たとえ全世界を犠牲にしても守りたい人がいる 『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』
■あらすじ
春になり、門出(かどで)と凰蘭(おうらん、オータン)は、一緒に駿米大学に通い始める。新入生の通過儀礼はサークル選び。ふたりはオカルト研究会に入り、石川県から上京してきた竹本ふたば、田井沼マコトという新しい友達もできる。
新学期前には大量の「侵略者」が地上に降下し、自衛隊や自警団による「侵略者狩り」も頻繁に行われている。
門出や凰蘭と同じ高校の出身で、以前キホと交際していた小比類巻健一は、自警団のメンバーとして「侵略者狩り」にのめり込んでいる。一方ふたばは「侵略者」と友好的な関係を築こうとする市民グループ「SHIP」のメンバーとして街頭活動を行っている。社会には大きな亀裂が生じていた。
凰蘭は行方不明になった男性アイドル大葉圭太の姿を借りた「侵略者」に出会い、彼を匿うことにする。圭太は「侵略者」の道具を使って、凰蘭が記憶の底に封じ込めていた記憶を知る。それは門出の過去にも関わる記憶だった。
■感想・レビュー
浅野いにおの同名コミックを長編アニメーション映画化した作品。3月公開の『前章』に続く第二部であり完結編だ。
映画前章では青春群像劇になっていた作品だが、後章では前章以上に登場人物を増やしながら、物語は門出と凰蘭にフォーカスして行く。前章でも物語の中心が二人であることは示されていたが、後章になって物語の中心が凰蘭であることが明かされる。「侵略者」の地球への飛来も、その後に予告されている世界滅亡も、すべて凰蘭がキーパーソンになっているのだ。
このことが明かされたことで、親友の門出すら物語の周辺に押し出されていくのは衝撃的だ。世界は凰蘭中心に動いている。だが凰蘭自身は、このことに気付いていない。ひょっとしたら気付いていても、あえて気付かないことを選択しているのかもしれないが。
例え世界が滅びるとしても、凰蘭は自分と大切な人との関係を選び取る。その大切な人を守るために、彼女は自分と親しい多くの人たちを犠牲にして悔いることがない。凰蘭にその自覚がないとしても、そういうことなのだ。だが映画を観る人は、凰蘭の選択を支持するだろう。いいじゃないか、それでも。
この展開は新海誠の『天気の子』でも観たものだ。庵野秀明の『エヴァンゲリオン』シリーズも、ひょっとしたら同じことを別の表現で描こうとしているのかもしれない。これが21世紀を生きる、我々の気分なのだろう。
荒唐無稽なSFだが、描かれている「正常性バイアス」にはリアリティがある。東京上空に巨大な円盤が浮かんでいても、人々の生活はそれ以前と変わらない。まるでそこになにも存在しないかのように、人々はそれを無視して生活している。これは他のSF映画や巨大モンスター映画などにはなかった、社会の描き方だと思う。
人類はたぶん、こんな風に滅んでいくのだ。諸外国で何が起きるかは知らないが、少なくとも我々日本人は、将来こんな風に滅んでいくことになると思う。
TOHOシネマズ日比谷(スクリーン11)にて
配給:ギャガ
2024年|2時間|日本|カラー
公式HP:https://dededede.jp/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt28813376/