感嘆符アレルギー
くだけた文章が書けない!
感嘆符。
エクスクラメーションマーク。
ビックリマーク。
要は【!】←これのこと。
私は創作・メール等を問わず、【!】を使うのが著しく苦手だ。
私が書く文章には、基本的に【!】がない。
何も明確な意図があって【!】を避けているわけではなく、自然とそうなってしまうのだ。
実に2~3年くらい細々とnoteを書いてきたけれど、たぶん数えるほどしか使っていない。
創作に限った話ならまだしも、メール等でまで【!】を使わないのは、コミュニケーションにおいてそこそこキツめの縛りプレイをしているに等しい。
コミュニケーション上手な友人たちはみんな【!】や絵文字等を駆使して親しみやすく朗らかなメッセージを送信するし、【!】ではなく【。】を使う上司が「怖い!」ってブーイングを受けることもある時代だ。
それなのに私はこんな何の得もしない縛りプレイをしている。
実のところ、こうなってしまった原因は割とはっきり分かっている。
簡潔に言い切るなら、高校文芸部時代の癖にほかならない。
私が創作に強い興味を持ち始めたのは中学生の終期くらいの頃で、そんなこともあって高校に入学すると文芸部の門を叩いた。
しかし、当時の私はただ意欲があるだけで知識も経験もないに等しかった。
今もド素人だけど、今以上の超ド素人だった。
だから、入部したての頃にいろいろ教えてくれた先輩方の話は無抵抗で聞いていた。
ぶっちゃけ小説の書き方なんて正解や不正解が定まっていることの方が少ないくらいなので、自分なりの答えを持っているならそれを貫いていいと思うのだけれど、当時の私にはそんなものなどなかった。
そんな中で、【!】や【?】といった記号は、元来の日本文学では用いないものだという話を先輩から聞いた記憶が強く残っている。
しかし今思えばこれはおそらく私の拡大解釈で、記憶も捻じ曲がったものなんだと思う。
確かに、感嘆符【!】や疑問符【?】は欧文から流れてきて日本でも広く使われるようになったもので、「日本語」ではないらしい。
時代をずっと遡っていくと、日本文学において【!】や【?】の存在しない世界へ辿り着く。
でも現代では使う。
まじで普通に使う。
二重感嘆符【!!】や二重疑問符【!?】までいくと若干珍しく感じるが、【!】【?】程度であれば普通に使う。
それは当時の私も知っていたはずだ。
だって物書きはド素人だけど読むことはしていたから。
たぶん先輩が言っていたのも、「もともとは日本語になかった記号なんだよ」という意味だったのだと思う。
なのになぜか私は「なるべく【!】【?】を使わないようにしよう」っていう方向にインプットしてしまった。
なんでやねん。
実際、他の部員に【!】を多用する人もいたし、読書の中でそういう小説に出会ったりもした。
それを悪いこととは思わず、いち作風だと思っていた。
そう思ったうえで、私は【!】を最小化した作品を「作風」として、無意識にそちらへ向かっていった。
はじめの頃は、【?】すらも最小化しようとしていたように思う。
だけど【?】を回避するのはあまりに難しく、もう途中から気にしなくなった。
あいつは便利すぎるし、替えが効きにくい。
一方で、【!】はぶっちゃけ頑張れば使わなくてもなんとかなる。
だからこそ、【!】は避ける癖がついたまま創作活動ができてしまった。
そうして気がついたら創作の外側でも【!】を使うのが苦手になっていた。
まあ、あとは単純に好みの話もあったのだと思う。
創作に興味を持ち始めた頃、気に入った作者や作品からもろに影響を受けるのはよくあることだと思う。
その中で私は、記号や崩した言葉を多用したポップな小説や歌詞よりも、容易に【!】なんて使わない硬派な表現の方が気に入ったのだろう。
そういうただの好みが、感嘆符アレルギーに至るまで拗れていったということでもある、はずだ。
余談だが、アレルギーと比喩はしたけれど、人から送られてくるメッセージが【!】たっぷりで砕けまくってていても何とも思わない。
いや、むしろ怖くなくて大歓迎。
そのくせ自分が【!】を使うのは苦手。
勝手な奴め。
以前、大学のゼミの先生のSlackやLINEの文面が怖いとゼミ生から改善要求が上がったことがあった。
それ以降先生は緩い雑談のような報告をしてくれたり、【!】を使ってなるべく柔らかい文章にしようとしてくれたり、不器用ながらも努力してくれているのが伝わった。
それでも相変わらず【!】も使わず硬くて塩な文章を送り続けているのが私だった。
先生じゃないので怖がられないのをいいことに、自分だけ変化を遂げられないでいるのが情けないな、って思った。
繰り返しにはなるけれど、私は【!】のことをこれっぽっちも嫌ってなんかいない。
言葉は変わっていく。
古語と現代語では意味の異なる単語もたくさんある。
由来や元来の用法がどうであれ、誰かに要件を伝えるのが言語の本分だと信じている。
だから、【!】や【?】の生まれが日本語ではなかろうが、そんなことはどうだっていいし、今は「間違った用法だ」って批判される表現であっても、それで意味が通じるようになるのであれば、それも正解へと変化していっていいと思う。
それくらい、現代に溢れることばの使い方には寛大なマインドでいるつもりだ。
それなのに、【!】を上手く使えない。
なぜか無意識に避けてしまうし、意識してもいざ使うときに抵抗感が生まれる。
ついてしまった癖が為す仕業だ。
そんなよくわからないコミュニケーション上のハンデを、私は今日も背負って生きる。