいたい想像がつきます。
こんなトンデモない校則があるんですよ ➡ こんなルールに意味があるんですか? ➡ 教育評論家のインタビューが流れる ➡ 時代錯誤も甚だしいですね ➡『ブラック校則なんてトンデモナイ』という空気が全体を覆う
おかしな校則なんて日本中にいくらでもあるでしょう。
それを見つけ出して批判し、視聴者と一緒になって溜飲を下げるというパターンには安直さを感じます。
情報というより、ブラック校則批判というコンテンツを見せられている気がします。
わたしが中学生の時、男子は全員丸刈りという規則でした。今なら人権侵害と言われるでしょう。
ですが、もしツーブロックがOKになったとして、じゃあ次に「ソフトモヒカンは有りか無しか」という話が出るかもしれません。
それがOKならば、じゃあモヒカンは? ロックミュージシャンみたいなロングヘアは?ということになります。
色についても同様です。
自然な茶髪 → 染めた感のある茶色 → がっつり茶髪 → 金色 → 薄いピンク → ショッキングピンク‥‥どこまでOKにするのでしょう。みなが同意する境界線があるでしょうか。
どこまで認めるのが正解だなんてありません。どこで線を引いても、その線を越えたがる生徒は必ず出てきます。
制服は生徒の自由を制限している。だから私服を認める事にするとします。
ブラウスやポロシャツはいいとして、色の規制はどうするのでしょう?
ワンピースはいいんですか? 白のワンピースはOKだとして、じゃあ赤のワンピースは? いっそのことチャイナドレスもありにしますか?
いずれにせよ、決めた一線を越えようとする生徒は現れます。
では、生徒の自主性を重んじて生徒総会でルールを決めたとします。ですが異論や不満は出るでしょう。どこまでいっても意見や価値観の違いはなくなりません。自分の考えを受け入れられなかった人の腹の底には不満の火種が残ります。
あのアメリカでさえこんな話があります。
卒業写真で、女子生徒の胸元が開いた写真を好ましくないと思った教師が、それを加工し塗りつぶしたら、生徒が猛烈に抗議したというのです。
わたしは、極論を言えば、校則の「中身」や「線引き」は、一応の決まり程度のモノだと思っています。校則は、「ルールとの付き合い方」を学ぶ練習だと思うのです。
校則との付き合い方を経験することで、
➀ 自分が正しいと思っていることが絶対とは限らない。
② 今は(たまたま)こういうルールになっているに過ぎない。
③ ルールだからと、悪や過ちを断罪するような態度は傲慢だ。
ということを学ぶのです。
また、ルールとの関り方にも成熟度があります。
すんなり受け入れて守ればいい時もあるし、譲れないので徹底抗戦すべき時もある。また、守ったフリをしてやり過ごせばいい時だってあるでしょう。
そして何より、
ブラック校則を嬉々として批判している人間は、自分がブラックな人間になる危険性を自覚しなければなりません。なにかを悪に祭り上げ、自分は正義だと思うことの、傲慢さとみっともなさは、実は一番手に負えない悪なのです。