【自己紹介】 死ぬのが怖いからノマドライフを送り始めた話
今の人生が終わる時、
「まったく!!!」
「いい人生だった!!!」
と心の底から叫べそうですか?
このセリフをご存知の人もいると思います。
漫画『ワンピース』に登場する、
Dr. ヒルルクというキャラクターが、
死に際に放ったセリフです。
あ、はじめまして。okamotoです!
『一寸たりとも後悔しない人生を送る』と決心したことがきっかけで、僕はノマドライフを送るようになったのですが、
そんな僕にとって、
「このセリフはホンマに最強やな。」
と感銘を受けて以来、僕の人生の目標になったわけです。
ちなみに、Dr. ヒルルクってこいつです↓
そんな “人生を人一倍大切にする系男子” である僕から1つだけお伝えすることができるとすれば、
ということ。
有効数字によっては100%にもなりえるわけですがw
「なぜ、人生はセルフイメージなのか?」
そして、
「なぜ、挫折で堕落し、惰性と妥協の人生を
歩んでいた僕がノマドライフを送るようになったのか?」
そんな経緯を話しつつ、僕の自己紹介がてら、セルフイメージに弄ばれてきた半生を紹介させていただければと思います。
ここから先、自分語りが多くなりますが
「自己紹介ってこんなもんなんかな」と、
人生の “恥部” を晒していきたいと思いますw
【 地球上にセルフイメージの天才が爆誕する。 】
「誰のことや?」と思ったかもしれませんが、
もちろん僕ですw
いきなり調子乗ったタイトルで始まりましたが、
関西のド田舎に生まれ、超保守的な親に育てられた僕は何ごとも卒なくこなす、いわゆる “何でもできる子” でした。
“自慢話から話を始める" という、おっさんが飲み会で最もやってはいけないタブーを犯して自ら離脱率を上げにいってしまったわけですがw
「キモいな、こいつ。」
という気持ちをもう少しだけ押さえて、読み進めてもらえれば幸いです。
すぐに転落しますのでw
引き続きプチ自慢を書かせていただきますと、
特に勉強せずともテストは100点
運動は学年全体151人中1位
クラス委員長によく選ばれる
小4で少年バレーボールチームのエース
習字で文化協会会長賞を受賞
ひいては、県内トップの中高一貫進学校に入学することになるんですから、それはもう調子に乗っていました。
イケイケドンドン小学生。
でしたが、
「どうせ、ここが人生のピークだろう」
というあなたの予想は、
ちゃんと正解ですw
順風満帆に思えた小学校生活でしたが、転機とも言える衝撃的なイベントが最後の運動会で起こります。
いま思い返してみると、
この運動会が人生で初めて “セルフイメージの大切さ” を実感した瞬間でした。
早すぎやろって感じですがw
で、何が起こったのか?
6年生の最終種目は『男女混合リレー』。
僕は “第1走者” と “アンカー” の2回走ることになっていました。
人数が足りなかったので足の速い男子が2回走るというやつですね!
大事なのでもう一度言いますが、
“足の速い男子” が2回走るんです。
そいつが僕なわけで。
もちろん1位でバトンを渡す気満々でした。
そして勢いよく走り出した僕は . . . 、
. . . ビリでした。
しかも隣のクラスの女の子よりも遅かったんです。
「いや、運動音痴ですやんwww」
ってなりますよね。
ただ、この出来事こそが僕にセルフイメージの重要性を教えてくれたんです。
というのも、僕は小6の時にはすでに中学受験のための塾に通っていました。
運動会は10月に開催されます。
ということは、
当時の僕は1月にある中学受験で頭の中がいっぱいなわけです。
「何があっても合格せねば!」
そう考えていた僕は、すっかり “ガリ勉マインド" だったんです。
すべてのアイデンティティを捨て、セルフイメージをガリ勉に振り切っていた僕は、ガリ勉として運動会で走っていた。
だから “無意識” 的にガリ勉としての姿をみんなに見せたかったんですよね。
しかも本人としては全力で走っているわけですから、
とも言えますね。
(いや、最初から運動できへんかったんやろ?と考えるのが普通やと思います。ですが、運動ができなかった期間は人生で「中学受験の直前」だけだったので、ただの運動音痴というわけでもなかったんですよね。もちろん、信じるか信じないかはあなた次第ですw)
で、友だちのお母さん達にガリ勉となった姿を見せることができた僕の無意識は大満足。
こうして自他ともに認めるガリ勉となり、
無事に中学受験に合格することができ、
「オレはスポーツの人間ではなく、勉強の人間だ!」
と全員が納得する形で中学生となることができたのです。
人生を振り返ってみても、
小学生の時ほどセルフイメージで能力を変化させるのが上手い時期はなく、
やはり当時の僕は天才だったんだなぁと感心します。
と、最後に悪あがきのような自慢を挟んだところで。
お待ちかね!
ここから長い暗黒期に突入しますので引き続きをお楽しみください。
【 中学生でモブキャラデビューを果たしました。 】
中学校では入試の結果で1つだけ特進クラスがありました。
僕は入れませんでしたが、まぁ特に気にしておらず。
(後で担任から「本当は入れていた」という話を聞いたときは、人生で初めて “コネ” という力を体感できました。)
ただ、県内一の進学校となると本当に頭の良い子たちが集まっていて、
特進クラスでなくとも “自分の自頭が周りより劣っていること” に一瞬で気づきました。
僕は自分のメンタルを保つために “運動できるバカキャラ” 路線に切り替えざるをえなくなったのです。
それが僕の生存戦略。
まぁ「自己防衛・逃避」とも言えますね。
ただ、このあたりから「自分がどうしたいか?」という主体性がなくなり、
コウモリのように周りに合わせて意見を変え、
他人の価値観に逃げるという臆病さを露呈させていったのです。
“どれほど他人の世界で生きていたのか?”
一例を紹介しておくと、
「あ、この先生は怒りたいタイプなんやな」
と感じると、
その先生の宿題だけを忘れて、わざと怒られるようにするレベルには "他人に合わせる" という生き方を拗らせていましたw
それからというもの、
思春期を他人の世界の中で生き続けた僕は、
自分のセルフイメージを下げに下げた学生生活を送り、
知らずしらずのうちに「他人に合わせること」が自分のアイデンティティだと思い込み、違和感すらも感じない不感症になっていました。
かつての文武両道天才小学生は、がっつりとコンフォートゾーン(=物理的にも、抽象的にも居心地の良い場所)をガリ勉界隈の底辺に形成し、当たり障りのない人生を送り始めたのでしたとさ。
【 所詮、モブキャラは人生を変えることはできない。なぜならモブキャラだから。 】
志望大学も当時付き合ってた女子で決めるくらいですから。
当然、落ちるわけでw
気づけば受験するまで名前も知らなかった国立大学の工学部に進学していました。
でも、ここで!
中高6年間、「主体性」というものを見失ってた僕がやっと自分の生き方に違和感を感じ、現状に抗うアクションを起こすのです。
それが「大学を辞めて再受験して京都大学を目指す」というアクションを取るんです。
まぁ結構なレベルで親不孝をするわけですがw
ただ、大学の同級生や友だちを見回したときに、
中学高校でいたような、自分を魅了してくれるような突き抜けて頭の良い人が見当たらず、刺激が足りないと思ってしまったです。
(性格が悪い理由であることは分かっていますが、そう感じてしまったのです。)
でも、これが自分の居場所に違和感を感じ、
そこから抜け出そうと初めて足掻いた瞬間だったんです。
『ここは自分の居場所ではない!』
現状のコンフォートゾーンから抜け出したいというなけなしの熱量がそこにはあり、
コンフォートゾーンを上げる
自分の価値観を採用する
両者において "自分を変える" べく、行動に移ったのです。
『コンフォートゾーン脱出計画』の遂行。
まぁ、今、書きながら名付けましたがw
翌年から浪人生として予備校に通い、秋の京大模試では志望学科1位を取ることができました。
自分の中でも、周りの友だちからも、
京大合格ムードが漂い始めます。
「人生を変えることができるかもしれない!」
正直、そう思いました。
再受験に反対していた親までも、
自分の息子の躍進に興奮し始めました。
が!
ここで僕のセルフイメージの低さ、そして臆病さを発揮してしまうことになるのです。
そんな意味不明な不安や思考・プレッシャーが頭の中を漂い始め、徐々に勉強に身が入らなくなってくるんです。
当時の感覚は今でも覚えていますが、油断したわけではありません。
無意識が「本当に京大に行くの?」と訴えてくる感覚です。
それっていうのは、浪人しても僕のセルフイメージはアホでモブのままなわけで。
一般に言われるところの
・引き戻しの原理
・ホメオスタシス(恒常生)
・クリエイティブアボイダンス(創造的回避)
が働き、勉強に集中できず。
そうしてセンター試験で盛大にコケました。
もちろん、無意識は安心するわけで。
蓋を開けると「京都大学・不合格」。
元いた大学に戻るという選択肢もありましたが、そんな気にもなれず。結果的に中期で受けた公立大学の薬学部に流れ着くのでした。
「模試で1位のヤツが落ちたの初めて見たわ!」
という友人のセリフとともに、
僕の『コンフォートゾーン脱出計画』は幕を閉じたのです。
今ならそう理解できますが、
当時の僕にとっては、
「再受験までして元のコンフォートゾーンに戻ってきたショック!」
「親に対して抱く、死ぬほどデカい申し訳無さ!」
「なにより、自分への情けなさ!」
死人レベルの無気力状態になりました。
来世に期待するマインドの20歳大学1年生の完成…。
言葉にすると、ちょっとおもろいですねw
世間一般には、
「若いくせに何を大げさなこと言ってんねん!」
で済む話ではあるんですが、
『東大!京大!国公立の医学部!』
が呪文だった中学・高校に通っていた僕は、
それ以外の大学に行くやつは “人生の負け犬” だと洗脳されてたんです。
大学を辞めて浪人してもダメだったとなると、
なおさら自分はダメなやつなんだと思えてきます。
全裸の姿に「負け犬」というレッテルをアロンアルファで貼り付けて生きてるくらいの感覚。
自信の無さにもより一層、磨きがかかります。
全てがどうでも良くなった僕は、
朝4時まで営業している近所の八剣伝という大衆居酒屋で浪人組の友だちと傷を舐め合いながら酒を飲む、というクソみたいな大学生活を送り始めました。
まぁこちとら大学1年生で成人ですからw
【 中二病がゆえに人生が救われました。 】
ということで大学では、
ずっっっっっっっと腑抜けた生活をしていました。
「人生の夏休み」と呼ぶに相応しい堕落っぷりを見せつけていたわけです。
ですが、それでも腑抜けなりに、
「いつかなんかおもろいことに巻き込まれて、人生が急展開して面白くなるやろ!」
と密かに “心の準備” だけは完璧にしていました。
そして、気付けば、20代前半終了 . . .
「待ってても、永遠に人生おもろくならへんやんけ!!!!」
発狂しました!www
「なんや、この人生!?」
家賃4万円のワンルームで待てども待てども、
とまぁ、さすがに本気でここまで高望みはしていませんでしたがw
それでも厨二病なりに、
「大学生やし、誰かしらおもろいヤツが現れて、刺激的な世界に連れてってくれるんちゃうか!」
そのくらいの期待はありました。
『もやしもん』くらいの面白イベントは起こってくれてもええやん、とw
しかしながら、
そんな都合よく人生が面白くなるほど現実は甘くなく、
「あ、人生って自分でオモロくせなあかんのや。」
と、おっさん間近で気づきました。
ふつうの大学生は入学式に考えるであろう、
『人生を面白くするためには、どうすればいいのか?』
を、この段階まできてやっと自分の頭で考え始めたのです。
受験で大ダメージを受けていた僕も、
この頃にはある程度、傷が癒えてました。
人間に備わっている「忘却」という素晴らしい能力に感謝ですね。
(言い換えるならば、お酒のチカラは偉大ですw)
ただ、「実質二浪」+「大学4年生」でやっと大学デビューした僕は、何をすれば良いのか分からない。
だから手探り状態ではありますが、
それでもそこからいろいろ足掻いてみることにしたのです。
一般大学生の範疇内ですが、
それまでの飲んだくれに比べたら、
かなりアクティブになりました、よね?
今、考えてみると、
「もうちょっと意味のある行動ができたのでは?」
と感じるというのは置いといてw
でも、ずっと何もしなかった堕落大学生だったんですから。
知識も経験もなく、今ほどネット上に情報もなく、
まぁ思いつくことは限られていますよね。
結局、何かが成果として実ったわけではありませんが、
それでも自分の頭で考えて動き始めてみると、
1つの体感を獲得することができました。
それまでは他人や環境に合わせ、完全かつ完璧な受け身人生を送っていたわけで、思考停止モブモード全開でした。
学部の薬学だったので、
「このまま薬関係の職業に進むんやろなぁ。」
と自分の選択肢を狭め、
てっきり現状の延長線上の人生を生きるしかないと思い込んでいたのです。
でも、実際は、
そんな体感を得ることができたのです。
「ちょ、人生って自由すぎへん?」
他人の価値観・他人の世界のキャラから解放されはじめた瞬間です。
そんなこんなで、
「これから何をしていこうかな〜?」
と考えていると、
ふと頭の中に1つの考えが思い浮かんだのです。
「ハワイに住みたい。」
ハワイに行ったこともないのにw
ハワイどころか、
海外経験は、高校の修学旅行で行った韓国くらいw
それなのに「ハワイに住む」という漠然とした願望を実現してやろうと思えてきたのです。
もともと英語が好きで、
大学でも精神安定剤かのように英語の勉強は続けていました。
貧乏人マインドだったために語学留学に行くこともなかったですが。
(留学なんて金持ちのやることだという卑屈な考えを持っていましたしw)
それでも、大学で英語の勉強を続けていたのは、
漠然と「いつか海外に住めたらええなぁー」と心の奥底で憧れを持っていたから。
これってわりと本質的なことだと思っていて、
いつもただ漠然と「できたらええなー」と思っていることって、案外本当にやりたいことだったりするんですよね!
やりたいことなんだけど、
無意識に諦めてしまっているだけ。
実際「ハワイに住む」という憧れは現実問題不可能なことではなく、ただの選択の問題。
だから、
「ハワイでも暮らすことができるライフスタイルを確立してやろう!」
そう決心したのです。
ここでもある種の厨二病を発揮していますねw
【夢は他人に笑われるくらいがちょうどええ。】
それから同大学院に進学して研究室生活を送り始めるわけですが、
その頃には何かと「将来、ハワイに住むわ!」と口にするようになっていました。
そんなある日、研究をサボって大学裏の公園で散歩していると、
小学生の頃からの友だちから電話がきました。
彼は東大在学中に起業し、
3ヶ月で2000万円を稼いだ天才ですが、
「人手が足りやんのやけど、手伝ってくれやん?」
と和歌山弁丸出しで言われ、
全く何をすればいいか分かりませんでしたが、ノリでOK。
彼いわく、僕が「ハワイに住みたい」と言っていたこともあり、こういうのに興味があるかなと思って連絡してきてくれたみたいです。
ちなみに、これが僕のノマドライフの第一歩目になるわけですね。
その後、僕はマーケティングを手伝うことになり、
安定的に月300万円の売り上げを出すようになりました。
大学院生マーケター。
うん、悪くない響きw
で、ここで学んだ教訓は、
ということ。
実際、僕はハワイに住むための具体的な案があったわけではありません。
(もちろん、実力も。)
それでも、
「ミーハー丸出しやろ!」とバカにされようが、
「ハワイは逆にダサい。今は発展途上国の方がかっこいい」みたいな風潮があろうが、
「ハワイに住む」という自分の価値観を採用していると、「こいつ変なヤツやな」と興味を持たれることがあるということです。
もともと超保守的で、事なかれ主義の僕ですから、
「ハワイに住みたい」と言いはじめたときは、
仲の良い友人に驚かれました。
「トチ狂ったのか?」と。
でも個人的には、
他人ドリブンで生きるのではなく、
「自分ドリブン」で生きることで、
人生の歯車が回り始めた感覚はあったんです。
そんなこんなで大学院生活は終了。
僕は就職活動を経て、会社員になりました。
【 「死の恐怖」覚醒モードに入りました。 】
「ハワイに住む」という目標もあったので、
少しでも意味を持たせるために外資系企業に就職しました。
で、ここでいきなり過去回想に入りますが、
僕は学生の頃、
アルバイトをしていると、よく、
『人生を切り売りしている感覚』
に襲われていました。
ただ時間が過ぎるのを待つということは、
生きている心地がせず、
強烈な「虚無感」を感じたのです。
学生の頃の僕にはお金を稼ぐ力が自分にはなかった。
だから唯一、自分の持っている人生という「時間」を犠牲にして「お金」を手にするしかありませんでした。
そんな感覚を持っていた僕は、
アルバイトが大嫌いだったわけですが、
この感覚は会社に就職した後も継続したということです。
会社ではそれなりに給料が貰える。
簡単に有給も取れるし、残業することがあれば、ちゃんとその分支払われる。
友達から羨ましく思われる程のホワイト企業で、しかも上司も人格者で優しい方。
こんな恵まれ過ぎた環境でもアルバイトと同じように、
『人生を切り売りしている感覚』を抱くということは、根本的な原因は「お金」ではないということが分かりました。
そして、この虚無感がピークに達したある日、
自分でも衝撃的な出来事が起こりました。
強烈な “死ぬことに対する恐怖” に襲われたのです。
というのも、
僕は "死ぬのが怖いと思う派" なんですね。
「そりゃ、みんな死ぬのは怖いやろ!」
と思うかもしれませんが、
人よりも死に対する恐怖心が強く感じる性質を、
「タナトフォビア(thanatophobia)、死恐怖症」と言うそうです。
高所恐怖症や閉所恐怖症の「死ぬのが怖いバージョン」。
まぁ何でも名前を付けたがるのは業界の悪い風潮ですねw
ちなみに「thanato-」が「死」を表す接頭語で、「phobia」が「恐怖症」を表します。たとえば高所恐怖症はacrophobiaと言うらしいです。
(英語で言えるとかっこいいかもと思って紹介させていただきましたw)
で、話を戻すと、
死ぬのが怖い派である僕としては、
人生の切り売りは
“貴重な人生の時間をお金に換金している”
という行動であり、恐怖体験でしかなかったのです。
「実はおれ、死ぬのが怖いんだよね。」
とか、他人に言うことでもないので、
毎日、精神を削りながら恐怖体験に耐えて働いていたわけですが、
仕事終わりに同僚とお酒を飲んでいるタイミングで、
疲れと酔いが合わさって『発作レベルのタナトフォビアの恐怖』に襲われてしまったんです。
いやぁ、自分でもびっくりですよねw
自分で自分の太ももを思いっきり叩いて自我を保とうと必死でした。
和歌山弁で青あざができることを「にえる」と言いますが、
あとで確認すると太ももは殴った形にちゃんと “にえて” いました。
【 精神科医の先生が人生の何たるかを教えてくれました 】
そんな発作を経験してからというもの、
寝る時に不安を感じるようになり、
寝付きがめちゃくちゃ悪くなってしまったのです。
男の寝てない自慢はキモいとは重々存じ上げていますが、
平日の平均睡眠時間が3時間とかになってしまったのです。
ただ、死ぬのが怖い以外は、
特に精神が病んでいるわけではなかったので、
「人間って案外寝なくても平気なんやな。」
と呑気に自分の体の丈夫さに感心するくらいの余裕はありましたw
「ショートスリーパーになったわー!」
とか冗談を言ったり、
睡眠時間が5時間取れた日には、
「今日、めっちゃ元気やわ!!」
と同僚におちゃらけるくらいの元気もありましたし。
でも、そんな低時間睡眠生活を続けていると、
もともとロングスリーパーだったということもあり、
半年くらい経った頃にとうとうボロが出はじめました。
前日の記憶がない。
「あ。あかん。寝やな。」
とわりと冷静に思った僕は、
せっかく薬学部を出ているんだし、
薬で解決してやろうと、
近くの精神科病院に睡眠薬をもらいに行くことにしました。
初めての精神科ということでちょっとワクワクw
アンケートのような問診票に記入し、
診察室に入って、
精神科医の先生に、
「どうされましたか?」
と聞かれたので、
「死ぬのが怖くて、夜寝れません。」
と伝えると、
医者が「ふっ」って鼻で笑ったんです。
と思わず心の中でツッコみましたよねw
僕じゃなかったら、
泣き崩れて人間不信になってますよ?
良かったですよね。僕がすでに大学受験で大きな挫折を経験し、それゆえにメンタルが強化済みでw
まぁ、この経験のおかげで、
自分の問題は他人に頼っても
解決されるものではない!
と気づけたので結果オーライではあるんですがね。
ちゃんと睡眠薬は貰えたし、
いつかこの話をネタにすることで許してやろうと思いながら、最初で最後の精神科病院をあとにしたのでした。
(これ見よがしにプロフィールに書いてやりましたよw)
ただ、予期せぬ形で「医者や薬に頼っても解決せん。」ということが実感できたのはデカい収穫。
(薬学部出身なのにw)
「自分でなんとかしよ!」
という思考にはすんなり移行することができたのは正直、ラッキーでしたよね。
死ぬ恐怖を感じる原因である、
『人生を浪費している感覚』をなくす、
そんな生き方に向き合う時期は明らかに早まったと思いますので。
自分の価値観が反映されていないモブキャラとして生きるのを辞め、信念を持った自分の人生の『主人公』になってやろうと。
予てから抱いていた「ハワイに住む」という夢の実現化という野望を胸に、
他人に合わせて生きるのではなく、タナトフォビアでも笑って死ねるような、自分の価値観を100%体現した生き方を送り始め、そして、その生き方を僕なりの「ノマドライフ」と呼ぶことにしたのでした。
【 タナトフォビアが笑って死ぬためにノマドライフを送り始めた真意。】
とまぁ、ここまで人生の恥部ストーリーを曝け出してきたわけですが、
こうして僕は『タナトフォビアが笑って死ぬ』ために『ノマドライフ』を送るようになった、ということですね。
ちなみに、ここまで読んでくれた方なら理解してもらえると思いますが、
僕が定義するノマドライフは、
「ただ、好きな場所でパソコン作業して生きる」
という意味では “ありません” 。
ただ、忘れてはいけないのは、
あなたがどんなノマドライフを送るにせよ、
冒頭でもお伝えし、
僕の人生恥部ストーリーで裏付けした通り、
『人生の99.9%はセルフイメージで決まる』
しかもセルフイメージが、
『自分に対する自己評価』であり、
『自分が積み上げていくもの』であるということを考えると、
自分らしいセルフイメージを築いていくことこそが人生なのだと言えるわけです。
つまりは、
人生は自分次第。
長々と話してきた割には至極当たり前な結論に行き着いたわけですねw
ただ、当たり前を当たり前に実践するのが一番むずかしい!
と、それっぽいことを言って乗り切ろうと思いましたが、多分乗り切れていないのでw、
最後に、
「じゃぁ、僕らがセルフイメージを積み上げていくために必要なものは何なのか?」
について話をしたいと思います。
人生はセルフイメージであり、
セルフイメージは積み上げていくもの。
「じゃぁ、そのセルフイメージを積み上げるために必要なものは何なのか?」
それは『思い出』です。
「想い出」と書いても良いですし、エモい感じで「おもひで」と表記してもOKですw
いずれにせよ、 "意味のある思い出" を持つことで僕らのセルフイメージは形成される。
「いや、どういうことやねん?」
と思うかもですが、
ここでは「自己イメージ」と表現する方がイメージが付きやすいかもしれませんね。英語を日本語にしただけですがw
そもそも僕らの自己イメージ(セルフイメージ)は、“過去の経験や記憶” によって形成されています。
ですよね?
ということは、
僕らがどんな思い出を持っているのかが、
僕らの自己イメージを形成してるということができる。
だから自分にとって意味のある、有意義な思い出を持っている人は、自分らしい自己イメージに近づくことができているし、
周りに合わせた意味浅い、スカスカな思い出しか持たない人は、自分らしい自己イメージから程遠いものになってしまっているんです。
しかも!
自己イメージが僕らの人生を決定づけているということを考えると、
「自分らしい人生を送ることができるかどうか」は「自分らしい思い出を取りにいくことができているか」にかかっているわけです。
『人生は死ぬまでの思い出ポートフォリオづくり』
これが僕の結論です。
だから、冒頭で話したように、
「まったく良い人生だった!」と言って、
笑って死ねるような人生を歩むためには、自分にとって "より重たい思い出" を取りにいくことで達成可能である。
自分にとって "より重たい思い出" を取りにいくことで、
自分らしい自己イメージ(セルフイメージ)を形成でき、
ひいては自分らしい人生を歩むことができるようになり、
一寸の後悔もない人生を歩むことができる。
笑って死ねるような「今」を送ることに繋がる。
要するに、
思い出は重いでってことですね。
. . . 。
と、盛大にスベったところで、
そんな人生を送るために、
僕らは『思い出づくり力』を高めていかなければいかない。
ということで、
「じゃぁ、思い出づくり力を高めるために必要なことは何か?」
僕らが具体的に人生を変えていくために、
思い出づくりを捗らせるための要素は5つあります。
『お金(Capital)』
『メンタル(Mental)』
『身体(Body)』
『人間関係(Relationship)』
『視野(Perspective)』
僕らは具体的にこの5つの項目において『人生ポートフォリオ』を構築することで、
重い思い出づくりが捗るようになり、笑って死ねる人生に近づいていくということなんです。
そして、僕はこの5つの項目における人生ポートフォリオを僕なりに最適化していく過程とその方法論について発信しているやつである、ということですね。
はい、ということで、
以上が、僕の自己紹介ストーリー『タナトフォビアが笑って死ぬためにノマドライフを送るようになった話』でした。
僕は「ハワイに住みたい」と思ったことをきっかけに、他人に笑われようが公言し続けた結果、人生の主人公に戻ってくることができました。
繰り返しにはなりますが、
間違ってもモブキャラとしてのセルフイメージを形成してはいけません。
そのセルフイメージがあなたの人生を決定づけてしまいますので。
絶対に人生の主人公としてのセルフイメージを構築してってください。
そのためには材料である『思い出』を取りにいく必要があります。
あなたらしい思い出が、あなたらしいセルフイメージを形成し、あなたらしい人生を築きますので。
その上で欲を言えば、
他人に笑われるくらいの夢を持ってください。
現状を変えるためにはコンフォートゾーンを抜け出さないといけませんが、
そのためにはセルフイメージを変える必要があります。
セルフイメージが変わっていなければ、僕が大学受験を失敗したように元の場所に戻ってきてしまいます。
既存のセルフイメージをぶっ壊すには、他人が笑うくらいぶっとんだ夢を持ち、それを叶えにいくという行動が「効果がバツグン」です。
夢は他人に笑われるくらいがちょうどええ。
ついでに精神科にも笑われるくらいがちょうどええ。
思い出やら、夢やら、綺麗ごとのように思えるかもしれませんが、
これが『超実践的かつ現実的な人生を変えていく方法論』になるわけです。
今回の話は理想論で言うと、
「今日が人生最期の日だとしても、笑って死ねますか?」
つまり、
「いつ人生が終わろうとも後悔しないような日々が送れていますか?」
という意味です。
「80歳になった時に笑って死ねたら良いよね?」
という話ではないということです。
「いや、じゃぁ、おまえは今日が最期なら、笑えんのか?」
と聞かれると、僕もまだ『NO』です。でも、
そんな状態を目指して日々を生きることが
本当の『自分らしい人生』に近づく。
僕はそう思うのです。
だからこそ!
僕はこれからも率先して人に笑われるようなノマドライフを体現をしていく所存でございます。
たしかに現時点ではまだ僕はハワイにすら住めていません。
それでもこうしていろんな国に行き、異文化に触れ合ったり、ビジネス仲間やノマド仲間ができたり、心身ともに健康であることの大切さを思い知ったり、いろんな経験ができるようにはなることができました。
これは他人に合わせて生きていた、モブキャラとしての僕では、絶対に持つことができなかった "重い思い出" たちです。
実際に、「ノマドライフを送り始めたことで見えるようになったこと」「自分の守備範囲が広がったことでやりたいと思えるようになったこと」はどんどんと増え続けています。
巷で噂な “ゴールはいつでも修正可能” を僕自身で体現しつつ、もちろん「ハワイに住む」という夢も継続中なので、
今後も、経験したことや学んだことを発信しつづ、引き続き、ハワイに住むようになるまでの軌も、みなさんにお見せしていきたいと思っています!(一方的にw)
ということで!
以上が、okamotoの自己紹介でした。
僕の人生恥部ストーリーが、少しでもあなたの背中を押すことができていれば嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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