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「お店」であること

ツンツンツン...。
ノックとは思えないが、微かな音が鳴った気がする。

いつものお弁当を開いて、お昼ごはんを食べ始めた矢先
鳥でも来たのかな?と音の正体が気になって
一応、裏口の扉を開けてみた。

そこには、ランドセルを背負った幼い少女が立っていた。

少女の涙に学ぶ

ここはお店、僕の職場の裏口。
この扉をノックするのはたいてい宅配業者か、差し入れを持ってきてくださるご近所さんだ。
なのに、今回の訪問者はどうも様子がおかしい。

少女が口を開く。
「あの、...上に住んでるんですけど..お母さんがいるはずが、鍵があいてなくて..。もってもいないので...」
「電話。...かりても、いいですか...(ぐすん)」
言葉をつむぎ出すたびに、小さな涙が溢れながら、
それでも必死に訊ねてくれた。

「それぁもちろん!なぁに、泣かなくていいんよ〜」
裏口の廊下では寒かろうとお店の中に彼女を招き、椅子に腰かけてもらった。ランドセルを背負ったまま、不安げな表情を浮かべていた彼女に、まずはティッシュを渡して涙を拭いてもらう。
まずはお母さんの携帯番号を聞いて、お店の電話からかけてみるも、繋がらない。次はお父さんにかけてみるがこれも繋がらない。幼い彼女は、揺れる心を必死に押さえながらも、僕が訊ねるたびにしっかりと事情を説明してくれた。

子どもを相手にすると、どうしても関西弁になってしまう。幼いころ育った地の、あの頃の自分にかえって対等に話したいのだろう。少し和んできたところで、柔らかい話をしながらご両親の帰りを待つことにした。
なんでも、最近の小学生(特に女の子)はポケモンなど見向きもせず、"メイク"に勤しんでいるらしく、彼女こそメイクに興味はあまりないそうだがYouTubeなどの影響もあるのだろう。多種多様な遊びがあることに驚いた。

そんなこんな、彼女からたくさんのことを学んだところで、結果的にご両親が家に到着し、無事に再会を果たすことができた。
あぁ、よかった...!僕は安堵するとともに、不安の底に陥りながらも、ここを訪ねてくれた彼女に万雷の拍手を送る思いだった。小さなノックは勇気の証だ。

この経験は、「お店であること」の意味を僕に考えさせてくれた。

街中にお店を構えることで、たくさんの人が訪れる。
素敵なものと出会いに。大切な人との時間を過ごすひとときに。ときには迷子の駆け込み所に。"公に開かれた場所であること"は、商品を見てもらうことにも増して、お店であることの意味なのだと感じる。

僕が今働いている職場は、ショールームと作業室が併設されているので、まるでオープンキッチンのような手作業の臨場感と美術館のような静謐さのある空間が隣り合っている。
「お店」は商品を取引する場所でもあるが、それそのものが一つの"場"として人を呼び集め、なにかを感じてもらえる"機会"でもあるのだ。

この6月に初めて自分で個展をひらいた時も、同じことを感じていた。普段、会おうとは言ってもなかなか集まる機会のない友人も、知人づたいに自分へ興味をもってくださった未だ会ったことのない人も、皆に開かれた機会であるがゆえに集うことができる時間と場所が「個展」であり「お店」であった。

誕生日

思えばちょうど一年前の今日、僕はあらゆるSNSのログインを断った。当時は遺跡発掘のアルバイトを始めたばかり。コロナ禍で一人こもっていると、人とのコミュニケーションの希薄さが寂しく、オンライン上のコミュニケーションにも疲れてしまっていた。だから、現実の温度を、自分の体温を肌で感じようと思ってSNSとしばらく関わらないようにした。

実のところ、僕の中の"スネ夫"が発動していたんだとも思う。ちょうど誕生日を迎えるにあたって、よく見かける「みなさん誕生日のお祝いメッセージありがとうございます!!」みたいに大々的に広報できる人を羨みつつ、どうせ僕にはなんでもない日だからと強がるように。スネちゃまはきっと寂しがっていたのだろう。

当時の詳しい心情や状況は別の記事にも書いたが、悔しいことを悔しいと言えない、寂しいことを寂しいと言えない、嬉しいことも嬉しいと言えない心の状態だったことを覚えている。
ただ、オンラインでのコミュニケーションを断ったことで、冬のひんやりした空気に差す陽の温もりを感じることができた。それこそ発掘作業でひたすら土を削り、穴を掘る時、3m下の世界から見上げたあの空の清々しさは、今年の冬空を見上げても愛しく思い出すほどに印象的だ。残土山の上で、ぽかぽか日光浴したあのひとときは、全身に自然を感じ浴びる本当に幸せなものだった。

あれ以来、発掘の仕事が終わり、しばらくして自ら初の個展をひらき、そして念願の古物を扱う仕事に就くことができた。自分の確かな選択・行動と、そこから広がった人とのご縁が今の僕を繋いでくれている。

そして今日、僕は新しく小さな小さなお店をはじめる。
それも、一年前はあえて避けた"オンラインで"だ。

取り扱う商品は、もちろん自分の愛してやまない古物たち。そこから始めて、いずれはもっと幅広く自分の世界を表現してゆきたい。
もちろん、現物に触れてこそ体感してもらう魅力があるのでオンラインではどうしたものかとも考えたが、僕には、僕が「経た」この確かな一年間がある。

足で動き、肌で感じた「人の体温」。
手を動かし、心で接した「お店であること」の意味。
オンラインであったとしても、僕には必ず忘れたくないことがある。
単に商品を取引するだけではなくて、なにかの刺激が生まれたり、コミュニケーションが生まれるような場、機会としての表現活動をしていきたい。

いつかは、大自然の中に古屋をつくって
古物と自然にかこまれた生活を体験できる施設やアトリエ、さらには村まで創ろうとも夢みるが、
まずは小さな一歩から。
手づくりの世界を表現していこうと思う。
僕のお店、どうぞよろしくお願いします。

少女のノックのような、微かな産声とともに。

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