最後の父親孝行
だめだ。父の話が止まりません。もう少しだけ。
父のせん妄が急激にひどくなる直前の昨秋、とあるバーの看板の筆文字ロゴをコンペにて採用していただきました。
実家に帰った際に実物(ロゴ・画像は一部)を見せながら報告したところ……。
父はとても喜び、母はとても渋い顔をしました。
しかし、わたしにとっては予想どおりのリアクション。
ちなみに、かつて父はディスプレイデザイナー、母は書道師範の資格を持っていました。
筆文字なのに、母が顔をしかめた理由。
母の顔には「邪道」と確かに書いてありました。
同じ師に書や生き方を学んだ母とわたしにとって、こういった自由な表現は教えにありません。古典の書を徹底的に臨書し、体得してから、自分の作品に昇華させることが至高、と教えられてきたからです。
今でもその心得がわたしの中に十分残っているため、自由な表現を考えるたびに相応のジレンマはあります。
ただしわたしは大学の実習にて他団体の先生に見ていただける機会があったこともあり、多少は「外の空気」を吸っていました。
それに、、父の子でもあります。ずっとどこかでタイポグラフィやレタリングの要素のひとつとして、書を見ていた節もあります。
また、書のブランクがある間にデザインを改めて学んだ(美大通信に学士編入→卒業)回り道だらけの私の今だからこそ書ける字・できる表現、なのかもしれません。
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このとき父がうれしそうに「おかーさん、蛙の子は蛙だな。オレが教えなくても、ちゃんとこういうのを作ってもってくるんだもんな。オレとお前(=母)の子だよ。」と母に話しかけていたことを、わたしは一生忘れないと思います。せん妄から来る本心ではない発言だったとしても、、それでもいいや。
母も今では割り切ってw応援してくれているのでありがたいです。
以前は父が絵を描き、母が書を添えた作品を2人でせっせと作っては親戚にあげるのが趣味でした。でもこの頃には筆を持つ気力も失せていたので、このとき私がバトンをもらったような気もしました。
しかしわたくし…絵がどうにもイマイチで。現役で美大を目指せなかった理由のひとつです。
描き方の眼、そのあたりももっと教えてもらいたかった。
絵は下手なのですが「色」の表現は好きなので、紙の白、モノトーン系の墨、それ以外の色と書との表現は常に考えていることのひとつです。
この辺はまた改めて記したいと思います。