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2024年岩代・下野・陸奥巡礼旅行~後半~宇都宮・日光・棚倉・仙台大観音

七月六日 土曜日 白石市→宇都宮市→日光市→郡山市

当初の予定より早くスタンプラリーを完走してしまったので、空いたこの日は宇都宮と日光の寺社を回ることにした。

白石蔵王駅の観光案内所にいるきりたんのパネル。
時間の都合でちゃんと撮影できなかったのが、今回の旅の唯一の心残りである。

白石蔵王駅から新幹線に乗って、栃木県の宇都宮市に急行した。ここには下野国一宮の二荒山神社がある。

下野国一宮 宇都宮二荒山神社

白石市と打ってかわって、宇都宮は雑然とした都会である。人の活気がある町を歩くほうがやはり安心できる。田舎は歩くだけで気が滅入ってしまう。

バスを降りてすこし歩くと、ビルディングのはざまに朱い鳥居があらわれた。鳥居の先にはながい石段がある。
宇都宮駅から歩いてでも来られる距離だった。都会の真ん中にある一宮は交通の便がよくて、巡礼者にとってありがたい。

「水無月の~夏越の祓~する人は~千歳のいのち~延ぶというなり~」
呪文を唱えながら、蜂になったように八の字を描いて回った。

真言宗智山派 玉生山能延寺

歩いて宇都宮駅までもどりながら、道々にあるお寺を拝観した。

真言宗智山派 玉生山生福寺

能延寺からほど近いところにもう一軒の真言宗智山派のお寺をみつけた。宇都宮は真言宗がおおいのだろうか。

女性(住職の奥さん?)から、蓮の実を使ったお守りをいただいた。お寺参りを通じてささやかな人の縁ができたありがたみこそ、仏の利益に違いない。

天台宗 光明山 摂取院 寳蔵寺

駅はもうすぐそこというところまできて、天台宗の寺院をみつけてしまった。電車の時間が迫っていたのだが、大正義の天台宗はめずらしいのでお参りせずにいられない。

ご朱印は書置きを勝手にお金をおいてとっていくようになっていた。コロナ禍のときのやり方を続けているらしい。あとで日付を自分で加筆した。

おや、この祠は…
まるで夫婦のように鎮座しておられる。

日光市

宇都宮でお寺参りに熱が入りすぎて電車を一本逃したが、日光へ問題なく到着した。バスに乗って、日光二荒山神社と隣接する東照宮へむかった。

下野国一宮 日光二荒山神社

左手には徳川家光公の霊廟があり、
正面に日光二荒山神社の鳥居がある。


日光二荒山神社は縁結びに力を入れている。東照宮の隣という重厚な立地にしては艶がある。わたしには無用のご利益であるが。

大国主命が助けたウサギは
八上姫との結婚を予言した。


手持ちの小銭をじゃぶじゃぶと洗わせてもらった。「洗ったお金は、福銭として大切にお持ちください」と案内板に書かれているが、すべてこの日のお賽銭に消えました。

陰影のせいで妙にすごみがあるネズミになった。
天井画がすばらしい。
一つも入らなかった……
東照宮のみならず、この二荒山神社も
けっこうな見ものだった。
こっそりと置かれていた、謎の巫女さんキャラ。

「温泉むすめ」や「鉄道むすめ」がある世の中だから、全国の神社で連携して「巫女むすめ」を展開してくれないだろうか。神社文化はいま熱いので、そんな企画もどこかが通してくれそうだが。

東照宮

二荒山神社からそのまま東照宮に移動した。天照大神と対峙する東照大権現となった徳川源家康公を祀った霊廟が御維新を経た現在に至るまで健在を保っているのは家康公の遺徳があればこその僥倖に相違ない。智仁勇を兼備したる家康公こそ神州が肇りしより有数の名国主である。悠久の皇運の行く末を思うと、その烈烈たる偉勲を国家経営の範として仰ぐに若くはなし。

海外からの観光客がたくさんいた。

著名な日光東照宮を目撃して真っ先に出た感想は……

「日光をみずして結構というなかれ」というコピーだった。どこもかしこも煌びやかで色彩が陸離としていて、つい二日前にみた瑞鳳院のようだった。古びて痛んでいる建物がおおいが、往時の壮麗さはいまだ伝わる。


天井画
白黒金のコントラスト
いくら見ても飽きないと称される造形
奥宮に至る石段

家康公の墓所で手を合わせた。遺骸は静岡県の久能山の東照宮にあると主張する人々もいるようだが、そんなのはどうでもよい。亡き英雄の影はいずこの墓所でもわが耳目によみがえる。

東照宮のご朱印である。
あれだけ華麗なお宮なのに、かなしいほどにシンプル。

日光山輪王寺

二荒山神社と東照宮とならぶ霊場である輪王寺を拝観した。東照宮にも劣らない威容に慄然とさせられた。内部は撮影できなかったが、めったにお目にかかれない大きなる仏様が日々に供養を受けている、日本仏教の衰えない活力に恐れ入った。

東日本で最大の木造建造物らしい本堂。

ご朱印はいろいろあったが、いちばん高い『大昇龍切絵御朱印』(1500円)をえらんだ。
室内に立てて飾れる。いい買い物をした。

『湯葉ご膳 さんフィールド』

輪王寺の大護摩堂と本堂の拝観を終えたら、日光山を降りた。まだまだ見るところが残っていたが、胃もたれするのであきらめた。またいつか来る機会があれば、家光公の霊廟に詣でたい。

徒歩で日光駅までもどる途中で、湯葉料理の店に入った。せっかくだから名物料理を味わっていこう。というか、湯葉というものを食べてみたい。

メニューはゆばの刺身とゆば尽くしの定食のみである。

『ゆばの御膳』をえらんだ。

ちいさい珈琲ゼリーのなかに湯葉が入っている。

初めて食べた湯葉は、ただの油揚げのようなものだった。珈琲ゼリーに入れる意味はまったく見いだせなかった。
2200円では高い食事だった。湯葉の学習料を支払った。

郡山市

郡山市に行って、駅に近いホテルに泊まった。

これといって特筆することがないホテルだった。このホテルに三泊する。郡山市自体が無個性だったので、写真を撮りわすれた。郡山は住むにはいいが、観光にまったく向いていない町のようだ。

七月七日 日曜日 郡山市→会津若松市→郡山市

朝早く会津若松市にやってきた。今日は、岩代国一宮伊佐須美神社を参拝してから、会津若松市の観光を楽しむつもりである。

朝7時37分の写真

岩代国一宮伊佐須美神社

バスを降車してすこし歩くと、神社の看板がみえた。

参道の紫陽花
一の鳥居
国幣中社伊佐須美神社

神社に着いたのはまだ午前八時四十分だったが、境内では神社の人たちが清掃をしていた。祭礼が近いらしくて、どこか浮ついた雰囲気もあった。

掃除をしていたおばさんから二千円もする幸運のお守りをセールスされて困った。商魂が逞しい神社である。一宮らしく栄えているのだろう。

あえて花を控えめにした演出に社格があらわれている。

『花手水』
もともと野外での神事で水が使えないときに、
草花や葉についた朝露で手を清めることを
「花手水」と言っておりました。

そうだったのですか。元の意味も雅趣がありすぎて泣けます。

立派な楼門。
小ぶりで質素にみえる拝殿。
なんと、徳川家の相談役の天海様がお植えになった桧があるのか。
茅の輪くぐり
御朱印を頼んだら、待っているあいだにこの木札を渡された。

手書きのご朱印を頼んだら、「ふつうのご朱印」と「オリジナルの字体のご朱印」を選ばされた。「オリジナルの字体」のほうをえらんだが、読めないので普通ののほうがよかった気もする。
こんなご朱印を書いてくれた神社があったという思い出にはなる。

伊佐須美神社を出てから、最寄りのJR会津高田駅まで歩いた。駅で30分以上待つ羽目になったが、まわりには気軽に入れる喫茶店もない。この暑い時分に駅舎の待合室は少々つらいが、やむをえなかった。

会津高田駅から会津若松駅まで戻った。このとき午前十時半。
郡山にもどって明日に行く予定の岩代國一宮の都都古別神社三社を先にまわるプランもあったが、やはりそれはすべて明日の楽しみに取っておくことにして、会津若松の観光をえらんだ。そのほうが楽しい。

飯盛山

バスの座席。
会津若松では至る所で
赤べこをマスコットとしてアピールしていた。

会津若松駅からバスに乗って、飯盛山のさざえ堂にむかった。ここは会津若松城とならぶ会津観光のメッカであり、おなじ山に白虎隊の墓所もある。

土産物屋が左右に並んでいる。

『動く坂道』と称するエスカレーターもあったが、歩いて登った。
気候は暑いが、まだまだ耐えられる程度だった気がする。

アイスで一休み。

山上に白虎隊の墓所があるせいか、食べ歩きが禁止されていた。

ホテルで撮影した。
なんて可愛い…//

土産物屋で『あかべこがーる』という珍獣をみつけた。赤べこを美少女化した神アイディアの産物だ。クリアファイルとアクリルスタンド二種、ストラップがあった。
これは有名になって人気が出るべきだろう。

青き烈士たちの霊に手を合わせた。

会津さざえ堂

らせん型の通路で構成されていて、人とすれちがわずに昇降できるという。

巧みな彫刻が施されている。
建立者の木像

通路の角度はかなり急である。凸凹に足をかけて、ほとんど山登りのように体を持ち上げた。

気風がいい千社札がおびただしく貼られている。
最上階はアーチ状になっている。
絵が奉納されている

古い木造建築なので、歩くとギシギシと鳴る。いつ崩れてもおかしくない気がする建物だが、丈夫なものである。

会津藩殉難烈婦の碑&ローマ市寄贈の碑

ファシスタ党が活躍していたイタリアから
白虎隊に贈られた記念碑。

会津人でもないのに会津戦争の殉難者の忠魂に共感するのは、維新の功績に歴史的実存を頼る現代日本の人間としてしらじらしい振舞いにおもえる。


飯盛山のそばに黒いセブンイレブンがあった。景観のためかもしれないが、会津戦争の殉難者に弔意を表しているようにもみえる。

会津若松街歩き&昭和なつかし館

バスでまた会津若松駅にもどって、駅前の道を歩いて南下した。期待したほどの街並みではなかったが、風情がある建物はちらほらとあった。

最近はやりの昭和レトロのギャラリー
『昭和なつかし館』

広い施設ではないが、一階と二階があった。
二階は昭和初期の店舗と家屋を再現した展示が行われていた。

稼働するジュークボックス。
硬貨を入れると演奏させることができた。

『本丸茶屋』

街歩きと昭和なつかし館が意外と面白くなかった(すまぬ)が、もとより今回の会津観光はおまけなのでこんなものでいいのかもしれない。日光があれだけ濃かったから、会津若松も濃かったら思い出がオーバーフローしてしまう。

昼だから会津若松のご当地料理でも食べたいものだと、飲食店を物色しながら会津若松城にむかって歩いた。
しかし、いい店が見つからないままで城の前についてしまった。ご当地料理でなくても蕎麦屋にでも入れば自分は満足するのだが、いきあたりばったりではいい店が都合よくみつかるゆえがない。

腹ごしらえに窮して、城のそばにある『本丸茶屋』という店に入ってしまった。
店のなかに愛嬌がある犬がいた。店で飼っていたのだろうか。

暑いのにラーメンなどは食べたくなかった。冷たい蕎麦でも頼んでおけば無難だったのだが、なにを血迷ったか、一番高い『さくら丼(馬肉)』を頼んでしまった。

これが『さくら丼(馬肉)』(1500円)

これが馬肉丼である。えらくぱさついて味気ない肉が載っている牛丼だった。1500円で食べるほどのものではなく、いま振り返るとソースカツ丼をえらんだほうがまだ賢明だったはずだ。何がしたかったのかわからん。

どこで食事をするか、事前にもう少し下調べをしておくべきだったか。

会津若松城(復元)

会津若松城(鶴ヶ城)に入場した。第二次世界大戦後に復元された天守閣であり、中身は歴史資料館である。外観だけとはいえ、秀麗ですばらしい。

赤い瓦は寒さに強いらしい。

首が動く赤べこ。

けっきょく、会津若松で一番の収穫は『あかべこがーる』をみつけたことだった。白虎隊と赤べこ(天然痘にかかった牛)という辛気臭いものをごり押ししている会津若松市でむりやり太陽のように明るいものをデビューさせるこころみに拍手を送りたい。このチャーミングさでもっとメディア展開してほしい。展開してくれるといいな。

七月八日 月曜日 郡山市→福島県棚倉周辺→郡山市

この日は、陸奥一宮の八槻都都古別神社、馬場都都古別神社、石都都古別神社を一気に巡る。
郡山駅からJR水都線で南下して近津駅で降りるつもりだったが、乗り過ごしてしまって一駅先の磐城塙駅で降車した。停車してもボタンを押さないと電車のドアが開かない仕様のせいでうっかりしていた。過疎路線の電車は一味ちがう。

午前8時35分。磐城塙駅の前。
なにもない田舎町である。

近津のほうにむかって歩いた。たった一駅分とはいえ、田舎なので距離が結構あった。

ほかに通行人はいなかった。

沿道にはまるでお寺みたいな家がたくさんあった。札幌なら間違いなく寺で通るが、ここではおそらく皆ただの民家だった。地域の歴史の重みを感じた。

どの家も瓦が立派だった。

陸奥一宮 八槻都都古別神社

午前9時23分着

50分近くも歩いて、やっと目当ての八槻都都古別神社に着いた。鬱蒼とした林のなかにあり、古社らしいさびがあった。

社務所。
来るまえは無人かと心配していたが、巫女さんが窓口にいた。
花手水でスタンプラリーをやっていた。
ちゃんと流行に乗っていて安心した。

スタンプラリーをコンプリートするには予定にないお寺に行かねばならなかったが、その余裕はないので参加をしなかった。

拝殿と楼門は朱があざやかであり、"素朴な古社"というイメージを裏切ってくれた。
社殿を補修したいので寄付をお願いしますという旨の掲示が社務所にあった。ご朱印一枚しか献金せずに次の一宮への道を急ぐのが申し訳なかった。

この秘境を訪れることは人生に二度とないだろう。
貴重なご朱印である。


陸奥一宮 馬場都都古別神社

近津で水都線に乗って棚倉にいくつもりだったが、乗り遅れてしまった。最初に乗り過ごしたのが痛い。やむなく、また歩いて棚倉へむかった。

この辺りは畳がある家が多そうだ。

妙にポップなキャラを看板娘にした冷凍食品の自販機ストアがあった。
スイーツ、ラーメン、カレーライスなど色々なものが冷凍で販売されていたが、地元のトマトを買った。これは冷凍でない。

トマトを食べながら歩いて、ついに棚倉に到着した。棚倉城址と馬場都都古別神社がある、のどかだが歴史が深い町である。

馬場都都古別神社の一の鳥居
二の鳥居までの参道にはなにもない。

八槻都都古別神社とおなじく古色蒼然としている。ここも改修する資金はないのだろう。

ちゃんと花手水が設けられている。
どなたの木像だったのだろう。

ここでスクラップをみるまで忘れていたが、棚倉は立花宗茂公が城主をやっていたことがある。訪れることができてよかった。

小祀がたくさんあった。
右手に宮司の自宅があった。

宮司の邸宅の呼び鈴を鳴らしてご朱印をもとめた。おじいさんが出てきて、ご朱印をもらうまえに、とりとめのない話をたっぷりと聞かせてくれた。

話によると、なにやらユーチューバーが出没して迷惑をかけたらしい。わたしも話を聞くのがうまくないので詳しく聞き出せなかったが、こんなに田舎の寂れた神社をわざわざ荒らしにくるとは、売れてないユーチューバーにちがいない。
ずいぶんお話し好きのおじいさんであり、ろくに話についていけないわたしにくどくどと何度も弁舌をふるった。内容はもうなにも覚えていない。

話の途中で、近隣の神社の宮司に就任したというおじさんが挨拶をしにきた。先代はなくなったらしい。

おじさんが帰ってから、おじいさんがまたしばらく喋って、ようやくご朱印帳をもって邸内に引っ込んでくれた。伝統はあるが貧乏な神社を切り盛りして苦労なさっているのだろう。幸ぞあれかし。

朱印の「棚倉」と右下の「馬場」の字で、どの都都古別神社かが識別できる。

棚倉城址

そのまま棚倉城の跡地を見に行った。建物は残っていないが、水堀は残っている。

蛇を発見した。
路上から草むらへとすぐに逃げて行った。
本丸跡

建物は再建すらされていない。そんな金はこの町にないのだろう。

城址内に公園がある。

公園のトイレは城址らしい景観を意識したつくりになっていた。ただの公園のトイレなのだが。

近津神社のご神木だった大ケヤキ

この地の史跡は派手さがないが、郷土への住民のたしかな矜持を感じる。棚倉と周辺に幸あれと願わずにいられない。

『肉の伊勢喜』

肉と惣菜の商店のウィンドウのむこうに、気になる陳列物があった。

スクラップでつくったようなザクⅡ
おなじくエイリアンとプレデター
猫(ぬいぐるみ)

『食彩工房 もみじ停』

昼の十二時半になるので、なにか食べることにした。

なかなかいい雰囲気の店である。メニューも無難だ。地元民とみられる先客のグループもいた。
リュックサックを下ろして、三十分ほど足を休めることができた。

つくね芋のとろろ汁ごはん(1200円)
濃厚な芋と熱々の白飯で滋養分をたっぷりと補給した。
食後のチーズケーキ

店を出てから、宇迦神社をめざして歩いた。

途中でみつけた櫓

浄土宗 大泉山蓮家寺

立派な楼門を備えたお寺をみつけた。浄土宗ならば、ご朱印をもらっておけばよかったかもしれない。

県社 宇迦神社

棚倉城址の周辺では馬場都都古別神社のつぎにめぼしかった宇迦神社を参拝した。由緒を尋ねれば、一人の農夫が大阪から持ち帰ってきた白蛇様を祀ったらしい。

社殿にたどり着くまで少々ながい。この辺りは山だらけだ。

手水場は、自分でバルブを回して水を出すようになっていた。都会の栄えている神社のように近づくだけで水が自動的に出るシステムが実装されていない。
ここでは水が出るだけでたいしたものだと思う。

祭神の宇迦明神にちなんだ狐の置物

ご朱印をもらわなかった。ご朱印ばかりもらうのに疲れた。

正一位愛敬稲荷大明神

拝殿と赤い鳥居がみえる。

宇迦神社の隣に謎の稲荷神社があった。
道路に挟まれた断崖の上にあり、どこから登って参拝すればいいのかわからない。ネットでしらべても参道が見つけられなかったという報告が一件あるのみだった。
気になって調べてみたら、参道をみつけることができた。

この石段が参道である。

石段は草ぼうぼうで荒れている。初見では、登れるのかどうかが心配になる。

石段が朽ちる寸前である。

足もとに気を付けながら登攀していくと、丹を塗った鳥居のトンネルがあらわれた。神秘的、というかむしろ妖しげな趣向がある。石段が草むしているので、夜間ならば肝試しにぴったりだろう。

愛敬稲荷神社

拝殿のなかには資材がごろごろと保管されていた。管理している人たちがどこかにいるのだろう。例祭はあるのか。不思議なお社である。

磐城浅川駅まで

磐城石川駅までまたも歩くことにした。
ラーメン屋の敷地にあった安い自販機でペットボトルを二本買った。一本ではとても足りない。道が長いのだ。

たった百円でお茶と清涼飲料水のペットボトルが買えた。
これで数時間分の水分とビタミンが補給できる。たぶん。
ゴルフ場の芝のように青い田

歩いていては磐城石川までとても到着しないと気付いたので、磐城浅川で水都線に乗った。今日の目的地はもう石都都古別神社のみである。

陸奥一宮 石都都古別神社

最寄りの磐城石川駅で降車すると、下校中だろう学生がたくさんいた。社務所が閉まる時間が迫っていたうえに天気がやや崩れていたので、一宮へ急いだ。

参道の手前に宮司のお宅があって、ご朱印はそこでもらうことになっていた。受付時間は四時までである。
到着したのは三時五十分である。先に参拝していては間に合わないので、ご朱印をさきにもらった。軒下で雨宿りをして待った。

石都都古別(いわつつこわけ)神社という名前のとおり、参道にはさまざまな奇岩が配されていた。石の神社としてセルフプロデュースしているのだろう。
次の電車の時刻が迫っているのでゆっくりと滞在できなかったのが残念である。

カラフルな石のタイル
見ずらいが
奥におおきな岩がある。
門のように巨岩が二つ転がっている。
都都古別の神よ、守り給え、幸え給え。

この神社は墓石屋さんみたいな雰囲気がある。

参道からの眺望。

夕食

郡山駅のうどん屋で『紀州の梅の冷しおろしうどん』と『季節天丼』を食べた。値段は千五百円ほどである。旅行中の食事は蕎麦屋とうどん屋だけでいい。

七月九日 火曜日 郡山市→仙台市→千歳市→札幌市

ホテルをチェックアウトして、二時間かけて仙台までもどった。帰りの飛行機は午後四時なので、それまでに仙台大観音を参拝してくるつもりである。

仙台駅からバスに乗った。少々乗り過ごしたので、戻りのバスに乗って仙台大観音に到着した。

仙台大観音

白亜の観音様がみえる。ローマ教皇がこういう白い服を着ているから、巨大なローマ教皇みたいにもみえる。

背後から。
頭部がみえない。
大黒様に油を注ぎましょう。
ペット供養
喪主からの愛のメッセージが読める。

内部の写真撮影が許されていた。ありがたい。

一階には、十二神将といろいろな観音様の像があった。その数は手持ちの写真でかぞえると、48体。まさに圧巻だった。
これほど多くの仏像が一度に拝観できる場所はそうないだろう。ここに来てよかった。

いろんな武器を持ってたり、いろんなポーズをしている。

平成三年九月一日にタイムカプセルに封入されたものが展示されていた。なつかしい感じの雑誌や商品ばかりだ。

このハウス烏龍茶はパッケージに見覚えがある。こんな箱で烏龍茶と麦茶を昔販売していた。いつの間にか見なくなったようだが。

エレベーターで最上階に上がった。仏舎利かとおもわれる祭壇と布袋様があった。

健康で気になる部分をお摩りくださいとあるが、太鼓腹を摩ってくださいといわんばかりのお姿である。自分は膝と足首の健康が気になっていたが、摩りにくい……

百八胎内佛

らせん階段を降りて、仏さまを拝観していく。幻想的なお堂である。

仏さまは百八人もいるらしい。一人一人にお賽銭をささげて手を合わせるのは骨が折れるが、合掌だけはやってのけねばなるまい。

天鼓雷音如来

形もなく住処もなく、それでいて法を説き、衆生を警悟せしめることがあたかも天鼓の如き存在であると説かれています

聞いたことのない仏さまが色々いるものです。

滝見観音

火抗変成池の身を現し、断崖に坐して滝を見る姿をしています

火の池を湖に変える力をもっているそうだ。

蛤蜊観音(こうりかんのん)

「「独身で貧乏な漁夫が海辺で美しい蛤(はまぐり)を拾ってきて、水瓶に入れて飼っていました。その後、浜から帰ってくると、いつも食事の支度が整っています。のぞいて見ると、蛤が空を脱いで十七、八の美しい娘となっています。次の日、漁夫は蛤が脱いだ殻を隠したため、蛤は娘の姿のままとなり、やがて夫婦になって子供も生まれました」という中国の伝説から生まれた観音さまです」

ううむ、この娘がハマグリ観音様なのか、ハマグリ観音様を拝むと蛤が美少女になってくれるのかわからないが、素晴らしい話である。

主として漁夫の間に信仰されていました。

そりゃ海の男ならば信じずにいられないだろう! なんてわかりやすい信仰だ!この観音様はもっと広く知られるべきである。

文殊菩薩
いわずもがなのお方である。
獅子吼菩薩

獅子吼は決定説或いは無畏音の意味であり、獅子は獣中の王にしてその勇猛恐るるものなきにたとえたるものです

名前のわりに、楽器を持っていて優美なお姿である。

象は調順性にして傷暴なく、大威力あり、善住龍の如きをもっての故にこの儀を現す。

力があるが優しい象さんのごとくあれということだろう。

不動明王

「シヴァ神の呼称のひとつ」であると書かれている。

降三世明王

大日如来の命によって外教の神であるシヴァ神を足で踏みつけて降伏させた、と書かれている。シヴァ神は不動明王でなかったのか。このあとに不動明王になったのだろうか。

多聞天

上階から、如来、観音、菩薩、明王、天部衆の順に安置されていた。こんなにたくさんの仏様を一度に拝んでまわるのは三世に稀なる僥倖であろう。仏教の学習に最適の聖地である。来てよかった!(二回目)

真言宗智山派によって運営されているらしい。真言宗の寺といえば智山派しか見たことがないのだが、ここもか。これだけ沢山の仏様を供養する手広さは真言宗ならではである。真言宗こそ仏教の母だ。

休憩所。闇に慣れた目には蛍光灯がいたいかも。
「またきてね」

ご朱印をいただいたお堂の外には猫がいた。段ボールの上でくつろいでいる。

朱印と日付で仙台大観音だとわかる。

仙台駅でずんだ餡の団子を食べた。さらば、ずんだもんの故郷よ。小豆餡よりもしつこくない自然な甘みを忘れまい。

新千歳空港

16:00-17:20の飛行機に乗って、仙台空港から新千歳空港に降り立った。家には夕食を用意しなくていいと伝えて、空港内で食べた。

三食こういう蕎麦だけの生活がしたい。蕎麦湯が身に染みた。年々そば粉以外の食べ物が口に合わなくなっている気がする。味覚は微量の塩辛さだけでいい。人類は無駄なカロリーを摂取しすぎだ。

帰宅

旅先で購入したもの

東北姉妹、大量のご朱印、あかべこがーる、土産物の食品。ご朱印はかさばらないのでたすかる。もっと東北姉妹のアクスタなどを買えばよかった気がする。ずんだ神社のご朱印×5は必要だったのか。

予定していた一宮のご朱印をすべて獲得した。予定になかった日光東照宮と日光および宇都宮の二荒山神社にも行けた。寺社参拝の旅としては大成功だった。

次は伊勢神宮に行くぞ!






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