「オッペンハイマー」白黒映像とカラー映像の意図について。※ネタばれあり。【映画感想】
「白黒映像とカラー映像のもう一つの色の意味。ノーラン演出について。」
はじめに。
「原爆としではないドラマの映画」
「時代背景を把握してから鑑賞して本当の価値がある」
「各用語を把握して映画に挑めば、この映画は簡単にわかる」
という大多数の意見と感想は他の人に議論していただき、ここの文章では映像の演出とその読解に焦点を宛この映画の意味合いを定義していきたいと思います。
ノーランの演出も確かに読解は必要ですが一定の定義を把握していれば、
この映画はより一層「簡単にわかる」ように配置されています。
(これはTNETの時はふんだんに使われました)
今回は白黒映像の定義、カラー映像の定義、そしてもう一つの色の考察と定義をし表題のとおり、白黒映像・カラー映像がどうして使用されていたのか、先にあるもう一つの色合いについて、ノーラン演出もギミックも踏まえて記します。
※感想については、最後に節にあります。***************************************************
カラーパートと白黒パートに分かれている本作ですが、
ノーラン監督の得意技である時空の入れ替えの方法でもあります。いくつかに分けてみました。
① 時系列としての意味
本作は白黒パートが現在進行形で、カラー映像は過去の出来事と
時系列的に分かれています。
映画の4分の3は安全保障委員会の公聴会(現在進行しているパート)
とその公聴会に持ち込むための資料として調査会のふたつのパートとの会議にしかなりません。
したがって、時系列の定義は
①マンハッタン計画前の共産党員としての仲間たち (カラー 過去の話 )
②マンハッタン計画 (カラー 過去の話 オッペンハイマーにとっての光)
③保障委員会の質疑 (ここが白黒)
ややこしいのはこの現在進行形と過去の会議がともに
交互に物語のありとあらゆる部分に差し込んでくるため
観客の中には「これはいったい今どういう状況なのか?」
という困惑したという人も多かったと思います。
これはいつものノーラン演出の一つである「時空を前後させる」
の一つのテクニックですので別の節を参照してください。
② オッペンハイマーのカラーとストローズとしての白黒映像
オッペンハイマーが自分の物語を描くときは必ずカラーである。
しかし、ストローズがなにかを企みストローズ優勢の時はモノクロという図式となっています。
したがって、時系列の役割以外にも注意深く見ればストローズ側の話が展開している。オッペンハイマー側の役割が展開している。と一目できるようになっている。
③ オッペンハイマーの心理的意味
ストローズ側の話の時(シクロク)の時は、オッペンハイマーは逆地に立たされているときが多くそれはオッペンハイマーの心理にも適応しています。
過去のふたつのカラー話(共産党員周囲の話と、マンハッタン計画) は
彼のカラー映像であるが、これは
「原子の核融合」という自分の立証を行っているときであるから
「希望として」の色がついている。いう意味合いになります。
しかし、保障委員会からの白黒パート(ストローズパート) は
二つの心理が現れる。
1) 自分の信念、この映画では化学としての原爆と、戦争兵器としての原爆は
自分の意思とは反するもの。
2) 大量虐殺者としてのレッテル、国家反逆としてのレッテル、
ストローズからの圧力、トルーマンからの罵倒、
そして仲間からの裏切り。
数々のプレッシャーから行き先が見えなくなっているため
「オッペンハイマーにとって未来が見えていない白黒=不安」
という意味合いをなします。
論としては、
白黒映像は現在進行形であり、
ストローズ側優勢の映像であり、
オッペンハイマーの不安な心理の現れであるため
カラー映像の美しさと
白黒映像のシャープな印象はこの映画の意味合いをとるための
演出であるといえます。
ここまでは、映画の演出の方法ですが、
もう一つ、この映画には「光」という映像があり第三の色の意味を持ちます。
④ 希望、絶望など概念としての色合い。
①②③の要素を踏まえて オッペンハイマーがどうして2回も 「原爆の光」 を妄想したのか?
この光(原爆の光という意味であるが) は彼にとっては
「化学の未来の見える光」という希望
ゆえにかれは、マンハッタン作戦での試験爆破の際にサングラスをとって
その光を見続けていました。
一方で「大量虐殺としての光」という絶望。
彼の中では望んでいない利用と、その先に自分の中にかる犯罪としての罪の意識としての
光という意味。
非常にアンビバレンスの光の意味となります。
その光のせいで、白黒状態になるオッペンハイマー。
その光を追いかけるせいで、すべてがカラーとなるオッペンンハイマー。
すなわち、
実験の光は彼にとっては科学者としての意思と、
それとは相反する葛藤の意味をもつものとなります。
故に彼の妄想による被ばくシーンが存在し、ラストの告白は「実はそれも把握していた」という意味になり、
結果、アインシュタインはストローズとは会話しませんでした。
ストローズはこの計画を作り上げたが、
その残酷な使い方の結果はオッペンハイマーにとっては想定内の話なので、アインシュタインも彼にも葛藤がいずれやってくるという事にきづいていました。
あの庭で気づいていなかったのは、ストローズだけでした
実験の光の強さは、その後の彼の脅迫であり、実験後の演説で自らの大量殺戮としての事実の苦しみ、まだ見た事のない光を見るためのマンハッタン計画としては希望の光。
この光は、この映画とって第三の色の意味をもつと定義づけてもよいでしょう。
◆ほんとうに斬新な演出であるか?◆
実は、同じような形式をとった作品が過去にもあります。
※ただし、考察した原爆の光のように、主人公の意図としない圧倒的にイコンの部分は
ないですが。
こちらも3時間の映画ですか、
オリバー・ストーン監督の1991年の映画「JFK」がそれに該当します。
ストローズ側の白黒という観点では
(悪の観点)
では、JFKの映画では トミー・リー・ジョーンズがそれを演じていました。
私もこの映画を見ていた時、特に白黒映像側の映像の作り方、撮影の仕方は
JFKの白黒映像に近いなと感じていました。
1991年の映画ですから、もう見たことも忘れたという人も多いと思います。
この映画を見て頂くと、
①~③までの定義づけされた意味合いがこの作品で使用されていたのが
把握できると思います。
結果、私には「古典的な方法」ではあるが決して「画期的な方法」ではないと
思える演出の映画でした。
~備考~ ノーランの特徴としての演出
「時空を前後させる」
ノーラン映画の特徴の一つとして
過去に起きている事
現在に起きている事
TNETではこれらに未来に起きている事を交えて
映像の一つの流れを組んでいきます。
したがって、観客現在、どの時でどの関係性があるのだろうか
という不可思議さに難解さを覚える人もいます。
「ダンケルク」という第二次世界大戦という前後のしようがない
部隊をもってしても、一か月、1週間、数日、という時系列の話が
突然入り込んでくるように演出をしています。
彼の演出は今回においては
白黒映像 カラー映像 それらを交互に挟み一つの物語としているため
まったく定義づけがされていない観客とっては
読解のいる視聴となった事と思います。
~ここからラフな感想として~
さて、ここからは本作の感想ですが
おもしろかったか?です。点数でいえば、55点ぐらいです。
だって、映画の4分3は会議と実験ですよ? しかも時系列いじし、定義づけもしないかに退屈+困惑でぽかーんですよ。
(意味があるという意見も聞きましたが、それはそれで理解していますが)
という感じでした。
個人的にはトム・コンティについて。
(戦場のメリークリスマスでビートたけしさんに「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言われていた、あのローレンス役の人ですよ)
本作で演じていたアインシュタイン役は
同じノーラン映画の「ダークナイト・ライジング」における
バットマンことブルースウエイン(クリチャンーベール)がでっかい穴から這い上がるときに
「落ちたものはまた這い上がるのだよ」と
説いていたおじいさんの役柄と同じ設定どころか、
このおじいさんの役をトム・コンティだったので、
また、おんなじことやっているのか!?
と笑ってしまいました。
どうぞ、劇場でお楽しみください。
20240.3.30 記
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