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努力は報われなくていい
「もしも努力が必ず報われる世界だったら......?」
という極端すぎる妄想の話。
努力は必ずしも報われるわけではない。
それはとても悲しい話だと思う。
ずっと一生懸命に頑張っていたのに、最後の大会で勝ちあがれなかった部活の先輩。
1日に使えるほとんどの時間を勉強に費やし続けて挑んでも、入試をクリアできなかった受験生。
大学入学当初から研究を重ね、グループディスカッションに面接に、周到にぬかりなく準備したのに第一志望の企業に入れなかった就活生。
努力が必ず報われるならば。
なんて、感情的には思いたくもなる。
小説や漫画の主人公であれば、底知れぬ試練の末にはそれが報われるのがお決まりなのに。
だけど、もしも努力が必ず報われる世界だったら?
それはそれはとても極端な話で、「人が平等に努力量のみで評価され、その量の多い者が低い者に必ず勝利するとしたら?」という問い。
努力量と成果が必ず比例する世界についての妄想。
そんな現実味も有益性もないくだらない妄想をしてしまった。
でも、「努力は報われる」って、突き詰めればそういうことだからね?
私は努力が必ずしも報われるわけではなくて本当によかったと思う。
もしも、努力量が必ず結末に現れるとしたら。
きっと、ほんの少しの時間、娯楽を取り入れることにさえも罪悪感と焦燥感が付きまとってしまう状態に、みんなが陥ってしまうから。
ここまでは、現実のかけらもない空想の話。
だけど現実でも、一秒も惜しんで自分の目標のために何かに取り組み続けている人はたくさんいるはず。
とはいえ、みんながみんなそうはなってない。
そんなストイックにならなくても、生きていくことはできる世界だ。
それはきっと、そこまで自分を追い込んで、熱意を持って、努力し続けられる人がそんなに多くはないから。
そして、同じ努力量でも、積み上がる能力は人によって違うから。
同じだけ勉強をした人が、テストで同じ点を取るわけではないし。
だから、努力は必ずしも報われる、とはならずに済んでいる。
そして、私は努力が無敵ではないことに救われている。
私は怠惰の王様かもしれない。
「努力した人が報われる」
「汗水流して苦しんで本気で挑んだ人は、何も頑張らずにふらふらと生きている人には絶対に負けない」
それは話としては美しいかもしれないけれど、私は確実にその世界線では生きていけない。
だけど、努力の力ってすごいのも事実。
努力は報われるとは限らないが、成功者は皆必ず努力をしているという。
だから、何事も力の限りを尽くすに越したことはない。
みんながみんな結果を求めて合理的な判断ができるとしたら、それこそ全人類年中無休努力時代の到来かもしれない。
そうすると、いくら努力が無敵ではないとはいえ、人生のあらゆる局面で必要になる努力量は相対的に増えてしまう。
裏を返せば、みんなが努力をしなくなればなるほど、何かを成し遂げるための努力の必要量は少なくなる。
私は生きてこられたのは、たぶん私と同じように怠惰に取り憑かれて努力レースから下りてしまう人がたくさんいるから。
身も蓋もない言い方をすれば、
「努力したって報われない」
「夢を叶えられる人なんてほんのひとにぎり」
「『諦めなければ叶う』なんて綺麗事」
そう言って禁欲的な努力のレースから降りる人がたくさんいるからこそ、それを餌にして私は娯楽を楽しんでいられるのかもしれない。
少ない努力量で生き永らえているのかもしれない。
なんだかとても嫌な文章になった。
努力が必ず報われる世界じゃなくてよかった。
とはいえきっと、夢を叶えられる人は皆必ず努力している。
ただ、その努力はただ量を積めばよいわけではなさそうだというありふれた話。