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私と子宮にあったこと

普通じゃないと気付かなかった

「生理痛はね、重い人はずっと付き合って行かなきゃいけないのよ」

修学旅行の初日から初潮を迎えてしまった私に、同行していた保健室の先生がそう言った。
保健室の先生は優しい人で、私は一応の用意として大きいナプキンと普通サイズのナプキンを持って来ていたが、夜中にこっそり部屋まで尋ねて来てくれて追加のナプキンをくれた。不安だったら重ねて貼っても大丈夫、と教えてくれた。

それでも血液は寝ている間に布団に染み込んだし、私は旅館の仲居さんに何回も謝った。「初めてなの?びっくりしたでしょ。大丈夫です、血液用の洗剤があります」と仲居さんは微笑んでくれた。
すると横から保健室の先生が「ずれちゃったの?」と小声で聞いてきたので、あぁナプキンの事かと一瞬逡巡してから「いいえ、何か量が多かったみたいで……」と答えた。

この時私は聞き逃さなかったのが、女性の先生と、その先生の方へ歩いて行った保健室の先生が「重ねてつけたんですよね?それにしては量が多すぎるんじゃ……貧血になっちゃいますよ」「初めてだし十代後半まで安定はしないから……」と話していた。

あぁ、そうなんだ、お母さんも言っていたな、と私は思った。


中学生になってから私は欠席する事が多くなった。
母は電話で「風邪で……」「お腹が痛いみたいで……」と毎回連絡していたが、実は理由はいつも一緒だった。

生理期間中のどうしようもない下腹部の痛みである。それに伴い頭痛と吐き気、下痢、めまいなどがあった。生理はぴったり七日で終わるのだが、出血前からお腹が痛くなり、ぐらぐらと視界が揺れる。
布団でうんうん唸っている私に寄り添いながら母は「小さい頃から体が弱いのよね、私が未熟で産んじゃったからよね、ごめんね」と悲しそうな顔をした。私は「それよりバファリン持って来て……」と思っていた。

まだ若いから

おかしい、と思い始めた。
生理期間中何日目というのも関係なくずっと具合が悪いという女性は、クラスメイトや同級生達にはいない。私は中学三年間同じ先生に担当していただいたのだが、とても信頼しているその先生からも「病院に行ってみなさい」と助言をしてもらった。
「婦人科?あなたが?」とぎょっとしている母を引きずり、母のインフルエンザ注射のついでという事で近所の婦人科を掲げているクリニックへ行った。

「あのね、君まだ中学生なわけよ」
中年の男性医師はそう言った。
問診もとられなかった。
痛み止めも出してもらえなかった。
我慢しなさい、女の子には生理痛がつきものなんだから、ただそれだけだ。
まだ若いから、まだ中学生だから、そういう理由で私の主張は無視されて、私はその翌月も痛みと吐き気で学校を休み、トイレに吐しゃ物をぶちまけた。


謎の追加症状

高校に入学すると、通学路の距離が倍になった。
最寄駅がもはや最寄駅ではない距離に我が家はあって、まず朝は徒歩三十分かけて駅まで行く。そして二十分電車で移動し、そこからまた十分ほど歩いて登校していた。
もっと遠い所から通学していたぞ、という人も山ほどいるだろうが、この道全て登り坂である。急な上り坂が5つ、しかも長い。

生理中になるとこの通学路が本当にしんどかった。
この頃になるともはや立って歩けないレベルの痛みが襲い来るようになった。立ち上がるとその衝撃で痛い、一歩一歩踏み出すごと振動で痛い、何もしなくても鈍痛は続き、急に針で刺す様な痛みが走る。
更に謎の肛門痛も症状に追加された。生理が近づくと唐突に肛門の奥の方が痛くなり、汚い話だがトイレで御大をする時激痛なのだ。
痔!?父親から痔が遺伝したか!?と戦慄したが父親は切痔タイプ。どうやらそんな感じではない。
私はそれに今までもあっためまい・頭痛・吐き気、時には発熱なんかもしながらふらふら登校していた。
登校するのにかなり体力を使うので、授業中になると痛みを忘れる為に爆睡していた。緩い学校を選んで良かったと思うのは授業中寝てても怒られなかったという点である。


悪化

ここから私の本当の暗黒時代の話が始まる。
私は二年生に進級する頃になると、一か月の半分近く体調が悪かった。
これはヤバイなぁ、目の前がぐるぐるし始めたぞ、と思うと腹が痛くなりトイレに行く。多分一時間に二回くらいトイレに行っていた。
それに口を挟んで来たのが担任のOだった。男である。
「たまごさんさぁ、トイレ行きすぎなんじゃないの」
トイレ行くくらい何だよ、漏らしてやろうかテメー。と思ったが流石に何回も何回も「トイレ行っていいですか」で授業を遮っているし、今後休む時に何かと言わなくてよくなるかもしれないから理由は説明しといた方がいいか。そんな軽い気持ちで私は生理痛が重い事を話した。
「そうだったんだね、それはさ、やっぱり病院に行った方がいいね」
「それが前何か、追い返されちゃったんすよねー」
前回門前払いされてからというもの、婦人科に偏見があった私はあからさまに行きたくないそぶりをみせたのだが、帰りの会が終わった後にもう一度病院へ行きなさいと言われたので自分で調べて行ってみる事にした。

行ったのは市内でも有名で、母のパート仲間の女性も通っている医院であった。学校終わりなので制服を着ていて、待合室の人にちょっと吃驚されつつ受診した。

「若いからね」
ほ~~~~~~~~~~~~~~~らこれだもの。
頬を痙攣させつつ「いやいやでも重いんすよ~~~~」と食い下がると、「じゃあエコーだけでも」とあのパッカーンと股を開ける椅子に座らせてエコーの棒を突っ込まれた。
余談だがこの際躊躇なく下着を脱ぎ棄てて椅子に座った為看護師さんに「思い切りの良い子だ」と呟かれている。

「うん、何もないよ。思春期だから不安定なだけ」

ね~~~~~~~~~~~~のかよ。それはそれで安心だよ。
とにもかくにも痛いの何とかしてくれよ、と懇願した所渋々低用量ピルが処方された。

翌日私はピル片手にOに「これで安心っすよ」なんてへらへらしていた。


クソ教師O

いきなり見出しが罵倒から始まってしまったが、このOという男、吹奏楽部の顧問であった。我が校の吹奏楽部は結構有名で、コンクール(どのコンクールだか大会だか知らないが)で何度も金賞を獲っている。
このOは吹奏楽部が出来てから部活を支え続けてきた古株だった。
「たまごさんさぁ、いい加減にしようよ」
私はOの根城ともいうべき音楽準備室に呼び出されてはブチギレられていた。理由は私が生理痛で休むから。
「病気じゃ無かったんでしょ?薬も飲んでんでしょ?じゃあ後は君のやる気の問題じゃない。うちのクラスに不登校がいると困るよ」
この時私は体調が本当に最悪だった、友人からは「紙の様な顔色をしている」と慌てられていた。Oのお前何言ってんだ???レベルのお叱りにもぐらぐらしながら「はい……はい……」と返事だけ返す気力しかなかった。
ちなみに低用量ピルは副作用が酷過ぎて症状が悪化したのでやめた。

Oは家にも電話をかけて来た。
私が休むとまず朝一で電話が来る。お叱りの電話である。
これが出ないと何回も何回もかかってくる。こちとら二階で痛みと戦いながら寝とるんや邪魔すな、と私は舌打ちをしていたが、出るまでかけてくるので出ざるをえない。
「ハァー」と加湿器なみの溜息から電話は始まり、10分程ねちねちとした攻撃が続く。何も考えられない私は「はい……はい……」とぐらぐらしながら返事だけ返す。
「午後から来い」という指示を無視すると、またお昼休みに電話がかかってくる。そしてもう一度夕方に電話がかかって来て、明日は来いと切られる。

もう一月丸々具合の悪い、という所まで来ていた私はこの時バス通学に切り替えている。クソ田舎にある我が校へバスで行くには、一旦郊外の自宅から中心部へ出て、そこから乗り継いで行かなければならない。片道2時間半はかかる。
しかしこれだと急な坂道を登って顔色が綺麗な紫色になりながら、痛みに耐えて最寄駅じゃない最寄駅に行く必要がない。バス停は自宅の目の前にあって、乗り継ぎの移動も短い。あとはバスの中でぬくぬく腹をさすってればいい。通学費は跳ね上がるがもう仕方がない。
問題はOである。学校にOがいる、Oがいると毎日怒られる。呼び出されて怒られる。クラスメイトの前で「学校に来ない奴」「病気を理由にサボる奴」とつるし上げられる。そう考えると下腹部と共に胃がギリギリと痛み、私はご飯がどんどん食べれなくなった。

この年私は倒れた。
朝のろのろと「行きたくないなぁ」などと考えながらめまいと吐き気を我慢して起き上がり、制服に着替え、痛みが響くのを軽減する為にゆっくり歩いていたらひゅっと落ちる感覚がした。
次に目が覚めると我が家の煙草くさい車の中だった。後部座席に毛布にくるまって寝かされていて、助手席で母が泣きべそをかきながらスマホで必死に何か調べていて、運転席で父が「おい、たまご、大丈夫か、起きたか」と声をかけてくれた。

あ、私、やばかったんだ。違う、今やばいんだ。
そう思った瞬間、私はまたぶつんと機能停止した。
父は後々「ミラーに映ったお前が目を開けたと思ったら、こっち見ながらまた白目剥いたからめちゃくちゃ怖かった」と語った。

ストレスやな、と救急診療所の先生は言った。元々生理で具合が悪かったのに加えて過度のストレスで胃は荒れ地に。しかも冷え込んでいた冬の朝で、冷え性の私は体温が急低下していた。加えて栄養不足である。この飽食の時代に私は栄養失調に陥っていた。「ご飯を食べる頻度は」と聞かれて考えたら、ここ二週間の間一日一食、食堂のナゲットしか食べてなかった。

母は診療所の外に一旦出て、これは流石に先生だって納得してくれるわと電話をかけた。



「倒れたねぇ、弱いなぁ、お母さんも甘やかしちゃって駄目ですよ」
「たまごさんは今大事な時期なんですよ、そんなね、お腹痛いくらいで休んでいる場合じゃないんです。病院行ったならもう大丈夫でしょう、登校してください」
「お車なんですから、たまごさんも登校して疲れたなんてふざけた事も言えないでしょう」


転機

気分悪くならなかった?大丈夫?私は書いててキレそうになってる。
我が校、こんなクソみたいな教師ばっかりじゃないからね?

さて二年生後半、Oが原因の転機である。
ある時副担任のH先生が一人だけで帰りの会へやってきた。
教室がざわめく、Oがいないのは珍しい。帰りの会で誰かが私語をもらしただけでブチギレて最初からやり直すような奴だ。

「O先生は病気療養で休む事になりました」

わっ

私はあのクラスに在籍していて、あんなに大きな歓声を聞いた事が無かった。
いつも何処かギスギスしていた、いつも誰かが休んでいた。
全然仲良くなかったし、このクラスから早く出たいと昼休みになるとぼやく人がいた。そんなクラスがあんなに明るい雰囲気に包まれてる所を初めて見た。
お前ら、人の不幸で喜ぶんじゃない、とH先生が慌てている。

だって先生、たまごちゃんにあんなに具合が悪くて休むなと言った人が、病気に負けたんですよ。
あんなにたまごちゃんが、ぐらぐらして、あんなに顔色真っ白になってるのを甘えだと言った人が。
友達がそう言ってくれた。
私はこの後知ったのだが、モラハラ?パワハラ?は他の生徒にも行われていた。吹奏楽部を辞めたいと言った子に対して、うつ病を患っている子に対して、成績が悪い子に対して、Oは私と同じ様な事をしていた。
副担任のH先生は事情を知っていて、私にこう話しかけた。
「たまご、後は俺がこのクラス受け持つけど、学校来れそうか?」

H先生は、私が具合が悪いといつも気付いてくれた。
保健室に行っても怒らなかった。
Oに早退を申し出るのが嫌で泣きながら職員室に行ったら、「代わりに言っておいてやるから」とこっそり帰してくれた。

来るに決まってた。

子宮内膜症

長々と生理と関係ない事を書いたが、私の戦いはまだ終わっていなかった。
二年生の最後だけを幸せに過ごし、三年生に進級した私を待っていたのは進路という壁だった。
今の体調と症状で就職は難しい、かといって我が家は父母共に高齢なので四年間大学へ行っている暇はない。
しかし短大か専門学校へ行くのもこの出席日数だと……。

うんうん唸っている私に、新たに担任となった関西出身Nちゃん先生が言った。
「たまご、もういっぺん、病院行かんか?」
所謂サードオピニオンになる。
二度の受診でもう婦人科の医師は皆敵だと思っていた私は、えぇ……と思った。
「あんたの症状やっぱおかしいて。先生も友達に子宮筋腫の子ぉとか何人かおるけどな、その子ぉらと症状が似とるんよ。絶対診断してもろた方がええて」
先生は何と市内の婦人科をリストアップしてくれた。私はOのクソ対応に慣れていたので「神か……?」と慄きながらそのリストの中にあった、女性医師のいる都心部のクリニックへ赴いた。

「エコーで映らなかった?」
綺麗な先生は別の医師に問診してもらった質問事項を見ながらこう言った。
「血液検査は?」
「……血液検査?」
「しなかったの!?」
「え、しないです。エコー映らなかったらないんじゃないんですか」

「あなたのこの症状で細かく調べないのは異常ですよ!」

泣きそうになった。
ね、そうでしょ、そうなんだよ。
めちゃくちゃ美人の先生は「しかも中学生の時のは問診とられなかったの!?」と激おこしていた。

「あなたはね、子宮内膜症です」

泣いた。やっとやっと病名がついた。誰かが「甘え」といったものに。
子宮内膜症とは、子宮の内側に存在する膜が子宮以外の場所で増えたり剥がれたりする病気だ。例えば卵巣、腹膜なので子宮内膜が増えたり剥がれたりすると、経血と共に排出されないでそのままそこに残る。
炎症、痛み、癒着等が起こる。良性だが、閉経までという長い間完治はしない病気だ。肛門痛もここから来ていた。

生理のある十人に一人の女性がなっている。それでも私は気付かれなかった。
エコーに映らない所にある。ただそれだけで、全部我慢してきた。
ぼろぼろぼろぼろ泣く私に、「思春期という事もあって安定しないホルモンが更に症状を悪化させたんです。やる気や根気だけでどうにかなるものではありません。投薬治療を始めて今から治していけば、今まで我慢して来た事も出来る様になります。もう少し体が成熟すればお薬を減らしても安定した月経を迎える事ができます」と目の前の美人は言った。

ぼろぼろ泣きながら帰って、父と母に報告して、翌日学校でNちゃん先生と友達に報告してまた泣いた。


さいごに

私は現在も投薬治療しながら子宮内膜症と同居生活を送っている。
専門学校時代は一月に三日私をぶん殴って来た子宮内膜症は、就職してからは三か月に三日ぐらいの程度で痛みを持ってくる。
肛門痛の方は半年に一度、倒れる事はなくなった。

私は中学時代にネットに繋がる端末を所持していなかったし、他社の意見も見る事は無かったのでよくわからなかったのだが中学生であろうと問診もとらないで追い返す様な病院は信用しない方がいい。
二軒目の病院も有名ではあったが口コミでは誤診が指摘されていてかなり評判の悪い所だった。

そして、今回書いた様に理解どころかハラスメントで襲ってきたOは男性であった。しかし理解を示してくれた副担任のH先生もまた男性であり、ここには書かなかったが中学時代女性の体育教師から「生理痛ぐらいで」と責められた事もある。理解してくれない人間に性別はない。個々だ。

今生理への理解を促す「生理ちゃん」という作品が話題になっている。私は男性漫画家の描いたそれを読んで、共感する部分や「え、それはちょっと……」と思う事もある。そしてツイッタ―、noteそれぞれで自分の生理について発信している方々を見て、これを書いてみようという気持ちを起こした。


どうですか、これが私と子宮にあったことです。
女性の方は、これを見て、もし何か気になる事があったら病院に行ってみてほしいです。「病名がつかないと思う……そんなに重くないし」と思っても、少しでも苦しいと思うなら気軽に受診してみてください。
生活に支障が出てる人で、もし病院に行って何でもないと言われても、何もしてもらえなくても、別の場所にもう一度行ってみたら何かわかるかもしれません。
ご家族、お友達、きっかけは何でも構いません。性別も何だっていいんです。私は小学校の保険の先生や副担任のH先生、Nちゃん先生、友達、幼馴染、父と母に支えてもらいました。ネット上の友達にもたくさん応援してもらいました。
少しの言葉や励ましで、わかることがあります。


長々失礼いたしました。もしどなたかの心に残る文を書けていたなら、幸いです。

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