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除霊(後編)

ドラゴン先生はマスターと一緒に8階の角部屋に向かった。玄関の前にたどり着くと、そこからは駅から随分と離れた下町の閑静な住宅街が視界に広がった。さらには都境にあたる大きな河川敷、遠くには都心のビル群まで望むことができた。空には大きな入道雲が浮ぶ夏空が広がっていた。ドラゴン先生はしばらくその景色を眺めてから「なるほどね。では、部屋に入りましょう」といった。

玄関からはふすまの空いた二間ある室内を一望できた。雨戸が閉まっているため室内は薄暗かった。「雨戸をあけて電気をつけますね」とマスターが言うと「だいじょうぶよ。このままで。少し話をするわね」といって玄関からあがりリビングにしゃがみ込み空をじっと見つめた。特に会話をするわけでもなく、ただ時々深くうなずいたり優しく微笑んだりしていた。そしてもう一度玄関の外に出て景気を見渡した。これを3回繰り返した。

「この子を連れて少し歩いてくるわね。うまくいけばこの子はもうここからはいなくなるわ。」

そう言い残すとドラゴン先生はさっさとエレベーターに乗って外に出かけて行ってしまった。残されたマスターは玄関の鍵を閉めてオープン前のキッチンに戻って仕込みの続きを再開した。

1時間程度経過して、ドラゴン先生はレストランに帰ってきた。丁度店がオープンした時間だったので他にお客さんはいなかった。マスターはドラゴン先生に「どうでしたか」と聞いた。するとドラゴン先生はこう答えた。

「うまく引き合わせることができたから戻ってきたわ。もうここに戻ってくることはないでしょう。」

ドラゴン先生は基本的にこの手の話を自分から積極的に話すタイプではない。聞けば答えてくれる、そんな感じだ。マスターは詳しい話を聞きたいと伝えるとドラゴン先生は話をつづけた。

「8階の角部屋に住み着いていたのは交通事故で亡くなった子供の霊だった。どのあたりで事故にあったのかはわからないがそれほど遠くない場所で起きた事故で、両親と兄弟を見失ってしまったあの子はこのあたりで一番高い建物だったマスターのお店の最上階の角部屋にたどり着いた。ここからなら両親や兄弟をみつけられるかもしれない。そう思ってここを選んだ。そんな感じね。」

「なるほど。それで、結局その子はどこにいったんですか」とマスターが不安そうに聞いた。ドラゴン先生はアイスコーヒーを飲みながらこう答えた。

「あの子をつれてあたりを歩いたけど、本人の心当たる場所にいっても自分の家族を見つけることができなかったわ。もしかしたらこの町を離れてしまったのかもね。だけどラッキーなことに、通りかかった公園の砂場に同じくらいの年齢の子をみつけたのよ。その子もやっぱり同じような境遇で事故死したみたい。かわいそうにね。そうやって事故とかで突発的になくなってしまった子供の霊は自分が死んでしまったことに気づかないままさまよっていることが多いの。二人にはすでに自分たちが亡くなっていること、そしてこのあたりにはもう二人の家族が住んでいないことを伝えたわ。そのあと二人は一緒にその公園から消えていなくなった。どこに行ったかはわからないけどね。まあ、そういうわけでもうここに戻ってくることはないわね。」

おねえちゃん(マスターの奥さん)の話にも触れておく。

実はお姉ちゃんは少し感じる程度の霊感の持ち主だった。妹のように「見える」まではいかないが感じることができるのでそのようなスピリチュアルな話にも理解がある。ただ、その手の話が嫌いだったマスターがうるさいのであまり口を挟まかった。そのお姉ちゃんが後日母親に教えてくれた話があった。

1年ほど前、近所の交差点で交通事故があり小学校帰りの子供がタクシーに引かれて亡くなった。夏休みの事故だった。その交差点は私が幼いころから事故が絶えない見通しの悪い交差点だった。夏休み明け、始業式。全校生徒にその悲しい報告がされた。お兄ちゃんは登校しないまま、ご家族がこの町を離れたことが風のうわさでささやかれた。お姉ちゃんとマスターの子供が通う小学校だった。

ドラゴン先生が話す内容は、私のような霊感微弱の人間にとっては、もはや話を信じるか信じないかだけに依る。ただ、事実としていえること。それはドラゴン先生と全くゆかりのない人間と同じ人物(霊的存在)を目撃している。そして話をつけてうまくいけば、その場からその存在が感知できなくなるようになる。その2点に限っては受け止めざるを得ない事実である。

この出来事が起きるまで、「除霊」というとお祓いてきな儀式を想像していた。一方でドラゴン先生のそれにあたる行動はただ、話を聞いて事実を伝えることしかしないという。それでもその対象がその場を離れたくないという場合はそれはそれで仕方がないことときっぱりあきらめるしかないという。それでも、ある程度親身になって話を聞いてくれたり、ズバッと事実を話してくれたりすると心(霊のね)が軽くなりふわーっとあの世に浮かんでいくのかもしれないなあ、とその時に思った。今考えると、まさに対霊体へのスピリチュアルカウンセリングである。

最後に、この一連の話のあとに8階の角部屋に入ってきた入居者がすぐに出ていくことはなくなった。そしてレストランの常連客に議員さんがいて、マスターの進言によってかどうかは定かではないが、その交差点には横断歩道と信号機が設置された。

おしまい


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