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母の衰え…【食事編】

私のプロフや自己紹介にも書きましたが
2023年3月末で退職、3月9日から有休消化に入りました。

恥ずかしながら
そうなって初めて、母の生活を目の当たりにできました。
母が作った料理をなんとはなく見ると、ごはんと味噌汁だけ。
おかずを作るのは面倒。そもそも買い物に行くのも面倒。
そんな食生活だったようです。

それが分かった少し前から
肩が痛い、膝が痛いと訴えることが増えてました。
4月から私、町内のボランティアで近くの交差点で小学生の登校見守りを始めましたが、7時に家を出て8時に帰宅すると母「起こしてくれ!」と頼まれます。
ベッドから出ることも困難。床に座るとそこから立ち上がることも難しくなってました。
何をどうすればいいかわからないまま、差し当たって
朝昼晩3食を私が作ることにしました。

母が食べてるものを見てると、圧倒的にタンパク質が不足。
冷食のタンパク質ものと、朝は納豆を食べてもらおうとしました。
が、納豆パックを一緒に提供しても、母は手を付けることなく冷蔵庫行き……
なので、ごはんにのせてから出してます(今も)。

当時、母が炊くごはんは決まって2合。
それが無くなるまで2日3日レンチンして食べていたようです。
「食中毒が心配だから一度に炊くのは1合にして」とお願いしても
炊くのはいつも2合……
食べる量と作る量を調整することが困難なのか…

いろいろ言い聞かせようとしましたが
結局、毎日3食、私が調理し提供することにしました。
母は魚が好きなので、毎夕食は焼き魚など。
特にホッケ。焼いて出すたびに母が子どもの頃
「実家に自転車で魚屋さんが売りに来て、いつもホッケを頼んでた」
…何度聞かされたことでしょう 笑

2,023年夏あたりには
ベッドから起こしてくれ
床から立ち上がれない等というのは無くなったかも。
今思い返すと、栄養失調だったのかもしれない、です。

今のところ、食事介助は必要なしです
念のため…

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