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~法隆寺地域の仏教建造物群~【世界遺産を色んな角度で見てみよう⑮】

こんにちは!永高の中学受験部屋です。第15回ですね!

世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。

今日ご紹介する日本の世界遺産は「法隆寺地域の仏教建造物群」です。
1993年に文化遺産として登録されました。
法隆寺といえば、前々回の姫路城と同じタイミングで登録されていて、日本で最初の世界文化遺産で、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句でも知られていますよね!

まずは場所から

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法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にあります!
ちなみに法隆寺は、聖徳宗という宗派の総本山の寺院となっています。

なぜ登録されたの?

法隆寺が登録された理由としては

世界最古といわれる木造建築の仏教建造物が設計も装飾も美しく、人類の創造的才能を表現していること

法隆寺は、607年に推古天皇と聖徳太子によって建てられたと言われています(1400年以上前!!)

②仏教建造物によって、大陸と日本の文化交流について知ることができ各時代の建築様式の変遷も知ることができる

法隆寺地域の仏教建造物群のうち、7世紀ごろ建造された金堂・五重塔・中門・回廊は、6世紀以前の中国の建造物と共通する様式上の特色を備えています。これに対して、8世紀のうちに建立された経蔵・食堂・東大門や東院の夢殿・伝法堂では、新しい唐の様式の影響がでています

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↑法隆寺金堂(http://www.horyuji.or.jp/より)

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↑法隆寺東大門(http://www.horyuji.or.jp/)

法隆寺の柱

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http://www.horyuji.or.jp/より

法隆寺の柱は「エンタシスの柱」とも言われています。

これは建築用語で、円柱の下や中程に膨らみを持たせるスタイルのこと指しています。
上の写真でも下3分の1が少し膨らんでいるのがわかってもらえるでしょうか

このスタイルは古代ギリシアで確立されたもので、はるか遠くで生まれた建築様式が、シルクロードを通って東端の日本にはるばる伝わってきていることがわかります(その距離なんと約1万km!!)

聖徳太子について

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法隆寺を建設したと言われる聖徳太子は、飛鳥時代を代表する人物なのでここで押さえておきましょう!!

593年
聖徳太子は日本で初めての女性天皇である推古天皇摂政となり、中央集権的な国づくりを始めます
※摂政:天皇が子供や女性の時に代わりに政治を行う人物

603年
聖徳太子は冠位十二階という制度を作り、実力のある人材を積極的に登用しました

604年
十七条の憲法を制定する。

607年
中国との対等な外交関係を目指して、隋に小野妹子を遣隋使として送ります。
「日出づるところの天子、書を日没するところの天子にいたす。」の手紙で隋の皇帝煬帝が怒ったという話は有名ですよね!

終わりに

如何だったでしょうか?

法隆寺は世界最古の木造建築なだけでなく、大陸と日本の文化交流を表す施設であることが伝わったら幸いです!

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