またネパール
昨日、カトマンドゥ空港到着、
またネパールに来ている。
中国国際航空で(おそらく最安値チケット)、上海と成都で乗り換え二度。そのたびに、預け荷物ピックアップ&預けと、通関手荷物検査とかやらないかんかった。
成田空港発09/07、その日の夜は成都空港内でSTAY。
なんやかや、色々ありましたが、なんとかなりまして、ネパール入国できました。
ヤレヤレ、です。
約2ヶ月間滞在。
昨夜ムスタンというビールを飲んで、そうだ!『鳥葬の国』があった!と、とうとつに思った。
川喜田二郎だ。。!!
『鳥葬の国』ってムスタン王国でのことであってる? チョト直ぐには判らなかった。
とにかく、川喜田二郎、京大グループだよ。
川喜田二郎の、京大山岳部先輩に今西錦司がいた。
「今西錦司」を検索してみて、そこの「関連人物」の欄で。
桑原武夫(今西錦司と同期生)、中尾佐助(植物学者・照葉樹林文化論提唱)、河合隼雄、等々、、西堀栄三郎(は植村直己を支援していた)や梅棹忠夫(民族学者)もいた。
と。
初めは、河合隼雄(心理学者)に目がいったのだけれど、その直ぐ上に河合雅雄があって、。。?
あれ?と思って、河合雅雄をタップ、そしたら、霊長類学者の河合雅雄は、河合隼夫の兄だった。。
心理学者の河合隼雄が、どうして?「今西錦司」の関連人物にいるのか?よく解らんのだが、
といえば、梅棹忠夫もチョット?(登山家という感じゃなかった)、だったけど、旧三高時代から山登りに熱中してたそうで、京大山岳部つながり、と解釈した。梅棹忠夫は、むしろ探検家?or民族学(文化人類)者で、国立民族博物館初代館長の印象。
さて、と。
話しはムスタン、ネパールのことだった。
私が中学生の頃、1970年代始め、
その頃に植村直己のことも知ったのだ、と思う。
植村直己の初著作本『青春を山に賭けて』が毎日新聞社刊行でだされたのは、1971年だった。
因みに。
川喜田二郎の『鳥葬の国・秘境ヒマラヤ探検記』出版は、1960年、光文社カッパブックスから初め出版されている。その後講談社文庫本1978年。
・・!
あ!今、とうとつに思ったんだけど。
KJ法(or梅棹忠夫の京大メモも?)って、曼陀羅ワークにメッチャ似てる気がする。
更にさらに。
本多勝一の秘境記録本三部作、
第一作め『カナダエスキモー』出版は1963年(初めは朝日新聞社。後に講談社文庫本&朝日文庫本)、この解説を、梅棹忠夫が書いている。
二作めの『ニューギニア高地人』出版が翌1964年で、この本で解説をかいているのは中尾佐助。
三作め『アラビア遊牧民』は1966年、この解説は桑原武夫。
・・・
ムスタンへ行くのは、けっこうお金かかりそうだ。勿論、今回は無理。
今回のネパール、やはりまたトレッキングに行きたいとの思いあるのだけれど(どこへかは?未定)、だけどだけど、今回はお金が少ないのだった。(もしかしたら山の方じゃなくてチトワンで像orカヌーかも??)
2019年は1ヶ月だけだったし、2022年は成田のお寺にいて家賃とかの支払い不要だったし。しこうして、今回は家賃支払いあるのに2ヶ月。。(;¬_¬)
USA(Grafton)へもインド(ラジギール)へも行かないでネパールだけにして。(ネパール1ヶ月だけにしとったらインド行きできたかなぁ・・?)