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『ターナー日記』の邦訳②第二章~第三章


二章

1991年9月18日。昨日までの二日間は喜劇的な大失敗だったが、今日はほとんど悲劇に変わっちまった。昨日は俺がたたき起こされてから、何をするべきかを話し合った。最初に合意したのは、武器を手に入れてからもっといい隠れ家をみつけることだった。
俺たちの部隊は――第四部隊――このアパートを必要になったときに利用するために約六か月前に偽名で借りた。(銀行口座を開設するときのように入居人ごとのソーシャルセキュリティナンバーを警察に届け出るように家主に義務付ける新法を犯すことになった)今までこのアパートをずっと留守にしていたから、秘密警察は俺たちのだれかとこの住所を結びつけてはいないはずだ。
だが、俺たち全員が住むにはいっときでも狭すぎたし、隣人にたいして十分に秘密が守れない。この場所をみつけたときに、俺たちは資金の節約を気にしすぎていた。
今の俺たちにとっていちばんの大問題は、金だった。ここに食料、医薬品、道具、予備の衣類、地図――一台の自転車すら――貯蔵しておくつもりだったが、金の支払いのことを忘れていた。二日前に、やつらが検挙をふたたび開始したという知らせがきたときには銀行から金を引き出すことができなくなっていた。知らせがきたのはあまりにも朝の早い時間だった。俺たちの口座はもう確実に凍結されている。
だから、そのときの俺たちに残された現金はポケットの中にある分だけだった。合せても70ドルと少しだけ。

(読者への注意:"ドル"とは古い時代の合衆国の基本的な通貨単位である。1991年には、2ドルで半キロのパン一塊か、4分の1キロの砂糖が買えた)

そして交通手段は自転車しかなかった。計画にしたがって、俺たちの自動車は警察が探しているのですべて廃棄してしまった。もしも自動車をまだ持っていたとしても、燃料の調達が困難だった。俺たちのガソリン配給カードはソーシャルセキュリティナンバーと紐づいているから、給油所のコンピューターに挿入したら俺たちの配給分はブロックされる――そしてたちどころに、燃料の供給を監視する中央コンピューターへと俺たちがどこにいるかを知らせる。
昨日、第九部隊との連絡係のジョージが自転車のペダルをこいで、第九部隊と状況を話し合いに行った。むこうは俺たちよりはすこしマシな状況だが、すごくいいわけでもない。ジョージによると、彼らは六人でおよそ400ドルを持っていたが、壁の穴のなかに身を寄せ合っていて、俺たちより窮屈な思いをしているということだった。
彼らは四台の自動四輪車と、そこそこ大きい燃料の貯蔵庫を所有しているのだが。彼らの一人のカール・スミス氏が、便利な偽造免許証を何枚かつくっていた。俺たちもおなじようにするべきだが、時はすでにおそかった。
車を一台だけ50ドルで売ると申し出てくれたので、ジョージはありがたく受容れた。ガソリンまでは譲ろうとしなかったが、すでに満タンの車をくれた。
それでもまだ俺たちには、ほかのアジトを借りる金もないし、ペンシルバニア州にある武器の隠し場所まで行ってもどってくるガソリンも足りなかった。食料のたくわえが尽きたときに一週間分の食料品の買い出しにいく金すらなかった。そしておそらく四日以内にそのときがくるのだ。
ネットワークは十日以内に完成するだろう。だが、それまで自力でやっていかなければならない。そのうえ更に、俺たちの部隊がネットワークに参加したときには、補給の問題を解決しておいてほかの部隊と協力して行動が起こせるようになっていることがもとめられているのだ。
もっと金があれば、燃料のことも含めてすべての問題が解決できる。もちろん、闇市ならばガソリンはいつでも調達できる――1ガロンが10ドルで。給油所の二倍近くする。
午後まで、この状況のことで俺たちは悩み苦しんだ。それから、これ以上は一瞬たりとも時間を無駄にしたくない一心で、外に出て金をとってこようと決意した。ヘンリーと俺は、ジョージを逮捕させるわけにいかないので、雑用が押付けられていた。彼はネットワークの暗号を知っているただ一人の男である。
まず、キャサリンのみごとなメイクアップの術を施してもらった。彼女はアマチュアの劇団にいて、人の風貌を変える技能を会得していた。
俺としては、外に出て最初にみつかった酒屋に入って、レジ係の頭をレンガで殴ってからレジから金をかき集めたかった。
もっとも、ヘンリーはいっしょに行ってくれないだろうが。俺たちの最終目的と反する手段をつかうわけにはいかないとあいつは言っていた。もし俺たちが自分たちの活動のために大衆を犠牲にするようになったら、ただの犯罪者の一味とみなされるだろう。目的がどんなに高邁でも。挙句のはてに、俺たちも自分たちのことをただの犯罪者だと自覚するようになってしまうのだ。
ヘンリーは俺たちのイデオロギーの行く末のすべてを見据えている。不適切なことがあれば、けっして許さないのだ。

このようなやり方は現実的でない話のようでもある。だが、彼はおそらく正しいとおもう。俺たちの信念を、日々に俺たちをみちびく生きた信条へと変えなければ、前途に横たわる数々の障害と苦難を克服する、意志の強さを保つことができない。

もしも酒屋を襲いたいのならば、絶対に社会的に目立たないやり方でおこなわなければならないとヘンリーに説得された。人の頭をレンガで叩き潰せば、俺たちはそれだけの人間に成下がるのだ。
電話帳のイエローページに載っている酒屋のリストと、ボランティアとして送りこんだ女がくすねてきた、北バージニアヒューマン・リレーションズ評議会の支援メンバーのリストを見比べると、バーマン氏の蒸留酒とワインへと最終的に決着した。バーマン氏とは店の主人である。
手ごろなレンガはなかったので、長くて丈夫なスキー用靴下へちょうどいい大きさのアイボリー石鹸を詰めたブラックジャック(手製の棍棒)を装備した。ヘンリーも鞘入りナイフをベルトに差した。
バーマンの酒屋から一ブロック半離れている角に駐車した。俺たちが入店したときに客はいなかった。一人の黒人がレジで店番をしていた。
カウンターのむこうにある高い棚の上のウォッカを一瓶、ヘンリーが注文した。黒人が背後の棚へ振り向いたときに、俺の"アイボリースペシャル"を頭蓋骨の底部に食らわせてやった。やつは静かに床に崩れ落ちて、動かなくなった。
ヘンリーが落ち着き払った挙動で、カウンター下の大きい紙幣が詰まった葉巻入れとレジスターの中身を空にした。歩いて店を出て、車に向った。800ドルと少々を手に入れた。驚くほど簡単に。
三軒先の店でヘンリーが突然止まって、ドアの文字を指さした。"バーマンの惣菜屋(Berman's Deli)" 一瞬のためらいもなく、ヘンリーはドアを押し開けて入店した。突然のむこう見ずな行動に触発されて、制止するのではなく後に続いた。
バーマン本人が店の奥のカウンターのむこうにいた。ヘンリーは、バーマンからはよくみえない、店先にある品物の値段を聞いて彼を誘い出した。
俺の脇を通り過ぎるときに、精一杯の力でバーマンの後頭部を打った。打撃の衝撃で固形石鹸が砕けるのを感じた。
バーマンは絶叫しながら倒れた。そして、店の奥に向かってすばやく這って移動をはじめた。死人も飛び起きるにちがいない大声でわめきながら。俺は叫び声に気圧されて呆気に取られてしまい、立ち尽くしてしまった。
だがヘンリーはちがった。バーマンの背中に飛びかかって髪の毛をつかみ、彼の喉を耳から耳まで一気に切り裂いた。目にもとまらぬ早業で。
静寂は約1秒しか続かなかった。太って不細工な、60才くらいの女――おそらくバーマンの妻――が、肉切り包丁を振りかざして耳をつんざく金切り声を発しながら、奥の部屋から突進してきた。
ヘンリーは彼女に漬物の大きな瓶を投げつけて、直撃させた。割れたガラスと漬物の山のなかに彼女は倒れた。
ヘンリーはレジスターの中身を空にしてから、ここでもカウンター下の葉巻入れを探して発見し、札束をつかみ取った。
俺はわれにかえって、デブ女がまたキーキーとわめき始めたのでヘンリーを追って正面のドアから出た。俺が路上で走らないように、ヘンリーが腕を伸ばして制止しなければならなかった。
歩いて車にもどるまで、15秒くらいはかかった。それは大した時間でないが、もっと長くかかった気がした。俺は震えあがっていた。震えが止まってどもらずにしゃべれるようになるまで、一時間以上もかかった。テロリストじゃないか!
結局、俺たちは1426ドルを手に入れた――俺たち四人の食料と生活物資が二か月以上は買える金だ。だが、そこで決まったことがある。ヘンリーが一人で、もっとたくさんの酒屋を襲ってくることが。俺にそんなことができる神経はなかった――バーマンの絶叫を聞くまで、自分は完全に正しいことをやっていると信じていたのだが。

9月19日。自分が書いたことを見直してみると、こういうことが本当に起こったと信じがたい。二年前の「銃の強奪事件」まで、俺の人生は今時のだれもがそうしているように平凡なものだった。
逮捕されて研究所での地位を失ったあとでさえ、コンサルティングの仕事をしてこのあたりの二軒の電子技術研究所で特別職にありつけば、まだ他人と同じように上等な生き方ができた。俺の生活の平凡でない部分は"組織"での活動だけだった。
いまはなにもかもが混沌としていて、先が見えない。将来についてかんがえると、暗澹としてしまう。なにが起こるかを知るのは不可能だが、以前に享受していた、平穏で規則正しい生き方にもどるのは絶対に無理なことははっきりとしている。
俺が書いているのは、どうやら日記の書き出しらしい。この日記のおかげで、毎日なにが起きたかと俺がなにを考えたかを書いておくことができる。いろんな物事や規律に焦点を当てて、自分をしっかりと保つ助けになって、このあたらしい生き方に順応させてくれる。
かつて最初の夜にあんなにワクワクしていたのが滑稽だ。いまは心細い気持ちしかない。明日、舞台装置が変われば、俺の将来への見通しもマシになってくれるだろう。ヘンリーと俺は銃を取りにいくためにペンシルバニア州へ車を飛ばし、ジョージとキャサリンがもっと生活しやすい居場所を探してくれる。
今日は旅の支度をした。もともとの予定では、ベルフォンテという小さな町へは公共の移動手段を使い、隠し場所の林までの最後の六マイルは徒歩で行軍するはずだったが、俺たちはすでに代わりになる車を持っている。
往復するのに必要なガソリンはせいぜい5ガロンだと見積もった。しかも、すでに燃料タンクに入っているのだ。用心のために、アレクサンドリアのタクシー会社の管理者が横流しをしてくれる、5ガロンのガソリン缶を二本買っておいた。
ここ数年で配給が増えるほどに、あらゆる種類のけちな不正も増えた。おもうに、数年前のウォーターゲート事件が明らかにした、政府内のおおがかりな汚職が国中の人々に知れ渡るようになっている。大物の政治家たちはうさんくさい連中だと理解するようになれば、自分たちも"システム"をすこしは出し抜いてやろうと国民も考える気になる。あたらしい配給制度のお役所仕事が、ある傾向を悪化させた――官僚制度のあらゆる階層における、非白人の比率の上昇。
"組織"はこの腐敗のおもな批判者のひとつだったが、その腐敗が俺たちにとって有利に働くのはあきらかだ。だれもが法律にしたがって万事を規則どおりにおこなっているならば、アンダーグラウンドのグループが存在するのが不可能に近くなるだろう。
ガソリンが買えないだけではない。"システム"が俺たち民間人の生活をますます包囲しつつあって、あまたの官僚的な障害物が俺たちにとって手ごわいものになっている。地方公務員への賄賂や、判事や高級官僚に机の下で受け渡しされるドル札が政府の規制をかいくぐらせてくれなければ、身動きが取れない。
最近のアメリカの大衆のモラルはバナナ共和国に近づいていて、俺たちにとって御しやすくなりつつある。もちろん、だれもが賄賂をもとめてくるので金がたくさん必要になるのだが。
落ち着いて概観してみれば、これは暴政というより、政府の転覆につながる腐敗だと結論せざるを得ないだろう。活力がある力強い政府ならば、どんなに抑圧的でも、革命を恐れる必要がふつうはないものだ。だが、非効率で腐敗した退廃的な政府ならば――たとえ慈悲深い政府でも――つねに革命の呼び水をかかえている。俺たちが戦っている"システム"は抑圧的でもあり腐敗してもいる。その腐敗を神に感謝すべきだろう。
新聞が俺たちのことについて沈黙しているのは気がかりだ。先日のバーマンの件すら、俺たちと結びつけられていなかった。今日の新聞で小さい記事が一つあっただけだった。ああいう類の強盗は――そこで殺人があっても――とてもありふれたことに最近はなっており、交通事故よりも注目される価値がなかった。
しかし、先の水曜日に政府が"組織"の(全員に近い)既知のメンバー2000人の大規模な一斉検挙に踏み切ったことまで新聞屋の指をすり抜けて視界から消えてしまったらしい――なぜ新聞に載らない。メディアは当然のこととして秘密警察と密接に手を組んでいる。俺たちにたいしてどういう策略を弄しているのか。

昨日の新聞の後ろのページにあるAP通信のちいさな記事で、シカゴで9人、ロサンゼルスで4人の"レイシスト"が水曜日に逮捕されたことに触れられていた。記事によると、逮捕された13人はおなじ組織のメンバーである――あきらかに俺たちのことだ――しかし、それ以上の詳細は載っていない。いったいどういうことだろう!
一斉検挙の失敗について黙っていることで政府に恥をかかせないようにしているのか。あいつららしくもない。
もしかしたら、やつらは俺たちが一斉検挙をやすやすとすり抜けているという一種の誇大妄想を抱いているのかもしれない。大衆のなかの確固とした集団が俺たちに同調して手助けをしているかもしれないと危惧しているので、俺たちの同調者を刺激することを言わないようにしているのかも。
この偽りの"平常営業"のアピールに乗ってうっかりと警戒を緩めないように用心しなければいけない。秘密警察は俺たちをみつけだす突貫計画を進めていると確信するべきだろう。ネットワークが完成して、悪ガキどもがなにを企んでいるのかについて内通者から定期報告を受け取ることがまたできるようになれば安心できるのだが。
いっぽうで、俺たちの安全はおもに容姿と身元の変更にかかっている。全員が髪型を変えて、髪の染色か脱色をした。俺はいままでのフレームレスの眼鏡にかわってしっかりしたフレーム付きの眼鏡をかけはじめた。キャサリンはコンタクトを眼鏡に変えた。ヘンリーは顎髭と口髭を剃りおとして、いちばん大胆な変身を遂げた。そして全員がよくできた偽造運転免許証を手にした。もっとも、政府の記録と照合されればおしまいだろうが。

だれかが先週の強盗のようなことをしなければいけないときは、キャサリンが変身術を施して一時的な仮の身元をあたえてくれる。そのために、彼女は鼻の孔と口内に装着して顔の構造――および声までも――を変えてしまうプラスチック製の装具とウィッグを所持している。着け心地がいいとはいえないが、一度に二時間は我慢できる。俺も必要とあらば、しばらく眼鏡を外して活動してみせる。
明日は、長く、過酷な日になるだろう。

三章

1991年9月21日。全身の筋肉が痛む。昨日は林のなかで、行軍と穴掘りと武器が入った荷物の運搬に10時間も費やした。今晩はすべての生活用品をいままでのアパートから新しい隠れ家に移した。
昨日の正午すこし前に、ベルフォンテ付近で高速道路を外れて脇道に入ったときのことだ。物資の隠し場所まで車でできるかぎり接近したのだが、三年前に使っていた古い鉱山道路は通行できなくなっていて、そこから1マイル以上先の駐車するつもりだったところへは行けなかった。道路の上の斜面が崩落していて、開通させるにはブルドーザーを要した。

(読者への注意:この日記を通して、ターナー氏は度量衡について、いわゆる"英語圏特有の単位"を使っている。旧世紀の最後の数年間の北米ではまだ一般的に使われていた。なじみのない読者に説明しておくと、"1マイル"は1.6キロメートル、"1ガロン"は3.8リットル、"1フィート"は0.3メートル、"1ヤード"は0.91メートル、"1インチ"は2.5センチメートル、"1ポンド"は約0.4キログラムに相当します)

そういうわけで、陽気な俺たちは半マイル歩くかわりに、2マイル近くもハイキングをする羽目になっちまった。おまけに、すべての物資を車に積み込むために三往復もしなければならなかった。ショベルとロープ、大型の粗布の郵便行嚢(アメリカ合衆国郵便公社から失敬させてもらった)を二袋。だが、結局、これらの道具は泣きたくなるほど、任務の役に立たなかった。
ワシントンからのながいドライブの後で、車から隠し場所まで肩にショベルをかけて歩いていくのはじつに気分がよかった。天気は涼しくて快適で、秋の樹林は美しかった。古い未舗装の道路には草がぼうぼうと茂っていたが、歩きやすかった。
武器を封入してあるドラム缶(蓋が取りはずし可能な50ガロンのケミカル缶)を掘り出すのもそれほどひどい仕事でなかった。地面がとてもやわらかくなっていて、深さが5フィートの縦穴を掘ってからドラム缶の蓋に溶接してあるハンドルにロープを結ぶのに一時間もかからなかった。
そのとき、問題がおこった。二人がかりで力の限りにロープをぐいと引っ張ったが、ドラム缶は一インチたりとも上がらなくて、まるでコンクリートに埋まってるみたいだった。
三年前は、満杯で400ポンド近くあったドラム缶を二人がかりで穴に下ろすのは無理な仕事でなかった。そのときはもちろん、ドラム缶のまわりに何インチか隙間があった。いまは土が固まっていて、金属の筐体をきつく締付けていた。
ドラム缶を穴から取り出そうとあがくのを諦めて、その場で開封することにした。さらに一時間近くかけて穴掘りをして、縦穴を大きくした。ドラム缶上部のまわりを数インチ掘って、蓋をロックしているバンドまで手が届くようにした。そこまでしても、ヘンリーに両脚を持ってもらいながら、俺が穴に頭から突っ込まざるをえなかった。
ドラム缶の外側には腐食を防止するためにアスファルトが塗られていたのに、ロッキングレバーはすっかり錆びついていて、一本しかないドライバーでこじ開けて緩めようとしたら、折れてしまった。悪戦苦闘の末に、ショベルの先端を使ってやっとのことでレバーをこじ開けることができた。バンドが緩められたのに、依然として蓋はしっかりと閉まったままだった。どうやら、俺たちが塗布したアスファルトコートによって固定されてしまったようだった。
狭くるしい穴の中で上り下りする作業は厄介なものであって、体力をひどく消耗した。蓋の縁の下のところを掘削して蓋をこじ開けるのに向いた道具はなかった。最終的に、やけくそに近い気持ちで、蓋のハンドルにもう一度ロープを結んだ。ヘンリーと俺で一息に引っ張ったら、蓋がポンと音を立てて開いた!
それからは、また俺が穴に頭を突っ込めばいい話だった。一本の腕でドラム缶の縁をつかんで姿勢を保ちながら、丁寧に梱包された武器の束を自分の身体ごしにヘンリーに渡した。弾薬の缶が計六つ入っている大型の束については、どれもこの方法で取りだすには重くてかさばりすぎるので、ロープで引っ張り上げることになった。
いうまでもないことだが、ドラム缶を空にしたときの俺はクタクタで精魂が尽きていた。腕が痛み、脚はフラついて、着衣は汗でびしょ濡れだった。しかし、俺たちはまだ、300ポンド以上の武器弾薬を抱えたままで1.5マイルの密林と上り坂の道をぬけて、さらに1マイル以上も歩いて車にもどらなければならなかった。
荷物を適切に梱包してそれぞれが分担して背に背負っていけば、一往復ですべて運び終わったかもしれない。二往復するよりも楽になっただろう。だが、使いにくい郵便物用のずだ袋が一枚だけでは手に持って運ばざるをえず、耐え難い苦しみに耐えながら三往復もするはめになった。
百ヤードかそこらでいちいち立ち止まって、荷物を一分間降ろさざるを得なかった。最後の二往復は完全な真っ暗闇のなかをすすんだ。日中の作業を想定していたので、俺たちは懐中電灯を持ってきていなかった。これから将来に計画する作戦ではもっとマシな仕事をしないと、とんでもないことになるだろう!

ワシントンに帰る途中、ヘガーズタウン近郊の道端の小さなカフェで停車して、サンドイッチとコーヒーを注文した。店内には1ダースくらいの人間がいて、俺たちが入店したときに、カウンターの背後のテレビで午前十一時のニュースがはじまっていた。そのニュース番組を俺が忘れることはないだろう。
その日のビッグニュースは、"組織"のシカゴでの動向だった。"システム"はどうやら俺たちのメンバーを一人殺したようだが、俺たちもやつらを三人殺してやって、それから派手な――そして優勢な――銃撃戦を当局と演じた。ニュース番組全体がほとんどこの事件の詳述で終始していた。
先週に九人のメンバーがシカゴで逮捕されたことを俺たちはすでに新聞で知っていた。どうやらクックカントリー刑務所でひどい扱いを受けているらしくて、一人死んでしまった。テレビのアナウンサーが言ったことから何が起こったかを正確に理解するのは無理だったが、もしも"システム"が本当にその通りのことをしているのならば、当局は黒人がウヨウヨしている監房に俺たちを一人ずつ押込んでは、その結果として起こったことに見ないふりをしていることになる。
俺たちを法廷に突き出すためになすりつける罪がみつからないときに、"システム"が超法規的方法で処罰をおこなうようになったのはだいぶ前からだ。中世の拷問部屋やKGBの地下室でおこなわれたあらゆる虐待よりも不気味でぞっとする話だ。メディアは進行している事態を認めようとすらしないので、追及を免れている。やれやれ、結局のところ、本当に人種間に差はないといって大衆を説得することができるのならば、白人でいっぱいの独房に閉じ込められるのは黒人の独房に閉じ込められるよりマシであることをどうやって否定するのだ?
そういうわけで、俺たちの人間――ニュースキャスターはカール・ホッジスだと言っていたが、俺も名前を聞いたことがある――が一人殺されたあとのある日、シカゴの"組織"が、仲間がシカゴの監獄で見過ごすわけにいかない虐待を加えられた場合にという条件付きで一年以上前に交しあった約束を履行した。クックカントリーの保安官をやつの自宅の外で待ち伏せして、ショットガンで頭を吹っ飛ばしてやってから体に貼り紙を残してきた。”これはカール・ホッジスの分だ。”
それが先週の土曜日の夜のことだ。日曜日には"システム"が怒りに燃えた。クックカントリーの保安官は、一流のシャボス・ゴイ(訳注:ユダヤ教徒が安息日に禁じられていることを代行するために雇われた異教徒)であり、政治的に影響力がある人物だったので、ばかばかしいほどの騒ぎになった。
日曜日に、ニュースはシカゴ地区でしか放送されなかったにもかかわらず、コミュニティの要人が何人も駆り出されてテレビに特別出演し、保安官の暗殺と"組織"をはげしく非難した。スポークスマンの一人は"責任ある保守主義者"であり、べつの一人はシカゴのユダヤ人コミュニティの代表だった。全員が、"組織"を"偏狭なレイシストのギャング"だと語り、保安官を殺したレイシストを捕縛するために秘密警察に協力するように"すべての正義感あるシカゴ市民"へと呼びかけた。
まあいい、今日の早朝に、責任ある保守主義者は車の点火装置につながれた爆弾が炸裂して両足を失い、深刻な内臓の損傷を負った。ユダヤ人の代表者にいたってはもっと運がなかった。彼がオフィスのビルのロビーでエレベーターを待っているときに何者かが歩み寄って、手斧をコートの下から抜いて善良なユダ公の頭部を脳天から肩甲骨まで断ち割ってから、ラッシュアワーの人ごみに消えた。"組織"は二人のおこないにたいして速やかに責任を取らせたのだ。
それによって、事態はますます白熱した。イリノイ州の知事が州軍の兵士をシカゴに呼んで、警察とFBIが"組織"のメンバーを狩るのを支援させた。今日のシカゴの通りで無数の人々が呼び止められて、身元を証明するようにもとめられた。"システム"の偏執狂っぷりがあらわになっている。
今日の午後、三人の男がシセロ市のちいさなアパートで追い詰められた。ブロック全体が兵士に包囲されてしまって、罠にかかった男たちは警察と銃撃戦を繰り広げた。TVクルーがそこら中にいて、獲物を逃すまいとして必死だった。
男たちの一人は狙撃銃を持っているようだった。というのも、二人の黒人警官が気付きようのない一ブロック以上先から狙撃されたが、制服を着た白人警官たちは撃たれなかったのに、黒人だけが標的にされていたからだ。この白人特権は私服の秘密警察にまでなぜか適用されないらしくて、FBIの捜査官が窓越しに催涙弾を投擲しようとして一瞬だけ暴露した際にアパートからのサブマシンガンのバースト射撃によって殺されている。
俺たちはこの活劇をテレビスクリーンで固唾をのんで見守っていたが、強襲されたアパートがもぬけの空だと判明したのが一番の衝撃だった。建物内の全部屋を迅速に索敵しても、銃を持った男がみつからなかったのだ。
この結末が想定外の失態だったことはテレビの報道マンの発言によってあきらかだ。だが、"レイシスト"が逃げおおせたらしいと発表されたときに、カウンターで俺たちの反対側の端に座っている男が口笛を吹いて拍手をした。ウェイトレスがにっこりと微笑みだして、これは俺たちの目にはっきりとしていたように見えたのだが、シカゴの"組織"の活動について満場一致の賛同がたしかにそこにあった。不賛成はなかった。
まるで"システム"がこの反応を予測していたかのように、ニュースがワシントンに切り替わった。連邦政府の司法長官が特別記者会見を招集していた。司法長官は国民にむかって、連邦政府はすべての警察官を投入して"組織"を根絶するために尽力していると発表した。俺たちのことを、"システム"によってこれまで築かれてきた"真の平等をめざす進歩の歩み"を無にしようとする、ただの憎悪によって動機づけられた、"邪悪なレイシストの犯罪者たち"だと述べた。
"レイシストの陰謀"を打ち破るために、全市民が持ち場について政府を支援するように通知された。不審な行動をする人間がいないか目をとがらせて、とくに見知らぬ人間を警戒し、最寄りのFBIかヒューマン・リレーションズ評議会へとただちに報告するべきことになった。

それから、司法長官はとんでもないことを言い出した。"システム"がどれだけ焦っているのかを物語る話だ。彼がいうには、俺たちに関する情報を隠し立てしたり俺たちに便宜を図ったり援助をした市民はだれでも"厳しい処分を受けるだろう"と。それは彼自身の言葉だ――ソヴィエト連邦ならばだれも驚かない種類の話だが、ほとんどのアメリカ人の耳には不穏な響きとともに残るだろう。メディアが細心の注意をはらって、取り繕うためのプロパガンダに邁進しようとも。
シカゴで仲間が危険を冒してやったことは、司法長官の心理的な大失敗をまねいたことで十二分に報われた。"システム"に奇襲をしかけて動揺を誘う意義もこの事件で証明された。もしも"システム"が冷静さをたもって、シカゴでの俺たちの行動にたいしてもっと注意深くかんがえて対応していたら、俺たちに何百人もの新メンバーをもたらしてくれた大失敗が避けられただけでなく、俺たちと戦ううえでもっと広範な大衆の支持を勝ち得る道がひらけたかもしれない。

火曜日の夜(つまり今夜)に"レイシストの陰謀"についての一時間超のスペシャル番組が放送されることを告知して、ニュース番組はおわった。そのスペシャル番組をちょうど観おわったところだが、ひどい番組だった。間違いと、露骨な捏造と、説得力のない話ばかりだと俺たちは全員感じた。だが、一つだけ確かなことがあった。メディアの報道管制がなくなったということだ。"シカゴ"は"組織"をまたたくまに有名にして、国内のどこに行っても確実に俺たちが話題をかっさらっているようにした。
昨夜のテレビのニュースがおわったときに、ヘンリーと俺は食事の最後のひとかけを一気に飲み込んでから、外によろめき出た。俺は感情で胸がいっぱいになっていた。興奮。シカゴの仲間の成功をおもう高揚。全国的な捜査網の標的の一人になった焦燥感。ワシントン地区の俺たちの部隊がシカゴの部隊に後れを取っている悔しさ。
なにか行動をしたくてうずうずしていた。心に浮かんだ最初のことは、あのカフェで俺たちに共感している様子だった人たちになんらかの接触を図ってみることだった。車からビラを持ってきて、駐車場に停まっているすべての車のワイパーの下に挟み込んでおきたかった。
いつも頭脳が冷静なヘンリーがきっぱりとそのアイディアを却下した。積み荷の武器を部隊へ無事に持ち帰るという現在のミッションを完遂するまえに注目を浴びてしまいかねない明々白々な愚行だと、車のなかで説明してくれた。そのうえさらに、ささいなことではあるが、秘密部隊のメンバーが直接的な勧誘活動に従事するのは"組織"の規律への裏切りだと気付かせてくれた。その仕事は"合法的な"部隊に一任されている。
秘密部隊は、過去の逮捕によってマークされて、当局に知られたメンバーによって構成されている。彼らの仕事は、直接行動をもって"システム"を滅ぼすことにある。

"合法"部隊は、今のところ"システム"に割れていないメンバーによって構成されている。(彼らがメンバーだと証明するのは実際に不可能に近い。共産主義者の本を参考にさせてもらった)彼らの役割は、機密情報、財源、法的弁護、そのほかの支援を俺たちに提供することである。

"非合法"部隊が有望な新兵に目星をつけたら、"合法"部隊に情報をまわして、その人物に接触してさぐりをいれてもらうことになっている。"合法"部隊は、ビラをまくような、低リスクのプロパガンダ活動にも専従することになっている。厳しくいうと、俺たちは"組織"のビラを所持していることすらよくない。
俺たちはシカゴのメンバーの逃亡に拍手を送っていた男がくるのを待ってから、ピックアップトラックに乗り込んだ。彼の車のそばを車で通りすぎて、駐車場から出るときに彼の車のナンバーを確認した。ネットワークが完成したときに、適切な人物に情報がわたされて追跡調査がおこなわれる。

アパートに帰着したときに、ジョージとキャサリンが、ヘンリーと俺とおなじくらい興奮していた。彼らもテレビのニュースを観たのだ。俺は一日中あれだけ苦労したにもかかわらず、ジョージとキャサリンよりも寝つきがわるかった。しまいには四人で車に飛び乗って、ジョージとキャサリンには油まみれの罪と後部座席をともにさせて、夜通しのドライブに出かけた。車内にいれば、疑われることなく安全に会話をすることができたので、俺たちはそうした――早朝までずっと。

決まったことの一つは、ジョージとキャサリンが昨日みつけたあたらしい居場所へすみやかに移動することだ。古いアパートはまったく不便だった。壁がとても薄くて、隣人たちに盗み聞きされないようにささやき声でしゃべらなければならなかった。それに、俺たちの不規則な生活時間のせいで、俺たちがどうやって生計を立てているのか隣人たちにすでに怪しまれているに決まっていた。"システム"がうさんくさい風体の不審者を見かけたら報告するように警報を出していたので、プライバシーがとぼしい場所にいつまでもいるのは、だれがみてもデンジャラスだった。
あたらしい居場所は、賃貸であることを除いて、ずっとすぐれていた。建物全体がまるごと俺たちのものだった。以前は小さな機械工場が一軒だけ入っていたコンクリート製の商業ビルであり、一階は車庫のようになっていて、事務室と倉庫が二階にあった。
このビルは使用が禁止されていた。というのも、この四年間でずっと計画段階にある高速道路への進入路の建設予定地に位置していたからだ。昨今の政府のあらゆるプロジェクトとおなじように、この計画も暗礁に乗り上げていた――おそらく永久に。高速道路を新造するために何十万人も雇用されているはずだが、じっさいにはなにも建設されていない。この五年間で国中の道路がどんどん劣化していて、しかも、修繕の業者があちこちに立っているのになに一つとして補修された気配はない。
政府は、高速道路のために使用が禁じられた土地の買収を中止しようとすらしていないので、土地の所有者が貧乏くじを引かされている。法的に、所有者はこのビルを貸すことが許されていないのだが、どうやら市役所のだれかと相談したらしい。ビルの占有者の記録が存在しないのが俺たちの優位点である――警察はソーシャルセキュリティ番号を知らないし、国の建築検査官と消防署長の検査がこない。ジョージが所有者に毎月600ドルを支払う――現金で。
所有者はなまりがきつくて年を食ったしわだらけのアルメニア人だが、ジョージがみたところ、俺たちがビルで違法な薬物を製造しようとしているか盗品を保管しようとしていると思い込んでおり、詳しいことを知りたがっていない。ならば嗅ぎまわりに来ないだろうから、いいことだと思う。
ビルの一帯は、ほんとうに地獄のような場所にみえる。ビルの三方向が、たわんで錆びついた金網フェンスに囲まれている。地面には廃棄された給水機、むき出しのエンジンブロック、いろいろな錆びついたガラクタがたくさん転がっている。正面のコンクリートで舗装された駐車場は破損していて、クランクケース油で黒くなっている。ビルの前には片方が外れかけの巨大な看板が一枚建っていて、「溶接と機械加工 J.T.Smith&Sons」と書かれている。一階の窓ガラスの半分はなくなっているが、すべての窓が内側から雑に板でふさがれている。
近隣はすっかり薄汚れた軽工業地区だ。俺たちの隣の建物は小さなトラック運送会社の車庫と倉庫であり、夜間になるとトラックがひっきりなしに行き来している。これなら、俺たちが変な時間にこのあたりを車で走行していても、警察官に怪しまれることがないだろう。
そういうわけで引っ越しを決めて、今日に実行した。このビルには電気と水、ガスがなかったので、ほかのメンバーが物資を運んでくるあいだに、暖房と照明、水道の問題を解決するのが俺の仕事だった。
水道を復旧するのは簡単であり、水道メーターを設置して蓋を取るだけだった。水道を開通させてから、重いガラクタをいくつか水道メーターの蓋の上へとずらしておいた。これなら、水道会社の人間が見にきても、メーターが見つけにくいだろう。
電気の問題はもっと難しかったが、うまく解決できた。電柱からビルに電線がまだつながっていたが、外壁にあるメーターが現在は止められていた。メーターの後ろの壁へ屋内から慎重に穴をあけて、それからジャンパー線を端子につないだ。この日の作業で上出来の部類だった。
あとは、一階の窓をおおう板の隙間をすべて丹念に塞いで、上階の窓に段ボールを鋲止めする作業で一日がおわった。これで夜間に建物の中の光が外にもれない。
まだ、ほかの場所から持ってきたホットプレートより性能がいい、暖房と台所設備がなかった。だが、すくなくともトイレは機能しているし、俺たちの居住空間は我慢できる程度にきれいだ。物がなにもないが。しばらくは床に寝袋で寝ることができる。数日中には、電気ヒーターを二台とほかのアメニティを買ってこよう。

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