Policy Statement
昨日、会社を辞めた。
今日から、カメラマンになった。
これから僕が書き記すことは、ざっくり言うとこんなところだ。
こんな私的な体験を世間に向けて発信することもどうかと思うのだが、標題の通り区切りとしての「Policy Statement=所信表明」を行っておきたいという欲望に駆られた。これから先、誰に何を詮索されてもいいように、逆に言うと自身への戒めを込めて、以下書き残しておこうと思う。
約13年間、とある飲食を主体とする企業に勤めてきた。最初はアルバイトとして入社したが、途中から正社員として登用していただいた。元来接客業向きのタイプではないのだが、少しユニークな、その頃としては物珍しい業態の飲食店だったので、書店員だった僕は興味本位で職業替えをした。
当時僕はバンド活動をしていた。本気で音楽で食べていこうとしていた。だから、このお店で働くのもただの「繋ぎ」だと思っていた。少なくとも、長くここに居てはいけないと言い聞かせていた。
「本気で」と書いたが、振り返るとそうでもなかったかもしれない。もちろんバンド活動を始めた当初はそうだったと思うが、一向に増えない集客や楽曲の出来栄え、圧倒的な技術力の欠如など、途中からダメかもしれないと感じ始めていたのは否めない。事実、20代も後半に差し掛かろうかと言う時にバンド活動を休止することに決めた。その裏で、今の飲食店での仕事をもう少し突っ込んでやってみたいと思う気持ちが芽生えていたのも要因の一つだった。そのタイミングで一つ大きなプロジェクトがスタートし、正社員としてそこに関わることを決断した。
それから約7年。それまでとは一変し圧倒的に忙しくなっていったが、日々変化する仕事内容に刺激的ものを感じながら過ごしていった。時にその忙しさから逃げ出すことも考えたが、なんとか踏ん張って自分なりの楽しみを見出しながら続けてきた。
コロナ蔓延の兆しが見え始める少し前くらいに、自分のこの先を考え始めた。元々要領が良いせいか、どんな仕事であっても「まぁOK」レベルでこなすことが出来ていたことに、少なからず優越感を感じていた自分を疑問に思うようになった。「俺は一体何者なのだ?どうなりたいのだ?」と、何でも屋になりつつある自分の立ち位置が腑に落ちないようになっていた。
コロナ禍。全ての物事がストップした中で、会社がスタートさせたEC事業。SNSにアップするメニュー料理写真の撮影の経験がある僕に、白羽の矢が立ち、あれよあれよと言う間に社内の料理カメラマンとなった。必死になって料理写真を勉強した。ストロボの使い方も覚えた。これ以上なく刺激的だった。
実は、趣味として長年続けてきた写真だが、全くカメラを手にしなかった時期がある。
山登りが趣味だった僕は、カメラを携えて山行を楽しんでいた。今思えば単に技術と知識が欠如していただけだったのだが、ある時山頂からの絶景を眺めた時の感動が、写真にうまく映し出せていないことに気づいた。あの時もう一歩踏み込んでカメラを研究していたらそんなことはなかったはずだが、失望感から写真を撮るのを辞めてしまった。結果的に促されるままメニューを撮ることで写真活動を再開するのだが、これがなかったらもう僕はカメラを手に取ることはなかったかもしれない。
EC販売物の撮影をこなす中で、ふと、情熱が込み上げていることに気づく。これはこれまで感じたことのある仕事への情熱ではない、写真への情熱だと確信したのは2021年の終わり頃だったと思う。もっと撮りたい。もっと研究したい。突っ込んでいきたい。
上司へ素直な思いを吐露した。退職の相談というよりは、この先どうするべきなのか迷っていると告げた。折りしも翌2022年に新しいプロジェクトが控えており、上司は「そのプロジェクトリーダーを任せるからとりあえずやってみろ、それからもう一回考えてみるといい」と言った。プロジェクトリーダーは未経験のことだったし、やれば何か変わるかもしれないと思い引き受けた。
そのプロジェクトは2022年の4月に大方終わった。初めてのことの連続で大変だったが、やり遂げるに値する大変価値のある仕事だと思った。だが、プロジェクトを通して僕の心の片隅に空虚さが鎮座していたのは否定できない。「これじゃないんだよな…」と言う心の呟きを無視できなかった。半年以上、いや遡れば何年も前に出ていた答えの輪郭がくっきりと明示された。
そして翌月、退職を願い出た。カメラマンになりたいと告げた。
高校の卒業式の日、恩師に言われた言葉がある。「人生は選択の連続だ」。当時はその意味が理解できていなかったが、年を重ねると身に染みてくる。望もうと望むまいと、全ては自分の選択が招いた結果なのだ。大学も、書店員も、バンドも、会社員も、全てはここに辿り着くための選択だった。遠回りに思えるかもしれないが、僕にはそれが正しい道筋だったのだ。もしかしたらカメラマンになるという選択も、この先に待つ次の選択の過程の一つにすぎないのかもしれないのだけれど。
写真の勉強もまともにしたことがない、スタジオもカメアシも経験していない僕が、カメラマンを目指すことが合理的か、何度も自問した。考えれば考えるほど不安になるが、つまるところ不安の正体は「経験値不足」なのだ。これからいくらでも経験すればいい。失敗することや無知を晒すことへの恥は厭わない。ネット社会ではいくらでも情報が手軽に手に入る(正解かどうかはわからないが)。年齢的にも思い切りチャレンジできる最後のチャンスかもしれない。このまま腐るに任せるくらいなら「不安定な自由」を選ぼう。期待と不安の両方に胸を躍らせよう。
そんなことを考えながら、昨日退職した。
昨日の夕暮れは、空を覆う雲の向こう側から差し込む夕日がまるで火の鳥のようで、その大きな翼で東京を包み込んでいるような不思議な情景だった(冒頭写真参照)。風は冷たかったが、ベランダからその景色をじっと眺めていると、まるで「お前は今日から飛んでいくんだ」と言われているようで、身の引き締まる思いがした。
冒頭に今日からカメラマンになったと書いたが、今はまだ「自称」にすぎない。初めての仕事が何になるのか、まだ決まっていない。容易い道ではないことは覚悟の上だ。思い切りやる。何だってやる。この気持ちを忘れずに、日々の選択を大事にして過ごしていきたい。