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イタリア映画

ヌーベルバーグから。
な~んか、フランス映画(界)とイタリア映画(界)の関連に思いがわいた。

『ヒッチハイク』(77)という映画は、アメリカ資本だった。あれ?とか思ったこともあり。

単純に、なんで仏と伊なのか?
やっぱり、地中海、でしょうか?
それにしては、フランススペイン合作映画は??。少ない気がする。
『アンダルシアの犬』(1928年、ルイスブニュエル)はフランス映画だった。。!

19世紀末(1895年)フランスで生まれた映画は、間もなく特撮映画が創られ(Jメリエスの「月世界旅行」1902年など)、その後イタリアでも発展する。
殊に、移動撮影。
なぜか。
イタリアには、ローマ時代の遺跡がある。それと人物(の表情)とを、カットつなぎではなくて同時的に映し出したいとなれば、カメラをまわしたまま移動させることになるわけだ。

仏伊合作映画で、私が真っ先に思ったのが、『太陽がいっぱい』(1960年)。
あの海の光は、やはり地中海のものだろう。(行ったことないけど)

「仏伊合作映画」で検索してみたら。。
『昼顔』(’67)や『仁義』(’70)、
『ベニスに死す』(’71)や
『去年マリエンバードで』(’61)や『ニューシネマパラダイス』(’89)もそうだった。その他にもけっこうある。

『ベニスに死す』の海辺も、やはり地中海だろう。
この映画は、トーマスマンの小説を原作としていて、実際にトーマスマンはベニスに旅行して滞在中に(当時)10歳だった美少年に出会っていた。なので、より正確には、舞台は地中海というよりもアドリア海というべきかもしれないが。

因みに。
ゴダールの『勝ってにしやがれ』公開が1959年、カンヌ映画祭粉砕事件が1967年。
こうした年代を眺めてみると、1960年の『太陽がいっぱい』と1961年の『去年マリエンバードで』が、なんとも異色作に思えてきてしまう。。?!
あの頃のフランス映画界にヌーベルバーグ(運動)映画が席巻していたわけではなさそうだったんだ、と。

Fトリュフォーは、イタリアのRロッセリーニのもとで映画製作していた。。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』('42.R・ウ゛ィスコンティ)
『無防備都市』('45、R・ロッセリーニ)、
『自転車泥棒』('48.ウ゛ィットリオ・デシーカ)、
『道』('54.F・フェリーニ)、
『鉄道員』('56.ピエトロ・ジェルミ)、
『さすらい』('57.M・アントニオーニ)
『シシリーの黒い霧』('62.F・ロージ)
『アポロンの地獄』('67.P・P・パゾリーニ)
等々、有名どころ(ネオリアリズモと称される作品もあり)から、
ヤコペッティの『世界残酷物語』や、
フランコ・ゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』('68)『ブラザーサン・シスタームーン』('72)や、
B・ベルトリッチ監督(この人はイタリア人ぽくない感じだけど?)や
リナ・ウェルトミューラー監督もいたし、
エルマンノ・オルミ((「木靴の樹」('82.)「聖なる酔っ払いの伝説」('92.。ルトガー・ハウアー主演))
ジュゼッペ・トルナトーレ
『ニューシネマ・パラダイス』('89.) 、
 タウ゛ィアーニ兄弟(『グッドモーニング・バビロン』'87)もいたし、
そうして、なんとなんと、 『荒野の用心棒』('64)『夕陽のガンマン』('65)や『ワンス・アポン・アタイム・イン・アメリカ』('84)とかの、セルジオ・レオーネ、もなのでした。!〔、黒沢明の『用心棒』が('1961年)!〕

ロッセリーニ、フェリーニ、アントニオーニ、パゾリーニ、ウ゛ィスコンティ、
等々、いやぁ、キラ星のごとく、すごい映画がいっぱいだぁ!
すごい❗。


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