「一ノ瀬ユウナが浮いている」における別れの考察
乙一の「一ノ瀬ユウナが浮いている」を読みました。
幼馴染のユウナが急な事故で死んでしまい、悲嘆に暮れていたところ、ユウナが生前好きだと言っていた線香花火に火をつけると幽霊のユウナが現れるという、よくある話です。
線香花火ならなんでもいいというわけではなく、あるメーカーの線香花火でないとダメなのだが、そのメーカーは潰れており、ユウナを呼び出せる線香花火は限られているそうです。
そうなると当然別れを意識するようになり、別れまでに自分の想いを伝えたいというわけです。こうなると御涙頂戴の展開になりそうで、ちょっと面倒くさいです。
ただ、乙一のライトな文章で書かれるとそこまで悲壮感もなく重たくならないので良い感じです。大体途中で喧嘩や誤解で気持ちが離れて、でも最後にはお互いの大切さに気づくという展開が多いので、そういうのはすでに食傷気味なのです。世の中的にはまさにそういう展開を望んでいるのでしょうけど。
特に喧嘩することもなく、仲良く東京旅行なんかしてしまう訳なんですが、ユウナの方は「私のことは忘れて自分の人生を楽しんで欲しい」と言います。この流れもよくありますね。ユウナはここで自分の死を受け入れた訳です。
でも主人公の坊ちゃんはなかなかユウナの死を受け入れられません。なぜかと言えば告白ができないからです。自分の想いを伝えられないままユウナに死んで欲しくないのです。自分勝手な考えです。
さて、東京から帰ると親戚の子供達が大切な線香花火で遊んでしまったらしく、ユウナを呼び出す線香花火が全てなくなっておりました。来ました山場です。
そこから話は数年後に飛びますが、いまだにユウナのことが忘れられない主人公は特に目的もないまま毎日を過ごしておりました。周りはどんどん結婚していきます。この展開もよくありますね。
そんな中、小学生の時に埋めたタイムカプセルを掘り返すというイベントがあり、ユウナのカプセルから線香花火が1本だけ出てくるのです。胸熱な展開です。
一本だけ手に入った線香花火でユウナを呼び出すことにします。もちろん想いを伝えるためです。そしてユウナにきんと別れを告げるためです。
数年ぶりにユウナに会い、ユウナに想いを伝えるのですが、ここで良いなと思ったのが主人公は「好きな子に想いを伝えられないいままその好きな子が死んでしまった」と伝えるのです。するとユウナも「その子もあなたのことが好きだったと思うよ」と返すのです。さよなら、バイバイ。
こういうまどろっこしいのは今時流行らないと思いますが、僕のようなおじさんにはヒットです。ここで告白して、成功してしまったらそれはそれで心残りな気がします。
何より良かったのは別れができたことです。別れを伝えなくても自分の中で別れができれば人生の区切りがつけられるので、どんな形であれ別れの儀式は行うべきだと考えております。
僕自身、父親が急死し、別れが伝えられないままなので今だに心残りです。最後は6年くらい会えておらず、6年ぶりに実家に帰ろうとしていた3日前に突然訃報が舞い込んできました。特に病気も怪我もなく毎日普通に暮らしていたのに突然死んでしまったのです。
当然いつまでも悲しんでいるわけではないですが、何か吹っ切れないものがあります。夢にもよく出てきていつも通り会話を交わすのですがこれもまだ父親離れできてないなぁと考えることになります。
そういう経験から言っても、やはり別れはするべきです。
よくある話で、めっちゃ泣けるよ、というおススメでもありませんが「一ノ瀬ユウナが浮いている」を読んで感じたことを書いて見ました。
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