![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150379478/rectangle_large_type_2_b3511b87230de38a8a5bbdb3fa86c270.jpeg?width=1200)
君ならどう訳す? Interface ~静かなる勢力争い~ | 短編
How do you translate “Interface”?
月に一度だけ、人知れず開催されている翻訳者の夜会。そこには、個性あふれる面々が集う。
今回は待ち合わせ時刻のギリギリに着きそうだ。もし遅刻したら、トラさんに何と言われるだろうか……
テキスト全文
「遅くなってすみません!」
水曜夜のファミレス。僕がテーブル席に到着すると、座っていた二人の翻訳者は話すのを止めた。
「遅い。遅いぞ」
トラさんはそう言って、腕時計に視線を落とした。この銀髪の紳士は、二十歳年上の翻訳者。僕にとって、師範とも言える存在だ。
「遅刻はかけつけ三杯だな」
九尾の方は、飲ませる口実ができたと喜んでいる。この男は、六歳年下なのにタメ口をきく。
「遅刻ではない」
トラさんは腕時計の秒針を示しながら言った。
「いつもよりは遅い。だが、待ち合わせ時刻の五秒前に着いた。ぎりぎりセーフだ」
「五秒なら、その時計がまちがってる可能性大だ」
「あいにく、今朝がた時刻を合わせたばかりでな」
翻訳者には繊細な人が多い。たぶん、世界で一番細かい翻訳者はトラさんだと思う。でも、このときばかりは、その神経質な性格に感謝した。
「はいはい、わかったよ。さっさと乾杯しようぜ」
九尾は注文のベルを鳴らした。
「これで全員か」
「あれ、クマは?」
「熊野は少し遅れて来るそうです」
「完全に遅刻だ。十分を過ぎたら、追い返しなさい。遅刻する翻訳者はダメだ」
「まだ翻訳学校に通ってる見習いですよ」
「そんなの関係ない」
「来てから考えようぜ、そんなこと。それよりも、これ」
九尾は、テーブルの真ん中にあった一枚のメモ用紙を、指でススーッと僕の前まで滑らせた。
そこには、英単語がひとつだけ書かれていた。
interface
「インターフェース?」
顔を上げると、なぜか九尾がうれしそうにしていた。
それとは対照的に、トラさんは不満げだ。
「インターフェースがどうしたんですか?」
「Good!」(よし!)
九尾は、喜色満面の笑みを浮かべる。
「God!」(なんてこった!)
トラさんは、ますます不機嫌になる。
「英吾郎、お前もか」
「やっぱインターフェースだよなぁ」
「インターフェイスに決まってる」
「二人とも、一体なんなんです?」
「フェースかフェイスか、それが重要なんだよ」
ビールを注文した後に説明を求めると、
「翻訳業界には、二つの勢力がいるって知ってた? フェース勢とフェイス勢。この二つが陰で熾烈な争いを繰り広げてるんだ。それでさ――」
「これは私の問題だ。私が説明するのが普通だろ」
「あ、そうだったっけ? じゃあ、頼むよ」
九尾は、僕が人生で出会ってきた中で一番とらえどころのない男だった。どこかでトラさんが爆発するのではないかと、ヒヤヒヤさせられる。
「その英単語は、新規に受注した翻訳案件に入っていた原文の一部だ。私はインターフェイスと訳したんだが、『フェイス』の部分を『フェース』と訳す翻訳者がいてな。
誤訳を見かけるたびに、訳語の統一性の観点からすべて修正していた。しかし、誤訳を支持する者たちは日増しに勢いを強めていった。
その数は次第に増えていき、気づけば半数以上が誤訳になっていた。
しまいには、私が誤訳の方に揃えなければならないという屈辱的な事態にまで追い込まれてしまった」
「要するに、フェイス勢よりも、フェース勢の方が圧倒的多数ってことだ」
トラさんが睨むと、九尾はあさっての方角を向いて、涼しげに口笛を吹いた。
「それで、どうなったんですか?」
「クライアントに決めてもらうことにした。
決定権のある者がどっちつかずで、ダブルスタンダードを容認していることにも問題があるからな。
社内でも紛糾したそうだ。意見は、真っ二つに割れた。
だが、最終的には、インターフェイスが選ばれた。
私の考えが正しかったことの証左だな。
ようやく、私の心のなかに平穏が訪れた。
ところが、だ。
さっきこの話をしたら、誤訳の方が正しいと主張する者が再び現れ、私の平穏をかき乱したくれたわけだ」
当の本人はけろっとしている。
「俺は『フェース』の方が正しいと思うけどなぁ」
「二人では意見がまとまらないから、他の翻訳者の意見を聞いてみることにしたのだ」
「そういうことだったんですね。やっとわかりましたよ」
「二対一で、俺の勝ち」
「勝ちとか負けとか、そういう問題ではないのだよ」
トラさんは、アメリカ人並みに、大げさに肩をすぼめてみせた。
「フェス勢だかなんだか知らんが、理由がよくわからん」
「フェスじゃなくてフェース」
「どっちでもいい! なぜ誤訳を正しいと言うのか、私には理解できない。理由を聞かせてくれ」
僕は答えなかった。トラさんの顔を見たら、答えられなくなったと言う方が適訳かもしれない。「忖度」するのは、宮仕えが長かったせいだ。
生え抜きの翻訳者であるトラさんと九尾からは、「忖度」する気配が微塵も感じられない。
「答えようがないよな。普通はフェースなんだから。しょーがねー、俺が説明するよ。
簡単な話だ。
IT系の文書には、カタカナ語がよく出てくる。だいたい抽象概念としてカタカナ語が使われるんだ。この単語もそのひとつさ。
外部インターフェース、内部インターフェースみたいな感じで使う。インターフェースは、あくまでシステム設計上のイメージを表してるにすぎないから、フェースの空洞な響きの方がしっくりくるわけ」
九尾の説明に感心してしまった。たったひとつの英単語を、そんな風に検討するなんて。僕は、今まで考えたこともなかった。
「何もわかってないな。インターフェイスは実体を伴った物だ」
トラさんが反駁する。
「ITだのシステムだのと言うなら、やっぱりフェイスの方が妥当だ。パソコンにはいろいろな線がつながっている。あれがインターフェイスだ。マウス、キーボード、ネットワークに接続するLANケーブル、挙げれば枚挙に暇がない。誰もが日常的にフェイス・トゥ・フェイスで向き合っている。インターフェイスの方が質感のある響きがする点で勝っている」
トラさんが言いたいこともわかる気がする。
どちらの意見にも、それなりの理由があるように感じられた。
しかし、フェイス勢とフェース勢の争点には、もっと厄介な問題をはらんでいた。僕が思っているよりも、二人が思っているよりも――
「辞書に記載されている発音を見てみなさい」
鞄の中から電子辞書を取り出して調べてみた。
【ìntərféis】
「発音はインターフェイスです」
「そういうことだ。現地の発音にもとるなら、間違いなくインターフェイスなのだよ」
九尾の顔が赤らむ。
「どこに目ぇつけてんだよ!」
九尾が見せたスマートフォンの液晶画面には、オンライン辞書の検索結果が表示されていた。
「発音じゃなくて、日本語訳の欄を見てみろよ」
「えっ、こっちには『インターフェース』って書かれてる」
「ご当地の発音にもとるなら、間違いなくフェースなのさ」
トラさんの顔が引きつる。
「まったく、ものわかりの良くない連中だ。どうすれば理解できるんだ……そうだ! ホームページ上での使用頻度を見れば、一目瞭然じゃないか」
トラさんは携帯電話を操作して、インターネット検索を始めた。
「ん? んんん⁉️ ない……ないぞっ」
「つい先日、グーグルは検索数の表示を打ち切りました」
「ぬわにぃぃぃー⁉️」
検索数の表示は、翻訳者にとって有用な情報だった。
「グーグル、お前もか」
その後も二人の言い争いは続いたが、決定的な情報は出てこなかった。僕も、不毛にも思えるこの争いの幕引きを図りたかったが、良い落としどころが見つけられずにいる。
携帯電話が鳴ったのは、そんなときだった。
「熊野からメッセージが来ました……もうすぐ着くそうです」
メッセージの受信時刻は、待ち合わせ時刻を十分以上超過していた。
このままでは、熊野はトラさんに追い返されてしまう。なにかいい方法はないだろうか。そんな矢先、腕時計を見ようとしていたトラさんの手がはたと止まった。
九尾がはっとする。何かを察知したのか、慌てて言った。
「クマには悪いが、帰れって返信しなよ」
「そんなこと、僕ができるわけないだろう」
「でもサ、そうしないと、失礼になるヨ。トラさんに」
「十分ぐらいの遅刻なら、多めに見るのが大人ってぇもんです」
「え? さっき十分過ぎたら追い返すって言ってなかったっけ?」
「もう一人の翻訳者の意見を聞いてみる必要があります」
「翻訳者って……クマはまだ見習いだよ」
「見習いとは言え、翻訳者の端くれです。どっちが正しいか、見解を聞いてみる価値はあると思いますよ」
「俺は聞かなくていいと思うけどなぁ」
二人は僕を見た。
「僕ですか? 僕は……賛成です」
僕は、熊野が追い返されない方を選択するしかなかった。
「まじか」
「彼がフェイスと答えたら、私の勝ちだな」
トラさんが火に油を注ぐ。
「どーしてそうなるんだよ! 二対一だろ」
「九尾には悪いが、僕の意見はこうだ。仮想的なものを指す場合は『フェース』と訳し、物理的な物を指す場合は『フェイス』と訳す。これでうまくいく」
「なんだよそれ。どっちつかずじゃん」
「どちらにつく必要もない。文脈に合わせて使い分ければいいんだよ」
思わぬ拾い物をしたトラさんは、ニンマリしている。
「一勝一敗一引き分けということですね。つまり、彼がフェイスと答えたら――私の勝ちだ!」
僕が暗に伝えたかったのは、クライアントの意向や、翻訳する文書の内容に沿って訳文を変える柔軟性が必要だということだ。でも、その気持ちは、届いていないようだった。九尾にも、トラさんにも。
「ごめーん、遅くなってー」
そうこうしているうちに、熊野がやって来た。
「おお、熊野君、君が来るのを心待ちにしていたよ」
さっそくなんだがと言って、トラさんはメモ用紙を見せた。
「んー英単語ー?」
メモ用紙に書かれた文字を見た熊野は、首をひねる。
固唾を飲んで見守る二人。
「インターフィスがどーしたのー?」
「インターフィスだって⁉️ どうしてそうなるんだよ」
「たぶん、これの親戚だよねー」
熊野は、背負っていたナップザックからパソコンを取り出した。
「マイクロソフト製のタブレットだよー。おいら、この子がお気に入りなんだー」
僕は思わずその製品名をさけんだ。
「サーフィス!」
二人は顔を見合わせた。
「マイクロソフト、お前もか!」
そう遠くない将来、フィス勢が翻訳業界を牛耳る日が来るかもしれない。
(おわり)