研究にはストーリーが大切
この数日、論文の話を書いているのでその続き。
私は4年生の卒論では外研、つまり学外の研究機関で実験をさせてもらっていました。この時についた先生は今から思えば大変にお若くて(30代前半)、卒論生を見るのも初めてだったはずです。
研究室の隅に小さいテーブルとホワイトボードがあったので、実験結果が出るとそこに集まってディスカッションをしたものです。
忘れもしない、最初の「ディスカッション」。真新しいノートを開いて先生が言われることを書き取ろうと待ち構えていたら、この先生が「研究にはストーリーが大切」と話し始めたのでした。
メモを取るにもなんのことやらよくわからず、結局ノートは白紙のまま、単に頭の中に「研究はストーリーが大切」という言葉だけ残ったのでした。
徐々にその言葉の意味がわかるようになりましたけれども、理解するまでには少なくとも博士課程、いや、下手したらそのあとのポスドクくらいまでかかったかもしれません。自力で論文を書けるようになって、ああ、そういうことだったのか、と突然ストンと腑に落ちたというか。
4年生の頃は先生に言われるまま、ハイこれやって次はこれやってと指示通り実験していました。自分では一生懸命やっていると思っていたし、データはどんどん出てくるのでちょっと得意だったりもしたのです。でもいざ卒論をまとめる時期になると、全然出来ない。だって自分では研究の流れがよくわかってないのですから。
修士時代はまだ自発的に動いていたものの、テーマも実験の方向性も先生から提示されていたので、やはり、まあ、よくわかっていませんでしたね。もっとも、当時の先生は学生の個人プレイを好まない、つまりその先生の思うようにしか実験を進められなかったので仕方なかったのかもしれませんが。
博士時代になって研究室も指導教員も放任タイプに変わり、ようやく自分で方向性を決められるようになりましたが、今から思えばその都度その都度で「これ面白いかも」と思うことをつまみ食いする感じでしたね。つまり全く軸がなく、ブレブレでした。その状態だとデータはたくさんあっても芯が通っていないのでなかなか論文としてはまとめられなかったのです。
そんなこんなで、データさえたくさんあれば論文が書けるわけではなく、むしろ「芯を通す」ほうが大事なことがわかってきました。つきつめるとそれが「ストーリーが大切」ということだったのですね。
…と考えると、4年のときに先生が言われた「ストーリーが大切」という言葉は、この先生ご自身がそのことに痛感された頃だから出てきた言葉なのかなという気がします。ああ、30代前半だったわけですからね…。