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『ターナー日記』の邦訳⑪第二十章~第二十一章
第二十章
1993年7月7日。朝までここにいられるらしいので、この数日間の出来事を記録するために一時間ちょっとを割くことができる。
ここはほんとうに洒落た場所だ。ロサンゼルスが一望にできるペントハウスアパートメント――だから指令基地として使っている。だが、信じられないほどに贅沢である。サテン織のベッドシーツ、本物の毛皮のベッドカバー、金メッキされたバスルーム。バーボン、スコッチ、ウォッカが出てくる蛇口がすべての部屋の壁に備え付けられている。巨大な額に収められた卑猥な写真が壁にかかっている。
このアパートメントは地元の自治体従業員組合の業務代理人ジェリー・シーゲルバウム氏が所有している――壁にかかっている薄汚れた写真の花形が彼だ。写真の一枚で彼のパートナーは黒んぼの女であり、別の写真では幼い少年がいっしょに写っているが、むしろブロンドで異邦人の女を好みそうにみえる。彼は労働者たちの代表のような人間だったのだ! だれでもいいから彼を玄関から外へ引っ張りだしてきてほしい。月曜日から空調が効いていなくて、彼はむんむんとひどく臭ってきている。
この巨大都市は、前に夜間に全景を眺めたときとまったくちがった側面を見せている。街中の大通りを煌々と浮かび上がらせていた輝きが消えており、街中にまばらな灯が散乱しているほかはただの暗闇が広がっている。無数の車両がそこを通過しているはずだが、ライトを消して走っているので目撃されることはない。
この四日間でほぼひっきりなしに聴こえるのは、警察の緊急車両の耳をうつサイレンと発砲と爆発の轟音、旋回するヘリコプターの騒音だ。今夜は発砲音ばかりで、ほかの音はあまりしない。この地での戦闘が決定的な局面に入ったようにみえる。
月曜日の午前二時、六十以上の戦闘部隊がロサンゼルス全域を同時に攻撃して、そのあいだにほかの部隊が郊外の標的を叩いてゆく。カナダからメキシコまでの西海岸一帯を。"システム"がニュースメディアに全面的な検閲をおこなっていたので、ほかの場所でどんな成果があったかはわからなかった――つまり、俺たち自身も把握していなかった――しかも、革命司令部とコンタクトがある仲間のだれかと話す機会もなかった。それでもここロサンゼルスで俺たちはおどろくほどにうまくやってのけた。
最初の攻撃で都市の中心部への水道と電力の供給を遮断し、主要な空港を破壊して、すべての重要な高速道路を通行不能にした。電話交換局を麻痺させてガソリンの貯蔵所を吹っ飛ばした。湾岸エリアは四日間も炎に包まれている。
すくなくとも十五か所の警察署を俺たちが掌握した。職員から武器をとりあげて、通信機器とそのときパトロールに出ていなかった車両をことごとく破壊してから引き揚げてきた。いくつかの警察署にはまだ仲間が隠れていて、エリアの司令所として使っているらしい。
警察官と消防士たちは当初、首が切り落とされたニワトリのようにあわてふためいていた――いたるところでサイレンが鳴ってライトが点灯していたが、月曜日の午後までに連絡網が徹底的に破壊されて数多の火の手があがり、そのほかの緊急事態が多数起こって、警察官と消防隊はどれに対応するかを選別しなければならなくなった。おおくのエリアで俺たちのチームは妨害をほぼ受けずに仕事をすすめることができたので、いまや大半の緊急車両とパトカーは燃料が尽きて、うんともすんとも言わなくなっている。まだ燃料が入っている車両もおしゃかになっているようだ。
警察を無力化することができるか否かは――付け加えるならほかのすべてについても――軍隊の内部での活動にかかっている。軍隊組織の内部でなにか大きなことが起こったのは月曜日の午後の時点でだれの目にもあきらかだった。一例をあげると、兵士と戦車は発電所、テレビ送信機などを――いつも通りに――守っており、俺たちに対処するために展開されている部隊がない。また別の例をあげると、このあたりのすべての軍事基地のなかで武器を使った衝突が起こっている顕著な兆しがある。
ジェット戦闘爆撃機が急降下して都市上空を通過したのを目撃してその轟音を聞いたが、俺たちを攻撃してはこなかった――すくなくとも直接には。市街地に十いくつもあるカリフォルニア州兵本部に機銃掃射と爆撃をくわえていた。あのジェット機はここから南にあるエル・トロ海兵隊航空基地から来たようにみえた。のちにロサンゼルス上空でドッグファイトを演じているのを何度か目撃したり、七十マイル南東にある海兵隊の大きな駐屯地であるキャンプ・ペンドルトンがエドワード空軍基地からきた重爆撃機に攻撃された音を聞いたりした。そんなこんなで、巻きこまれた誰にとっても事態がややこしい筋書きになってきた。
ところで月曜の晩にまったくの偶然なのだが、ひょんなところでヘンリーとめぐり会った。軍事的な情勢がどうなっているかをほんのちょっとだけ俺に説明してくれた。にくい旧友ヘンリー――また会えてこんなにうれしいことはなかった!
KNX送信所で俺たちは会った。そこで俺は、掌握した放送局でうちのチームが放送を再開するのを手伝っていた。ちなみに俺は四日間もそれにとりくんでいた。銃撃で破壊された送信機を修理して、送信機の周波数を変えて、設備を即席でつくった。いまはFM放送局を一つとAM放送局を二つ稼働させていて、すべて非常用の発電機で動かしている。三か所ともスタジオからのケーブルは切断して、放送チームを送信所へ直接に配置している。
ヘンリーはジープで轟音を立てながらKNXまでやってきた。大佐の階級章付きの米陸軍の制服を着て、機関銃と対戦車ロケット弾をたずさえた三人の兵士を同伴していた。彼は放送用の原稿を持ってきていた――もっぱら軍人たちに聞かせるための原稿だ。
マイクと音響機器を送信機の入力端子へと俺が接続したのだが、つなぎおわるやすぐに放送を始めるためにヘンリーと俺が脇にどいて、俺たちのアナウンサーによって原稿が放送で読み上げられた。内容は、まだ革命に加わっていないすべての白人の軍人たちへの要請と、要請を無視した人間への警告から成っていた。メッセージはよく練られており、軍人にたいしても民間人にたいしても効果はてき面だったと保証できる。
ヘンリーは軍隊での勧誘活動全体の責任者を一年以上もやっていたことがわかった。彼は三月に異動してから西海岸での活動に集中していた。話は長かったが、教えてもらった要点はこうだ。
"組織"が結成されて以来、軍隊の内部の二つの階級で勧誘がおこなわれてきた。1991年9月までは半ばあからさまに、その後は秘密裏に低い階級で活動していて、徴兵された兵隊と下士官のあいだにプロパガンダを浸透させた。個人から個人へ、が基本だった。ところがヘンリーが語ってくれたところによると、極秘中の極秘の活動として高い階級のあいだでも勧誘活動をおこなっていたそうだ。
上級将校たちをたくさん取込むことができるかどうかに革命司令部の戦略の成否がかかっていた。そういうわけで、月曜日に俺たちはその秘密の虎の子を使いはじめたわけだ。この四日間に軍隊が俺たちをほったらかして部隊間で同士討ちで銃撃や爆撃をしていたのはそれが理由だ。
軍隊内部で俺たちの同調者に指揮された部隊と、"システム"に忠実な人間(こちらが圧倒的に多数派だ)に指揮された部隊とのあいだで対立が始まったが、別の側面の対立がすぐに表面化してとってかわった。つまり、黒人と白人の対立だ。
俺たちが月曜朝の攻撃を開始するやいなや、"組織"側の将校が指揮する部隊ですべての黒人士官の武装解除が開始された。そこで使われた言い訳は、べつの部隊で黒人の過激派が反乱をはじめたので、反乱の拡大を防ぐためにすべての黒人を武装解除しろと上のほうから命令を受けた、というものだ。一般的に白人の軍人はその作り話をよろこんで信じる心構えができており、おなじ部隊内の黒人たちへ銃口を向けさせるのに二度命令する必要がなかった。リベラルな性向のせいで躊躇した人間がわずかにいたが、即座に射殺された。
ほかの部隊では、協力者の兵士が、制服を着た黒人にたいしてみつけしだいに銃撃をくわえてから、同調者に指揮されている部隊へと脱走してきた。こうなると当然のことだが、黒人たちは黒人の反乱という作り話が本当になったかのような反応をせざるをえなかった。"システム"側の将校が指揮する部隊でも、黒人と白人のあいだで激しい戦闘が幕をあげた。
そうした部隊のなかには半数が黒人だったところもあるので、戦闘は血みどろで泥沼になった。結果的に、俺たちの同調者の部隊には最初の時点で"システム"側の部隊のたった五パーセントしか戦力がなかったのに、後者のほとんどは黒人と白人の内紛のせいで麻痺してしまった。おかげで、白人たちが続々と俺たちの側の部隊に集まってきている。
この過程の進行へと俺たちの放送がおおいに寄与した。こちら側の戦力を何食わぬ顔で誇張して伝えて、部隊に加わりたい白人の軍人たちにどこへ行けばいいのかを教えた。さらに白人の背を押してやるために――ついでに黒んぼたちの尻に火をつけて仕事をさせてやるために――送信機の一つを偽の"ソウル"ステーション(訳注:黒人ジャズミュージシャンのハンク・モブレーのアルバム『Soul Station』(1960)がおそらく元ネタ)に変えて、黒人革命を放送で呼びかけた。武装解除されるまえに白人の将校と下士官を撃てと指示した。
ロサンゼルスで俺たちにたいして効果的な対抗措置を講じることができる、おそらくただ一つの部隊は空軍戦闘機と爆撃機の部隊を有していた――そしてエル・トロ海兵隊基地の航空部隊。彼らは俺たちのほうに組していると思い込んだ部隊を攻撃していた。だがヘンリーによると、彼らは俺たちにたいしてと同じくらい、"システム"側の部隊にもおおきな損害をあたえていた。
ヘンリーが得意満面で説明してくれた話だが、"組織"はカリフォルニア州兵でも勧誘をしていたが、州兵の部隊を一つでも寝返らせるまでにはいたらなかった。よって"組織"は、月曜朝の攻撃が始まる直前に予防措置として州兵の指揮官であるハウエル将軍を誘拐した。
"システム"はハウエルの所在が確認できなければ、彼がこちらに合流したのではと恐れるだろう。月曜日の未明に彼が三人の不審者といっしょにあわただしく自宅を出てから一時間もしないうちに攻撃が始まったと聞けば、恐怖が確証へとかわる。猜疑につられて、州兵の本部と兵站基地を爆撃するように忠実な航空部隊へ指令を出したのが月曜日の午後である。
"システム"が混乱して爆撃機に命令を出すまで、キャンプ・ペンドルトンで俺たちはまったく優勢だといえない戦況だった。その命令が俺たちに味方して戦況をひっくり返したのだと納得した。ペンドルトンではまだ激しい戦闘がつづいているが、いまはこちらが押しているらしい。
今日、ロサンゼルスの主要な警察署を無力化してくれた戦車の縦列がどこの基地からやってきたのかを俺は知らないのだが、神様のお恵みというものだったにちがいない。彼らがいなければ絶対に無理な仕事だった。
作戦がはじまった当初から、ロサンゼルス警察は実質的にただ一つの組織化された抵抗者だった。周辺地域を管轄している小規模な警察組織はたいした障害でなかった。そのうちいくつかは完膚なきまでに叩いて黙らせてやった。他のところとは最初のころにいくつか小競り合いをやったが、息を潜めて自分の業務に専念することにしたようだ。しかし、ロサンゼルス市警察の一万人ともそれ以上ともいう人員は数時間前までこちらに激しい攻勢をしかけていた。四日間で俺たちはすくなくとも百人の戦死者を出した――このあたりにいる戦力の15%から20%に相当する。
軍隊にたいしてやったのとおなじことがどうして警察にもできなかったのかは俺も知らない。単に訓練された人材が足りなかったのかもしれないし、軍隊での勧誘のほうが優先順位が高かったのかもしれない。ともあれ、主要な警察署が反革命分子の拠点になるまで時間はかからなかった。
田舎の保安官とさらには州の交通警察の部隊までがロサンゼルス市警察に合流していた。彼らは主要な司令部の建物を、こちらが有するどんな手段の攻撃にも耐えられる難攻不落の要塞へと変えた。せいぜい二ブロック先にあるそこに近づくのは実際のところ、誰にとってもほぼ確実な死を意味した。たっぷりの貯蔵燃料と千台以上の車両、通信機器のための非常電源を有しており、俺たちにたいして圧倒的な優位点を誇っていた。
偵察のためにヘリコプターを使い、こちらのさまざまな防衛拠点とすでに掌握した施設を正確にねらって、200人から300人の人員と車両を投入した襲撃部隊を送り込んできた。ほぼすべての高架道路を俺たちが破壊しておいたので彼らの機動は広範囲にわたって制限を受けているが、無数の障害物を迂回して空挺監視員を送り込むことができた。
失うわけにいかない最重要拠点についてはかろうじてある程度守ることができた――掌握した放送局をふくむ――ひとえに機関銃手が塹壕のなかから侵入路を警戒してくれたからである。さいわいにも、俺たちには対装甲用の兵器を持っている人間がほとんどいなかったので、警察は装甲車をほんの数台しか持っていなかった。戦闘チームが対戦車兵器を一般的に使用することができるようになったのは今日の話だ。
まだ"システム"に忠実な軍事部隊をもしもロサンゼルス警察がまとめあげることができれば、俺たちにとって一巻の終わりになる。幸運なことに、俺たちに合流した部隊から古いM60戦車が大量に手に入っている。警察が司令部のまわりに築いた路上のバリケードを蹂躙して榴弾と焼夷弾で建物を蜂の巣にして、機関銃弾を無数の警察の車両へ大量に浴びせかけてやった。
警官たちの通信設備と電源がだめになって、建物があちこちで炎上した。彼らは建物を放棄せざるをえなくなり、彼らが総崩れになるまで周囲の駐車場と通りへと81mm迫撃砲弾を雨あられと降らせてやった。すでに放棄されたその場所はいまだに燃えている。ほとんどの警官は自宅に逃げ帰って一般人の服に着替えたようだ。
俺たちにたいする組織化された抵抗軍は大半が無力化された。ほかの地域から軍隊が送られてくるまえにこのエリアを手際よく支配下に置くことができるかどうかにすべてがかかっている。どうしていまだに完了していないのかがわからない。
つい二時間前に言われたのだが、うちの技術者たちのところへ朝に出頭してくることになった。彼らはこのエリアの電力と水道の復旧の段取りについて計画を立てる使命を負うことになる。また、車両用の道路を再建し、残存しているガソリンとディーゼル燃料の備蓄を発見して確保しておくことになる。俺よりも土木技師にふさわしい仕事の気がするのだが。
むしろ少々早まった仕事だという感じもする。だが、革命司令部が今後の見通しを持っているという印象をあたえてくれる話である。おそらく明日になれば、いまの状況全体についてもっとよく理解するようになっているだろう。
7月10日。 色々なことが起きている――いいことも、そしてよくないことも一部。だが大半はいいことだ、これまでのところは。
軍隊と警察の状況はいうと、この辺ではもうすっかり支配下においている――事実上、西海岸のほとんどのエリアでもそうだ。サンフランシスコ周辺といくつかのエリアではまだ戦闘がたくさん続いているみたいだが。
この辺には武装した集団がまだすこしいる――警察と軍人たちから成る――あちこちをうろついては時おりちょっかいを出してくるが、俺たちはすべての基地と軍用飛行場を死守しており、一日か二日以内には迷子たちを検挙している。うちの腕章をつけずに武器を携行している人間はみつけしだいに撃てという指令がいまは出ている。
俺たちもうっかり視界に入っただけで撃たれがちだったから、これは数日前からの歓迎すべき変化である。長年にわたって隠れ潜み、変装してコソコソ逃げ隠れして、警察官に出会うたびに背筋が凍っていたが、おおっぴらに外に出られるようになったのは最高の気分だ――銃を所持していられるのも。
このあたりでは民間人がおおきな問題になっている。彼ら市民が完全に暴走していて手が付けられない。実際のところ、彼らを責めるのはむずかしい。むしろ彼らのだいたいの人間がいままで自主的に行儀よくしていたことに驚いている。なんといっても、電力と水の供給が一週間も絶たれているのだ。大多数の人間はなんにちも食い物を口にしていない。
最初の二日間――月曜日と火曜日――民間人は俺たちが期待したとおりの行動をしていた。何十万人もの人間がいっせいに自分の車にとび乗って高速道路にわきだした。もちろん、重要なインターチェンジが吹っ飛ばしてあるのですぐに立ち往生したのだが、想像を絶する歴史的な渋滞を引き起こしてくれたので、警察の移動をほぼ不可能にするという任務が結果的に完了した。
火曜日の午後には大半の白人市民が自宅に帰還していた――あるいはせめて隣人のもとへと――動かせなくなった自分の車を路上に置いたままで引き揚げてきた人間がたくさんいる。彼らが理解したことはまず、ロサンゼルス地域から自動車で脱出するのは無理そうだということ。二つめに、給油所の電気ポンプが動作しないのでガソリンが買えないこと。三つめに、商店と会社はあらかた閉鎖してしまっていること。そして四つめに、なにか大きなことが起こっていることだ。自宅にこもりながら、トランジスタラジオをオンにして煩悶している。以外にも犯罪や暴力はあまりみられない。黒人のエリアを除いて。そこでは暴動、略奪、放火が月曜日の午後には早くも始まり、徐々に激しくなり、かつ拡大をつづけた。
しかし木曜日になると、白人のエリアでも略奪がかなり起こって、もっぱら食料品の店が狙われた。それまで四十八時間以上もなにも食べていない人間がおり、無法状態だからというより、やむを得ないのでそうしていた。
木曜日の夜まで、警察にたいして勝利をおさめた確信が持てなかったので、民間人の混乱を収拾する方面で俺たちはなにもしていなかった。飢餓に駆られて自暴自棄になった市民が街の通りで店舗の窓をたたき割って食べ物を盗み、飲み水とラジオ用の未使用のバッテリーを探しもとめ、おなじものをもとめる他人と喧嘩をはじめるので、警察は俺たちに対処する時間が奪われた。それはもちろん、開戦当初に電力と水道、交通手段を叩いたときの狙いそのものだった。
もしも警察が対処しなければいけないのが俺たちだけだったら勝つことができなかったが、公共の秩序の広範囲にわたる崩壊と俺たちを同時にさばくのは不可能だった。
それはそれとして、いまや俺たちには秩序を回復する仕事が課せられているのであり、気が遠くなる重労働になるだろう。市民はすっかり恐怖と混乱でおかしくなっている。どいつもこいつも理性を失った行動をしていて、俺たちの管理下に置いてやるまで膨大な人命が犠牲になるだろう。飢餓と欠乏が俺たちのかわりに支配するところも出てくるだろうと心配している。俺たちのマンパワーと物資がその任にとても堪えないからだ。
今日は燃料の復旧チームといっしょに出掛けて、市民の惨状をくわしく視察した。じつにみるに堪えない状況だった。俺たちは大きなガソリン用タンクローリーを武装した装甲ジープに護衛させて運用している。パサデナ市の給油所でガソリンをタンクローリーに注入して、こっちの給油所に運んでいる。当座の俺たちのニーズを満たすのには十分な量の燃料がこのあたりにあるが、市民は一定の期間、車なしでやっていかなければならないだろう。
パサデナ市は数年前まで白人ばかりだったが、いまは黒人の町みたいになってしまった。黒人がいるエリアの給油所の近くで黒人どもにでくわしたら、接近させないためにかならず発砲した。白人のエリアでは、飢えて食べ物を乞う白人がどっと群がってきた――とはいえ恵んでやる義務は俺たちになかったのだが。
やつらが火器を所有していたらと想像するとひやりとする。もしも所有していたら今頃はとんでもないことになっていただろう。サンキューだぜ、Cohen上院議員!
おっと! もう書く時間がない――会合にいかなければ。全国の情勢についてブリーフィングを受けてくる。
第二十一章
1993年7月11日。忙しい日だった! 北方にある水力発電施設をとおして電力をいくぶん復活させたが、あまり十分とはいえない。電気は正確に分配されなければならないので、都市部の電力が回復している区域の地図を丸一日かけて作成し、しかもチームを送りこんで配線を切ったり切替えたりつなぎ変えたりした。後日、分配がうまくいけば、ほかの区域にも電力を供給することができるかもしれない。
どうしてワシントンが国内のほかの地域からこっちに兵隊を送ろうとしなかったのかが昨夜にわかった。ヴァンデンバーグ空軍基地とそこにあるミサイル格納庫を俺たちが押さえたからだ!先週の月曜日の朝の攻撃から四十八時間のあいだ、"システム"は非常に混乱していて軍事情勢が把握できなかったので、大規模な兵士の移動が不可能だった。俺たちはあまりにも薄く広がっていたので、この西海岸をのぞいて領土の奪取と保持ができる見込みがなかったのだが、それでも途方もないほどの分断と無秩序、混乱をいたるところで作りだした。
国内のほかのところにいる軍隊内部の仲間は、自分がいる部隊を一時的に麻痺させるための行動をおこすように指示を受けていた。これによって妨害工作、放火、爆破が実施されたが、より幅広く実行されたのは選択的な射殺だ。非白人の比率がたかい部隊で、仲間が「ホワイト・パワー!」というスローガンを叫びながら黒人たちをランダムに射ち倒した。黒人たちの反抗を誘発する計画的な意図があっての行動だ。これにつづいて既にここで成功したのとおなじ戦術を使った。ラジオ局を占拠して、黒人たちへ銃を白人の将校に向けろという偽りの呼びかけを放送した。
べつの部隊では、通信センターを占拠して、部隊がこちらに寝返ったという偽の思い込みをつくりだした。
そのうえさらに、民間人にたいしてのっぴきならない大災害をおこしてやった。発電所、通信設備、ダム、主要な高速道路のインターチェンジ、石油貯蔵庫、ガスのパイプライン、そのほか爆破したり燃やせるものはなんでも月曜日の朝に総力をあげて叩いた。国中のどこに行っても民間人をパニックに陥らせて、巻きおこる問題の数々で"システム"を一時的にてんてこまいにしておくために。
エヴァンストン計画への襲撃が月曜日の朝に実施されたという話も、ほかの話の合間に聞いた。完全に成功したことを聞いておおいに満足した。
そういうわけで、"システム"が状況に見積もりをつけて軍事部隊の忠誠心についての自信を回復してこちらにたいする行動を試みるまえに、ヴァンデンバーグにいる敵の掃討を完了して最後通牒を発表することで最終的な結果が出た。我々にたいするいかなる軍事行動も、ニューヨークとテルアビブを狙った核ミサイルの発射を招くだろうと。だからこの何日かはこんなに情勢が静まり返っているわけだ。
今になってようやく革命司令部の戦略全体が理解できた。長いあいだそれがわからなかったので何度となく不安の種になっていた。現在の俺たちの人数では、"システム"を倒すのに十分なほどおおきな規模の軍事攻勢を、十分な期間まで持続させるのは無理だということを革命司令部は最初から承知していた。もちろん経済的な破壊工作と心理戦からなるゲリラ戦を長期間つづけることはできたのだが、"システム"が最終的に勝つのは時間の問題だった。こちら側の人数が大幅に増えた、劇的な大成功がもしもなければ、"システム"の発展しつづける警察の力によって最後は身動きが取れなくなっていただろう。
だが俺たちはその大成功を実現した。確固とした成長につながる潜在的な可能性を手に入れた。ロサンゼルスの都市部だけで千二百万人が俺たちの支配下にはいった。俺たちが掌握しなければならない人間の総人口がどれほどになるかは、カリフォルニア北部が特異な状況にあるのでまだ不明瞭である。
たった今"組織"の支配下にあるのは、メキシコの国境からロサンゼルスの北西150マイルと西海岸から内陸50マイルから100マイルの範囲の、カリフォルニアの帯状のエリアだ。サンディエゴ、ロサンゼルス、そして虎の子のヴァンデンバーグ空軍基地がその帯に含まれている。山脈とモハーベ砂漠が俺たちの領土にとって天然の東の境界になっている。
サンフランシスコとサクラメントをふくむ、オレゴン州との州境まで続くより広範囲の沿岸地域では反"システム"の軍閥が割拠しているようだが、おそらく俺たちの権力はまだそこで樹立されていない。以前に耳にした噂と反対に、オレゴン州とワシントン州はいまだに"システム"の支配が強いようにみえる。
ほかの地域はだいたい騒乱の渦中にあり、俺たちのヒットエンドラン攻撃が続いている。だが、まだ"システム"がすぐに崩壊する状況でない。政府を悩ませているおもな問題は、自分が所有している軍隊が信用できるのか否かであるようだ。この悩みのせいで、一部のエリアの兵士が市民の秩序を回復させる必要に迫られているにもかかわらず、基地内に留められている。
市民の暴動がもっともひどいある地域では――もっぱら食料の供給が途絶えているからである――政府は非白人のみで構成した特殊な軍事部隊をつかっている。この全員黒んぼの部隊を、われらがカリフォルニア自治区の周囲の境界エリアにもやつらは送りこんでいる。
最寄りのそういう部隊がここから北西に百マイルさきのバーストーにいるようだ。そこから白人の避難者がぽつぽつと俺たちのエリアにやってきているが、彼らの報告は胸糞がわるくなるひどい話だ。黒人兵士による大量のレイプとテロ。やつらは地元の白人にたいして我が物顔のふるまいをしている。白人の市民にそんなことが起きている話を聞くのは耐えがたいが、俺たちにとっては好都合な反応がひろがっている。しかも、"システム"が白人市民の忠誠をたのむことができなくなっており、非白人の社会集団に依存していることを明らかにさせたのも収穫だった。
だが今の俺たちにとっては一番重要なのはむしろ、政府が俺たちのテリトリーに侵入しようとしていない事実だ。ヴァンデンバーグ空軍基地からの脅しがしばらくはやつらを牽制している。けっして永遠には続かない状況だろうが。すくなくとも、こちらの市民を支配下に置くための猶予をくれた。
しかし、こっちはなんて面倒くさいことになっているんだ! 火災が前よりも増えたし、暴動も拡大している。秩序を維持しながら重要な公共インフラを再建して緊急の食糧配給システムをたちあげなければならないが、名目上は俺たちの側についた軍人たちを全員かき集めても、単純に人が足りない。
俺たちについた武装組織の人員がおよそ四万人いて、この都市部にその三分の二ちかくがいて、ほかの人間はサンディエゴからヴァンデンバーグに散っている。彼らはこのあたりの"組織"のメンバーをおよそ20対1の割合で数で超過していてやっかいな状況になったのだが――実際のところ、この倍はひどい割合だと前は信じていたのであるが、それでも十分ひどい! 大多数の兵隊は"組織"へ忠誠を誓っているわけでなく、自分たちへの命令が俺たちから来ていることすら理解していないのが実態だ。
これまでのところ、昼夜をわかたずに彼らを忙しくさせておいたので、彼らがあまり疑問を抱く時間はなかった。"組織"のメンバーはそれぞれの軍事部隊の中隊長以上の階級に配属された。ヘンリーは――昨日の夜にちょっとだけ会った――俺たちが彼らをうまく統率することができると信じているみたいだ。そうあることを願う!
燃料の復旧とインフラの修理のための人員として利用していた、数人の兵士と会話をする機会があった。彼らは三つの事実に心を動かされたようだ。ワシントンの政府がこのあたりの支配力をすっかり失ってしまったこと。黒人たちが、軍隊の内でも外でも、危険で信頼できない分子だということ。武器と食料の点において、今のところ民間人よりもすごく恵まれていること。
だが、イデオロギーに彼らはまったく無頓着だ! 漠然とこちらに付いてる人間もいるし、"システム"の洗脳で頭がいっぱいのやつもいる。たいていのやつはその中間だ。代わりとなる権力が完全に不在なので、 今のところは俺たちに従ったままでいる。
こちらについた兵士たちにたいして放送で忠誠心に訴えて懐柔をすることすら、"システム"はやっていなかった。なぜならば、それは国内の残りの地域にたいして、俺たちがいかに大きな勝利をおさめているかを認めることになってしまうからだ。現在の"システム"の公式の声明は、状況はうまくコントロールされており、しかもカリフォルニアの「レイシストのギャングども(俺たちのこと)」が検挙されるか粛清されるのはまもなくだという話である。反乱をおこせと"システム"の兵士たちへよびかける放送を俺たちが昼夜を問わずにおこなって、情勢についての説明をじっさいよりもかなりバラ色に描き出して伝えておいたので、"システム"のつくり話はかなり空虚に響いている。俺たちの呼びかけを否定するのではなく、"システム"はひたすら放送を妨害するという手に出た。それが彼らにとってはおそらくもっとも賢明なやり方である。
7月14日。十分な量の食料品の貨物がはじめて市街地に入ってきた――60台のコンボイ――大型の特殊な牽引トラック――サン・ホアキン・バレーから届く新鮮な農産物でいっぱいのトレーラー。俺たちが人員を配置している、白人地区の三十か所の緊急物資配給所で荷下ろしをしたが、指ぬきで大海を埋めようとするような作業だった。白人の市民の生活をただ最低限のレベルに保つだけでも、すくなくとも毎日五回は大量の食糧が必要だった。
食料品店はみんな略奪に遭ってからっぽになっているのに、このあたりの倉庫にはまだ保存食がたくさんストックされている。俺たちがもっとよく組織されていて、倉庫の場所を把握していて、目録を作っていれば、入ってくる生鮮食品の補完として倉庫の食料がつかえる。それはそれとして、いくつかの倉庫でひどい事件があった。こちらが「ノー」といっても聞かない人間をたくさん撃たなければならなかった。
だが、本当にひどい仕事は、黒人のエリアと人種が混淆したエリアへ入るときに待ちうけていた。この二日間をつかって、兵士が仕上げを終えたエリアへと復旧隊を案内してきた。
兵士の仕事は黒人たちをほかの市民と分けて、俺たちの領土から護送して送り出せるようになるまで、出入りが管理されているエリアへと監禁することである。非常にシンプルでかつ単純なやり方で実施される。黒人を収容しているエリアは、東向きの幹線道路への近さとエリアからの出口の塞ぎやすさによって選ばれて指定されている。戦車と機関銃手が出口に陣取っている。
そうして、指定された収容エリアを包囲して接近するように近隣のお掃除がはじまる。歩兵のグループを先導する街宣車がくりかえしアナウンスをおこなう。次のような…
「すべての黒人はすみやかに、47番通りにあるマーチン・ルーサー・キング小学校へ食べ物と水の配給を受けるためにきてください。午後一時以降に43番通りから北側にいる黒人はみんな撃たれます。すべての黒人は…」
当初、黒人たちは結束して兵士に逆らって、従おうとしなかった。ホンキーどもはじっさいには撃たないと思い込んでいたようだ。
(読者への注意:"ホンキー(Honky)"とは、"偉大な革命"に先立つ三十年間に黒んぼによって使われていた、白人を指すさまざまな侮蔑的なスラングのうちの一つだった。その起源は不明である)
しかし、すぐに彼らは自分の錯誤を思い知ることになり、アナウンスの言葉は迅速にひろがっていった。
ほとんどの黒人は、ゆっくりと行進する歩兵の隊列から一、二ブロック前で、指定エリアを目指して通りに沿って移動した。歩兵たちは途中の建物をすばやく調べながら歩いた。家屋をいまだに明け渡していなかった黒人たちは銃剣によって荒っぽく通りへ引き出された。もしもかりそめにも抵抗するそぶりをみせれば、即座に撃たれた。ときたま起きるこの銃声のおかげで、ほかの黒人たちが立ち止まることはなかった。
これまでのところ、禁制品の銃火器をもって建物に籠城して兵士たちに発砲してくる黒人がいた例は十件にも満たなかった。そういう場合、兵士たちはその占拠された建物を迂回して戦車を呼んで、戦車砲と機関銃で建物を蜂の巣にしてもらった。
何度もいうが、"システム"のせいで何年もまえに市民が武装解除されたのは笑えるほどラッキーだった。銃を持っている黒人がもっと多かったら、俺たちとの圧倒的な数の差を考慮しても手を焼いただろう。
復旧隊は歩兵部隊のすぐ後ろを歩いた。俺たちの仕事は重要な物資と施設の目録をつくって、それを確保することだ。ガソリンとそのほか大量の燃料、保存がきく食料、医薬品、大型輸送車両、使用可能な産業施設、などなど。
黒人たちは自分たちのエリアにある食料をきれいさっぱりと奪い取ってしまっていた。そして無分別にいろいろなものをダメにしてしまっていた。俺たちは探索をおこなう――それでも、やつらが見逃したものがたくさんみつかる。たとえば、今朝のペットフード工場にあった四十トン以上の乾燥魚粉がそうだ。あまり美味なものだとはいえないが、十万人の人間が一週間に必要とする最低量のたんぱく質を一袋ごとに供給してくれるはずだ。昨日は、水の浄化に必要な、三万ガロンの液体塩素を発見した。また、一軒の病院と二件の診療所から薬品の在庫のほとんどを回収することができた。黒人の暴徒が建物をくまなく物色したあとでも、薬品倉庫は手つかずのままだった。
黒人たちが食料の不足を解決するためにとった、身の毛もよだつやり方の動かぬ証拠もみつかった。カニバリズム、である。白人が運転する車を止めるために、やつらは大通りにバリケードを築いた。早くは先週の火曜日に始まったらしい。不運な白人は車から引きずり出されて最寄りの黒人のレストランに連れこまれて、屠殺され、調理され、そして食われた。
やがて黒人たちはハンティングチームを組織して白人のエリアへ襲撃をかけた。その襲撃の成功を裏付ける、とても描写できない恐怖の光景を黒人のアパートの地下室で俺たちはみつけることになった。
俺と仲間のもう一人が、略奪ですっかり荒らされた倉庫をしらべてから路上に出たときに、すぐ隣の建物の前でおこっている騒動に気が付いた。出入り口のところにいる米軍兵の一団があきらかになにかにひどく困っていた。一人がそのアパートの建物から走り出てきて、舗装道路の上で嘔吐して吐瀉物をぶちまけた。べつの一人は険しい表情を浮かべながら、幼い白人の少女を建物から外に案内した。彼女は十歳くらいで、裸の汚れた体で、あきらかに茫然自失している様子だった。
俺はアパートの建物に飛び込んでみたが、充満しているひどい悪臭にたじろいだ。ハンカチーフを鼻と口にあてがっても助けにならなそうだったが、フラッシュライトの光を頼りにして地下室への階段を降りてゆくと、二人の米軍兵が上ってくるのとすれちがった。一人の腕のなかには四つくらいの白人の子供がいて、ものも言わずにこちらをみつめていた。まだ生きているが、ひどく衰弱していて歩くことができなそうだった。
地下室は蒸気管から吊るされた二丁のケロシンランタンによって照らされていて、黒人たちの手によって人間の屠殺場へとつくりかえられていた。床は凝固しかかった血液によって滑りやすくなっていた。悪臭を放つ臓物や切断された頭部でいっぱいの洗濯たらいがあった。ごく小さな人間の臀部が、頭上にワイヤーで四つ吊るされていた。
ランタンの下の木製の作業台で、俺はいままで見たなかでもっとも恐ろしいものを目の当たりにした。それは、屠殺されて一部が解体された、十代の少女の肉体だった。彼女の青い瞳が天井をうつろにながめていて、喉にぱっくりと開いた傷口から流れ出した血液に浸った、黄金のながい髪が絡み合っていた。
俺は吐き気を催して、階段をよろめきながら駆け上がり、ふたたび日の光のもとに出た。おぞましい地下室へ自分で戻る気にはなれなかったが、二人の仲間にカメラとライトを持たせて送り出し、詳細な写真記録をつくらせた。兵士たちの思想教化のために役に立つだろう。
外にいる米軍兵の一人から、地下室でみつかったのはすくなくとも三十人はいる白人の子供たちのうちの一部であり、そのうちの二人はまだ生きているとおそわった。生きていた二人は部屋の隅のパイプにつながれていた。建物の背後の裏庭には即席のバーベキューコンロと小さな人骨の大きな山があった――人骨はどれも徹底的にかじられていた。裏庭の写真も撮っておいた。
俺が仕事をしたのはもっぱら黒人のエリアだったが、白人のエリアとチカーノ(メキシコ系)のエリアに行った仲間からもきわめてひどい話を聞いた。白人とチカーノが食人をしたという事例は報告されなかった――この点で黒人は別の人種だ――しかし、食べ物をめぐるあらそいで多くの殺人があった。黒人ギャングが白人エリアに押し寄せて白人の住居を占領するときに背筋が凍る虐殺がいくつかあった。とくに、住居がたがいに離れて孤立している、より裕福な地区でよく発生した。
肯定的な話もすると、白人の中産階級と労働者階級が圧倒的多数を占める地域の一部では、黒人とチカーノたちの侵入から自衛するために白人たちが団結している。これはうれしくなる進歩だが、驚きでもある。俺がみてきたところで、あのうすのろたちはこれまでの年月にいったいどこに投票してきたんだと言いたい。ユダヤ人による長年の洗脳から白人大衆が逃れ出ることなど可能なのか?
実際のところ、あまりにも多くの事例でそういう話が定着しているのではないかとおそれている。人種が混淆した地域ではたとえば、白人たちが十年間もひどく苦しんできたすえに、自分たちを守るために実質的になんの努力もしてこなかった。もちろん銃がなければ、自衛とは単なる数の問題になる――そして、生き残る意志の問題に。ほんわずかしか混淆していない地域で白人が圧倒的多数を占めていても、彼らは黒人とチカーノがまだ持ち合わせているアイデンティティと一体性の感覚を失ってしまったようにみえる。
だが何にもまして、彼ら白人の多くは自衛のためのいかなる努力も"レイシスト"になると言い含められてしまったみたいにみえる。そしてレイシストとおもわれることを怖がっている――または自分をそうみなすのを怖がっている――死を怖がるよりもつよく。黒人ギャングが自分たちの子供を連れ去ったり目の前で女をレイプしたりしたときでも、実効性がある抵抗を示さなかった。本物の病気だ!
自分たちを守ろうとすらしない白人たちには憐れみをおぼえることすら難しい。そういう洗脳されたクズどもを身分相応の運命から救ってやるために、どうして俺たちが危険を冒して奮闘してやるべきなのかに至ってはもっと理解しがたい。とはいえ、一番危険で苦労させられるのは混淆されたエリアだ!
非白人といっしょに白人を殺してしまうおそれがある群衆を撃つのは気が進まないが、雑種どもはそれを悟って利用している。一部の地域ではそうした強い抵抗に直面しているので、人種的に多様な集団を分離してそれぞれの領土に入れるという目標を達成するのは不可能に近くなっている。
人種の分離を達成するこころみにおいて別の大きな問題になっているのは、このエリアにいる無数の人間を白人か非白人に分類するのが容易な仕事でないことだ。雑種化の過程はこの国でいままでずっと進行してきており、あらゆる大きさと形状の浅黒くて縮れ毛の人間があまりにもたくさんうろちょろしていて、線引きするのは無理だからだ。
そうはいっても、どこかで線引きをしなければならない。それも今すぐにだ! 俺たちの領土にいる人間の全員に食べ物をあたえて養うのは無理だ。つまり白人のあいだで大規模な飢餓が発生するのを避けようとすれば、境界が明確にされたエリアへと彼らを分離しなければだめだ。そこには電気、水、食料、そのほか不可欠なものが用意されている。それ以外の人間はどんな手を使ってでも領土の外に移動させなければならない。先延ばしにするほど、群衆は手に負えなくなるだろう。
黒人を集結させる仕事については上出来にできている。80%の黒人は四つの小領土に封印されており、第一陣の護送隊は今夜、東を目指して移動しているのを知っている。だが残りの人間については、俺たちがやったのは市民を移動できなくすることに尽きた。彼らは一つの地域から別の地域へと移動できない。俺たちはぜんぜん市民を支配下に置けていないし、俺がいままで把握しているかぎり、ユダヤ人とほかの敵対分子にたいして大々的な拘束などのアクションをおこなってすらいなかった。これから始めるんだ!