三島由紀夫の「文章読本」を読んで
小説や文学を味わう読者とは。
様々な形式の文章や作品の特徴とは。
そうした事柄を掘り下げたのが三島由紀夫の「文章読本」。
お気に入りの箇所を引用しながら、意見を述べてみたいと思います。
内容の面白さや話題性ばかりが現代の娯楽にまとわりついていますが、紙がキャンバスで言葉や文章が色彩である以上、文章の良さを味わうことも重要だと思います。作家の個性が特に輝くのは言葉の選び方や文体ですね。
小説や短編での細かい描写や人物の動きは、戯曲の場合ならばステージ上にいる役者たちが演じます。台本にあるのは簡単な指示で、書物として読む場合はそうした動きを想像しなければいけません。
ただ本当に良い戯曲は、たとえ台詞中心でも読みながら情景が浮かんできますので、書物として読み応えがあります。
シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」、カミュの「カリギュラ」、ワイルドの「真面目が肝心」が特にお気に入りです。
翻訳された文章が立派であること、元の作品のニュアンスや空気まで「翻訳」されている事。これが一流の翻訳作品の特徴だと思いますし、翻訳者・翻訳者志望が目指すべき姿だと思います。そのために外国語だけでなく、翻訳者本人の母語である言葉での表現力や国語力が問われます。昨今の外国語教育は「国際社会」「英語でのコミュニケーション」といった言葉ばかりが飛び交っていますが、母語での思考力や国語力の大切さという視点が欠けていると思います。一見関係がないように見えますが、その思考力と国語力が備わった人こそ外国語習得でより伸びるというのが私が見てきた傾向です。
そして思考力と国語力がなければ、より良い読者になる事は出来ません。
文学作品の映画化・ドラマ化の多くが原作と比べて劣る理由はここにあるのではないでしょうか。もちろん原作と比べても良く出来ている作品もあるでしょうし、好みもあるでしょう。しかし人物の容姿や描写においては、文章ならば個人の想像力でそれぞれ微妙に違うイメージになるものの、映像化された作品には固定されたイメージが画面を通して視聴者に届けられます。
古典的な作品は現代に通じる要素がたくさんあり、良質な作品だからこそ文学作品として何世代にも渡って生き残ります。流行り廃りが激しいものよりも、いつまでも変わらないもの。そういうものこそ素晴らしいと思います。