~長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産~【世界遺産を色んな角度で見てみよう⑯】
こんにちは!永高の中学受験部屋です。第16回ですね!
世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。
今日ご紹介する日本の世界遺産は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。
2018年に文化遺産として登録されました。
まずは場所から
https://www.at-nagasaki.jp/world-heritage/christian/top/より引用
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、長崎県と熊本県に点在しています!
なぜ登録されたの?
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、キリスト教禁止令下において形成された潜伏キリシタンの信仰の独特の伝統の証拠であり、長期にわたる禁教政策の下で育まれたこの独特の伝統の始まり・形成・変容・終焉の在り方を示しているから
2世紀間にもわたる長期の禁教の中で、一見すると日本の在来宗教である仏教や神道のように見える固有の信仰形態が育ました!
日本におけるキリスト教の歴史
日本においてキリスト教がどのような扱いを受けてきたのか整理しておきましょう!
①キリスト教伝来&受容
キリスト教が日本に初めて伝えたのは、1549年のカトリック教会の修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルです
時の権力者である織田信長は、南蛮貿易からの利益も期待し、キリスト教布教を認めていました。
認めた理由として、当時の日本で強大な力を持っていた仏教に対抗するためだったとも言われています。石山本願寺や比叡山延暦寺をと信長は争っていました
大村純忠などの大名は、キリスト教を信仰するようになり、「キリスタン大名」と呼ばれるようになります。
1582年にはキリシタン大名らが天正遣欧少年使節をローマに派遣させている。
②キリスト教禁止
天下人となった豊臣秀吉も当初はキリスト教を認可していたが、次第にキリスト教が良くない影響を与えていると考えるようになり、バテレン追放令をだし、キリスト教宣教師を国外へ追放させました。
江戸幕府を開いた徳川家康は、当初はキリスト教布教を黙認していました。
しかし、支配の妨げになるとして。第2代将軍徳川秀忠が禁教令をだし、キリスト教を禁止しました。
第3代の家光の時、禁教をさらに強化され、1637年におきた島原・天草一揆の後、さらに強められることとなりました
③ キリスト教の解禁
ペリーが来航し、日本が開国することになると、キリスト教は息を吹き返すことになる。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産の一つである大浦天主堂では、神父に対して潜伏キリシタンであることを告白する人たちが現れました。
このことは「信徒発見」と言われ、世界の宗教史上に残る劇的なシーンであるとされています。
終わりに
いかがだったでしょうか?
この記事を書きながら、200年以上の禁止されている中で、信仰を守り続けることの凄さを改めて感じました!
九州には、長崎や天草以外にも多くの見所があるので、ぜひ足を運んでみてください!!