海外旅行について。再び
再び、海外旅行について。
「再び」というのは、前にも書いたことがあるからだ。
それとダブることになるが、もう一度、書いてみたい。
昔、外国は遠かった。
単に距離的なことだけではなくて、精神的に。
もっと昔、東京でさえ遠かった。
勿論、高速道路も通っていなかったし新幹線もなかった昔。私がまだ学生だった頃。距離的に遠かったのは勿論だが、私の感覚の中で遥かに遠い場所だった。外国は更にだ。
そおいふものに憧れていた。
探検や冒険のノンフィクションものを好んで読んでいた、けれども、それは読んでいただけだった。単に憧れていただけだった。
実際に自分がそこへ向かおうとは思わなかった。
そこら辺の感覚をどう表記したらいいか?今の私にはよく解らない。
その、「遠い遥かな隔絶した」感覚は、もう失くなってしまっているからだ。
自分の中では現実感がなかった、というよりは、自分の現実感というものがものすごく狭かったと、今ではそう思うのだけれど。
例えば。
高卒で実家を出て一人暮らしを始めた頃。東京は駅周辺しか知らなくて、面としての認識は全くなかった。そこが、現実に生きている人間たちが住み暮らす場所だとは思っていなかった。それが、点と点が結ばれていって繋がり面として認識されて行くと、方向感覚も備わって、現実感がなかった東京という場所が、現実にある場所として認識されていった。人間たちが住み暮らす場所として、東京という街があるのだと認識・理解できる様になっていった。
あの頃の、「遥かな隔絶感覚」、あの感覚、というものが、今ではもう、遠い蜃気楼の様に思える自分がいる。それだけ私は歳とってきているのだった。
ともかく。
日本国内での飛行機移動はしたことがない私は、飛行機に乗るということも、私にとっては非日常的なものだったのだけれど。
それがどうだろう?
三年連続でネパール行き、それも格安航空券だから乗り換え二度、それで、空港という場所も飛行機に乗ることも、非日常感がスッカリ色褪せてしまった。様に感じている。
飛行機に乗ることが外国へ行くための移動といった感覚、それがスッと腑に落ちている。
なんだかツマラナイ気がしている。