~古都京都の文化財~【世界遺産を色んな角度で見てみよう㉑】
こんにちは!永高の中学受験部屋です。第21回の世界遺産シリーズ、頑張っていきましょう💪
世界遺産記事のマガジン連載はこちらからご覧ください。
今日ご紹介する日本の世界遺産は「古都京都の文化財」です。
1994年に自然遺産として登録されました。
「そうだ、京都、詳しくなろう!」
まずは場所から
世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産は、京都府京都市、宇治市、滋賀県大津市に点在する次の17資産です!
登録理由
①平安時代から江戸時代まで日本の首都であった(注1)京都は、建築や造園、都市計画などの日本の文化に大きな影響をもたらしたという点
②京都の建造物は、各時代の建築様式や庭園様式を代表するものであり、自然環境と融合した景観には日本固有の文化や精神が表れている点
主にこの2点が評価され、登録されました。
(注1)ここでは国の首長である天皇が居た場所=首都としているが、諸説あり
注目遺産
①清水寺
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉でも知られる清水寺
実は、征夷大将軍として有名な坂上田村麻呂が建設したとされています!
坂上田村麻呂に関する押さえておきたい知識
797年桓武天皇により征夷大将軍に任命され、東北地方の蝦夷(えみし)討伐を行う
蝦夷とは、東北地方を拠点とした大和政権に従わなかった部族のことを指し、当時「アテルイ」を長として坂上田村麻呂と戦ったが敗れた。
②平等院
京都宇治観光マップより引用
十円硬貨に描かれている平等院鳳凰堂
関白藤原頼道が建てたとされています
藤原頼通に関する押さえておきたい知識
「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」という歌を詠んだとされる父の藤原道長とともに摂関政治の最盛期を築きました。
天皇の后となった頼道の娘は男児を産まなかったので、藤原氏の影響の薄い後三条天皇が即位すると、摂関政治は衰退していきました。
③鹿苑寺(金閣)
鹿苑寺は、室町幕府第3代将軍の足利義満が建てました。
金閣に代表される室町時代の文化を北山文化といわれ、貴族と武士の文化を融合させた文化とされています
ⅰ)金閣
3層のつくりで下層は公家たちの住まいの特徴である寝殿造風の様式、中層は武家住宅の建築様式、上層は禅宗様と呼ばれる寺院建築の様式となっていて、公家・武家・禅宗の文化の結集
ⅱ) 能
幕府の保護を受けた世阿弥・観阿弥にとって大成した。
世阿弥の書いた『風姿花伝』は有名
足利義満に関する押さえておきたい知識
1336年に後醍醐天皇の公家優遇の政治に反発した足利尊氏が京都を占領し後醍醐天皇が吉野に逃げたことで、足利尊氏がたてた京都の光明天皇と吉野の後醍醐天皇の2人の天皇が同時に存在するようになって南北朝が始まりました。
1392年にその南北朝の統一を足利義満が達成しました。
足利義満は、1394年に太政大臣に任命され(武士としては平清盛に次いで史上2人目)、武士だけでなく貴族に対しても力を得るようになりました。
また、1404年から日明貿易を再開させます。当時は倭寇とよばれる海賊が活動をしていたので、倭寇と区別するために勘合符を持ち合わせて貿易が行われたことから勘合貿易ともいわれています。
④慈照寺(銀閣寺)
https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/about/より引用
慈照寺は、室町幕府第8代将軍の足利義政が建てました。
金閣に代表される室町時代の文化を東山文化といわれ、禅宗の影響をより強く受けた簡素で洗練された深みのある文化とされています。
ⅰ)銀閣
2層のつくりで、下層は書院造、上層は禅宗様と呼ばれる寺院建築の様式となっています。
ⅱ)水墨画
雪舟が水墨画を大成し、『秋冬山水図』『天橋立図』などの作品を生み出した
ⅲ)大和絵
幕府の御用絵師であった狩野正信・狩野元信父子は、水墨画に伝統的な大和絵の手法を取り入れて新しく狩野派が生まれた
⑤二条城
二条城については、大政奉還の舞台として押されておきましょう
大政奉還とは、260年続いた江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜が朝廷に政権を返上したという歴史的事件です
終わりに
如何だったでしょうか?
京都は古くより日本の中心地であったこともあり、色々な時代の文化財が存在しています。
重要な資産が多くいつもより少しボリューミーになってしまいましたが、その分たくさんの知識を吸収していただけたら幸いです😊