BOOK REVIEWある映画流通メディアが死に絶える前に 『さよなら、レンタルビデオ VHSだけで観られる映画たち』&『無職が聞く、日本最強の(元)自宅警備員による「TSUTAYA時代の映画語り」』
文:田野辺尚人
今年の東京コミコンで、偶然に同じテーマによって綴られたZINE2冊を見つけて購入した。
1冊目は当映画秘宝公式noteで取材・インタビューに活躍する後藤健児による『さよなら、レンタルビデオ VHSだけで観られる映画たち』。もう1冊は『町山智浩とライムスター宇多丸は、映画語りをどう変えたのか』の論者として注目を集めた無職ジョージが批評家の石岡良良治と緊急対談(シャハウス住まいなのでカラオケボックスで取材された)した記録をまとめた『無職(ジョージ)が聞く、日本最強の(元)自宅警備員(石岡良治)による「TSUTAYA時代の映画語り」』である。共に渋谷TSUTAYAでレンタルVHSコーナーが撤収されるニュースを受け、制作されたものになる。
『さよなら、レンタルビデオ』の巻頭で後藤は次のような序文を記す。
時は流れて2023年。米ネットフリックスが、1998年に開始した郵送DVDサービスを9月29日に終了、レンタル事業の歴史に幕を下ろしました。
日本でも、国内最多のレンタルソフト数を揃え、VHS作品も取りそろえていた、東京のSHIBUYA TSUTAYAが10月をもって、レンタルサービスを終了。もう、“”お店で映画を借りる“ことは貸本屋と同様、かつて存在した、いにしえの文化となっていくのでしょう。(「はじめに」より引用)
対してジョージは対談において、次のように語る。
ジョージ (略)TSUTAYAレンタル世代の、僕が末尾に当たるんじゃないかなと思っています。(略)なるほど。名画座に行けば見れるけど、「いますぐ見たい!」となったら渋谷TSUTAYAか新宿TSUTAYAに行くしかないという状況の中で、今回の『映画語り』本に結実するタイプの教養を僕は摂取していったという感じです。
ビデオデッキの普及でレンタルビデオという新しい映画の鑑賞法が生まれた。そのとき、あちこちの名画座や二番館が続々と閉店した。「映画は映画館で観るもの」というライフスタイルを持っていた世代にとっては、急激に広がるレンタルビデオショップは大きな脅威だった。当初は個人経営のショップも多く、ホラーなどマニアックな棚揃えを誇る店もあり、そこの会員になると奇妙な作品、怪しい作品に出会うことはなかった(そのような映画の多くは劇場公開されなかったから)。それが90年代に入り、TSUTAYAやGAOなどのチェーン店が勢いを見せ始め、個人商売のレンタルショップはそれに押されていくように消えていく。大型チェーン店の強みは『ターミネーター2』のような乳ヒット作品のソフトを大量に仕入れて棚にならばせる、いわばレンタルビデオショップのブロックバスター展開で、駅前からロードサイドまで、その勢いを育てていった。そして時同じくしてテレビの洋画劇場が次々とその幕を閉じた、
それが新しい品としてテープやLDより安価で情報量の多いDVD、続いてネット配信が凄まじい勢いで広まった。個人的嗜好やジャンル映画のコレクションができるDVD、そしてオリジナル・コンテンツも揃えた映画配信の波は大手レンタルであったはずのTSUTAYAにも押し寄せた。
配信にも問題点は多くあるが、レンタルビデオとの最大の違いは映画をマテリアルとして保存することができるかできないかにかかっている。配信でやっていた映画が突然契約終了で観直すことができない。そんな状況もある。裏目読みをすれば、ビデオテープが出てくる1980年以前の映画鑑賞環境(映画館と、テレビ映画劇場の代わりに配信)に戻ったとも考えられる。
しかし、映画をものとして自分の手に保存したいという欲求はとても強いもので(パンフレットやチラシの収集に繋がる)、配信はそこのところがちょっとおぼつかない。またbブル期の80年代は正気を無くしたように異様な映画がソフト化され、そのビデオテープのコレクションに集中する熱心なマニアもいる。
『さよなら、レンタルビデオ VHSだけで観られる映画たち』は後藤が自ら選んだ衝撃作、珍作、埋もれた傑作のガイドだ。以前、僕も山崎圭司と共に「別冊映画秘宝」で同じテーマの特集を組んだことがある。まだかろうじて渋谷TSUTAYAは運営されていた頃だ。日本各地の映画祭に足を運ぶ後藤のセレクトにはカナザワ映画祭で唯一上映された異様なドキュメンタリーなどもチョイスされており、こうした映画を観るハードルがどんどん高くなっている寒い状況に戦慄させられる。
『無職が聞く、日本最強の(元)自宅警備員による「TSUTAYA時代の映画語り」では、ジョージが石岡から次のような発言を引き出す。
石岡 (略)アンチポリコレって、言い方をミスると、過去の自由奔放だった時代へのノスタルジーの表明になりかねないと思ってるんです。ポリコレ批判をしたい人って、これからカルチャーで何かをしたいわけではない。過去の自由奔放だった時代を基準に現在が不自由になったという歴史感覚を持っている。(略)過去のカルチャーからはもちろん学べるところもありますが、全部を引き継ぐ必要なんてないじゃないですか。こうして二〇世紀の文化がふるいにかけられているんだと思います。
この2冊のZINEから受け止める2つの方向。後藤は自ら「カセット館」を起こし、まだ観られていない観客に古のビデオ映画をレンタルする仕事をしている。これは映画史上にレンタルビデオというものがあったという時代に対する必死の足掻きだ。対してジョージと石岡の映画の語られ方からすると、世に出回っている映画はあまりに多すぎる。ここで刀ウィお振るい、残すべきものをも見定める必要があるというリアリズムだ。
まだ我々はこの先に何が起こるかわかっていない。しかし過去に振り返り、そこから何かのヒントを得ることはできる。
『さよなら、レンタルビデオ VHSだけで観られる映画たち』
後藤健児著、映影舎刊。価格1000円+税
『無職が聞く、日本最強の(元)自宅警備員による「TSUTAYA時代の映画語り」』
ジョージ+石岡良治著、MUSYOKUS刊、価格1000円+税
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