『見るレッスン』
蓮實重彦の『見るレッスン』をAmazonで購入してみたら、それが光文社新書だった!
興味深い題名の新書本を既に三冊読んでいるが、全て光文社新書の本だ。
この本の題名を見て興味をひかれて読んだのだけど、正直なとこ、ガッカリだった。
見る、というのは、映画を見る、ということであって、「見る」ということの意味とか、見るということそのものについての考察ではなかった。勿論、「映画を(映画館で)見る」こと、そのことじたいの論考でもなかった。
たんに、映画を見るレッスン。
つまりは、
よりよく見るための、もしくは、どの様に見るべきかとの、アドバイス。
「映画を見る」とは、こういうことなのだ!という、蓮實重彦のお言葉、が書かれてある本、と言っていい。
しかるに、私は「なぁ~~~んだ」と思ったのだった。
私は、「映画を見るということ」とは?
ということに関心が強い。
私は、映画館で映画を観てきた(それも名画座。洋画さ字幕派)人間で。
どうして、映画館で映画を観たいかといえば、私の場合、明らかに現実からの逃避、だった。
自分の現実を忘れさって、映画の世界に浸っていたいのだった。
あの映画館の暗がりの中でスクリーンを見つめている、そういう環境をひっくるめて、「映画が好き」なのだ!
私が、映画が好き!なわけなど、そういった私のことを書くのがここでの主旨ではない(それにそういうことは既に書いた)から、もう省略するけど。
とにかく、
蓮實重彦の『見るレッスン』は、
私の期待からは外れていたのだった。
実際、ここに書かれてあることで、私にとっては納得いかないものや賛成できないもの等々、いくつもあった。
けれども、とにかく、(蓮實重彦が注目したであろうはずの)『寝ても覚めても』を見たことによって、(濱口竜介は東大卒業だし蓮實重彦は濱口が在学中の頃東大総長だった)、
私は、蓮實重彦が言わんとしているところ(蓮實重彦がどういうことに重点をおいて映画を見ているか?)が、私の中で、よりハッキリした、と思う。
してみれば、
この本は、そういう態度(心構え)で臨まねばなるまい。
再読せねば!と思うゆえん、である。