#24 義公烈公を偲ぶ 義烈館(茨城県水戸市)
義烈館は、常磐神社境内にある歴史博物館で、水戸学関係史料が展示される。常磐神社の御祭神は義公(徳川光圀)と烈公(徳川斉昭)で、明治7年に鎮座、明治16年には別格官幣社に昇格した。
義公(徳川光圀)について
徳川光圀(1628-1701)は水戸藩第二代藩主。徳川家康の孫にあたり、御三家の一つである水戸徳川家を継承。水戸黄門。業績としては笠原水道・小場用水の親切、蝦夷地探検、社寺改革、大楠公碑建立、大日本史の編纂などが有名だ。
18歳の時に「史記」(伯夷伝)を読んで、1657年(30歳)江戸駒込藩邸内に史局を開いたのが、「大日本史」編纂事業の始まり。
その後小石川邸内に彰考館を開設して、佐々木三郎宗淳(すけさんモデル)、安積覚兵衛覚(かくさんモデル)らを集め、編纂に取り組んだ。
大日本史は神武天皇から後小松天皇(第百代)に至る間の紀伝体の歴史書で、編纂から250年後の1906(明治39年)に完成した。
内容としては
・本紀(天皇の御事蹟)73巻
・列伝(天皇以外の人物伝記)170巻
・志(政治経済文化史)126巻
・表28巻、目録5巻
の計402巻となっている。
大日本史の特徴は
・神功皇后を本紀でなく后妃伝に入れた
・大友皇子の即位を認めた
・吉野朝廷(南朝)を正統とした
にある。
烈公(徳川斉昭)について
徳川斉昭(1800-1860)は水戸藩第九代藩主。幕末に差し掛かる時代で活躍した。改革派の人材を登用し、藩政改革を行った。那珂湊に反射炉を製造、大艦「旭丸」を建造するなど国防に取り組む。「弘道館」を開き、教育にも注力した。また梅の名所として有名な「偕楽園」を開設した。
水戸の伝統工芸品として「農人形」というものがある。徳川斉昭が農民の苦労をしのび、農人形を作ったことがルーツ。朝夕感謝を込めて初の一箸をこの人形に添えてから食事をとっていたとのこと。
朝な夕な 飯くふごとに 忘れじな めぐまぬ民に めぐまるる身は
(徳川斉昭)
常磐神社は1945年戦災にて消失、1958年に復興。そして義公、烈公の遺品、水戸学関係の資料を展示する義烈館は、1958年に博物館相当施設に指定された。
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