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『無辜なる海~1982・水俣』(1983) 

1988年、何度めかの東京アパート暮らし、当時私は千石にいた。

その年の年末に、確か上野の公園だったと思うが、なんか反原発のお祭り?があって、私はそこへ出かけて行ったんだな。
そこで、香取直孝さんに出会った。(また?かも)

それで、香取さんが、「原発いらない大行進」なるものをしていると知って、誘われたのかな、とにかくそれに参加することにした。
まぁ、ランニングに参加したから、今度は歩いてみようか、くらいの感じで。

1988年夏にランニングがあったから、・・・
いや、まてよ。私がその行進に参加したのは1989年に八百屋旬へ行っての年だった、けれど、その前の1988年にも部分参加していた気がするから、となると、1988年末の上野公園でのお祭りに香取さんと初めて出会ったわけではないことになる・・?あれ?

あ!そうだ、そうだ。それでいいんだ。と思う、けれど、1988年の原発いらない行進のことはどーも記憶曖昧。?変だな。

とにかく。その「原発いらない行進」は何回かやっていた。
1989年、私は、香取さんがやっている八百屋旬で働くことになって、「原発いらない大行進」(全行程)に参加したのだった。
それで?、香取直孝さんが、水俣のドキュメンタリー映画『無辜なる海』の監督だったことを知った、と思う。

『無辜なる海~1982・水俣』(1983) 
このドキュメンタリー映画、見たと思うのだけれど・・・?
それが、いつ、どこでだったか?、見た感想についても、ほとんど記憶がない。

水俣のドキュメンタリー映画というと、土本典昭という人が何本か撮っていて、この人の名前は、小川伸介や羽仁進と共に記憶していた。二十歳代、主に1980年代、東京アパート暮らしで名画座通いで映画を浴びる様に?観ていた頃。

おそらく、その頃に『無辜なる海』という映画は聞き及んでいたと思う、けれど、結局その頃には観ていなかった。
私が『無辜なる海』をみたのは・・?だいぶ後になってからだと思う。それにしても、記憶曖昧。

とにかく。1989年には知っていた。そうして、そのスタッフに佐藤真氏がいたことを知って、驚いた。
だから、佐藤真監督の『阿賀に生きる』(1992)を、その前に観ていたことになる、はず。だが、これまた記憶曖昧。私が見ている佐藤真監督映画はこれだけ。
佐藤真氏2007年9月に高島平団地で飛び降り自殺したニュースを聞いて、とても驚いた。

今回の検索で、佐藤真監督映画もそうだし、『無辜なる海』ももう一度見たいと思っているが、『無辜なる海』の取り扱いを、映画配給&製作会社のシグロがしていると判明。。これまた驚いた。

それと、香取さん、どうもぴあ展入選作もあったと判明。こらまた、見てみたい!と思った。

蛇足。
2005年末に、前橋でやっていた焼き鳥屋を辞めてから、日本山妙法寺とのご縁が深まっていった中で、私は再び香取さんと出会って、そんな日本山のイベントとかで何度も会うことになった。香取さんも団扇太鼓を持っていたのだった。

これまた驚いた。




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