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頭脳は文字の湧き出る泉
文章を書くのが上手になりたい。
って、たぶん一生思い続けるのでしょう。
書籍を執筆するという行為は、何も「作家」と呼ばれる人たちだけのものではない。
書くことを本業としていない、別分野の有識者やインフルエンサーたちが記した本も、日々出版されている。
その手の本だとあとがきの一節に「本を書くなんて初めてで、大変で、いろんな方々のご協力がなければ……」というような意の言葉が添えられていることもちらほら。
そんなものを見る度に、文章を書くのが決して得意じゃない私は「いや書けてる時点ですごいからぁ!」と心の内で叫ぶのである。
ここでいう「書ける」はどちらかというと質ではなく量の話だ。
そりゃ当然ながら本の分厚さにもよるけれど、本という時点でそこには夥しいほどの量の文字たちが詰め込まれている。
そしてそれらはすべて著者自ら(+校正及び文章協力)から生まれてきたはずだ。
そんな文章量の原稿を納期までに提出するなど私には考えられない。
少なくとも、それこそ例えばちょっとしたnote記事を書くことにすらいつも苦戦している私には。
だからほんと、ただただ「すごいなあ」って感心しながら日々本を読むのである。
とまあ、本に触れながらそんなことを考える中で浮かんだ疑問がある。
「人って一生にどれだけの文を書くのだろう」
本気で答えが知りたい、というよりはずっと疑問のままでいいと思っている疑問である。
現代、とてもたくさんの人々が識字能力を有し、文字を駆使して生活を送っている。
本や記事の創作というのは、文字を書き記すという行為のほんの一部の側面でしかない。
メールを送るとか、メモを残すとか、レポートを書くとか、ありとあらゆる場面で私たちは文字や文章を書いているのだ。
もしもそれらを見境なく全部紙にぶち込んで綴じたら、一体どれくらいの分厚さになるだろうか。
部屋の中、目の前に並ぶ本たちにどれくらい敵うのだろうか。
別にそこに意味などいらないのだけれど、ただ文章を書くのを好いていたい個人として、死ぬまでにたくさんの言葉を紡げるといいな、とただ思うのだ。
どうか、私の頭脳が強い泉へと鍛えられるよう、苦手ながらも楽しんで日々言葉を生み出していきたいもので……