チャンネル6
私が霊感を信じるようになったきっかけは妹と友人Y子にある。
温泉街の山の上に立つ古びた分譲マンション。
それは伊豆のとある温泉街にある母方の祖父母が所有していた別荘だ。毎年夏になると祖父母や両親に連れられて遊びに行った。
そのマンションの和室のおもちゃ箱の中に、母が小さい頃に誰かからもらった女の子の洋人形があった。2歳児くらいの等身大サイズのその洋人形は、自宅に置くには大きすぎたためか、母が別荘に遊びに来た時のおもちゃの1つとしてそこに置かれていた。
妹は小さい頃からその洋人形を気に入り、おままごとをしたりと良好な関係を築いていた。帰り際には「また今度遊ぼうね」と言葉をかけるのが通例行事だった。
「ねえ、お母さん。このお人形さんが夜中に寂しいって話しかけてくるんだよ。あと、この鏡の中におじさんがいる。」
ある夏の日に、妹がそう話した。齢11歳だった。母親が「そっか。お人形さんはみんなが来て一緒に遊んで、もう帰るからきっと寂しいんだろうね。あなたは怖くない?」と妹に聞いた。妹は「人形は怖くないけど鏡のおじさんは気持ちが悪い」と答えた。
母はお寺関係の血縁からなのか、見えないが感じる、くらいの霊感を持っていた。そしてなぜか母の周りには聞こえる→見える→話せる→祓えるという特級クラスまでスピリチュアリティ高めの友人が多くいた。妹はその血を受け継いだのだろう。
話を友人Y子に移そう。
Y子は看護学校の友人で、背が高く足が速く美しく、そしてとてつもなく無口な女性だった。Y子を含む10名の女性グループがいた。みんな学年は一つ上だったが年齢は一つした(私は留学していたので20歳で看護学校に入学した)だった。ある夏休み。その子たちと私を含む男3人で伊豆別荘に遊びに行った。そしてマンションの玄関に入った時、Y子が眉をひそめ口を塞ぐ仕草をした。普段からクールな彼女の動揺をみて、みんなが心配して理由を聞いた。すると玄関からまっすぐ先のリビングの角にある鏡を指さしてこう答えた。
「気持ちが悪いオヤジと目があった」
私は驚いた。なぜなら妹とY子には一切の接点もないからだ。にもかかわらず同じ鏡の中に、おそらく同じような人物の存在を認知している。私は和室のおもちゃ箱に佇む洋人形にただいま、と声をかけY子に手渡した。Y子は怪訝な顔で洋人形の顔をじっと見つめてこう言った。
「この子そうとう寂しがってるよ。えいじ連れて帰ってあげなよ。」
看護学校を卒業して数年後、あまり訪れなくなったマンションは両親により引き払われた。そして母親が洋人形を引き取り、鏡はなぜか実家の私の部屋に置かれることになった。洋人形は今も母親と暮らしており、妹の話では話しかけてくることはなくなったという。母に大切にされているからであろう。
一方で鏡は別の運命を辿る。
看護師になり実家を離れた私は久しぶりに帰宅した。そして自分の部屋の鏡がなくなっていることに気づいた。母親に事情を聞いた。
「ああ、あの鏡ね。あれは捨てられた」
捨てられた?誰に?
この鏡を捨てた人物こそ母の友人の中で「特級」と言われる術師、ドラゴン先生だ。先生が遊びに来た日に、母親は鏡を彼女に見せた。そしてキッパリとこう答えた。
「なにこれ気持ち悪い、さっさと捨てなさい。ここから追い出して使うまでもないでしょ。大丈夫。捨てたからってここに居残れるタイプじゃないから。」
そして次の粗大ゴミの日に鏡は回収されていったという。
幽霊はある特殊な周波数を感知するアンテナを持っている人に限りその存在を認知できる。そして、アンテナの感度が高い程高度な交信が可能になる。私はこの3名の登場人物とのやり取りを結びつけてそのようなチャンネルが存在すると結論付けた。
最後に登場したドラゴン先生。この方はその後とある知人の元で大活躍する。
それはまた、別の話。
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