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【映画】『天使にラブ・ソングを…』は教えてくれた、誰でもいつからでも歌えるってことを&無念死の姉の最後のゴスペル

歌いたいなら、今日からだって
【天使にラブ・ソングを・・・】
(1992年/アメリカ映画/監督 エミール・アルドリーノ)

■ジャンル/ミュージカル、コメディ、人間ドラマ
■誰でも楽しめる度/★★★★☆(ほぼ誰でもOKだけど、最低限音楽好きの人)
■後味の良さ/★★★★★(最高!)

(個人の感想です)

2もいいけど、今回は第1作の話です

※以下、映画の内容にふれます

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 この映画のことを書きたいと考えていたら、マギー・スミスの訃報が入って来た(2024年9月)。『天使にラブ・ソングを・・・』の修道院長、『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル教頭など、厳格かつ温かな人間性を感じられる演技が大好きでした。ありがとうございます。
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■これは何⁉ 初めてのゴスペルに驚きと感動


 映画は時にカルチャーショックを連れてくる。私にとって『天使にラブ・ソングを・・・』が、まさにそうだった。

 1993年の日本公開時は見逃してしまい、レンタルビデオで初めて観たのは数年後、確か20歳くらいの時だったと思う。とにかく初見のインパクトがすごかった。手拍子をしながら歌い踊る聖歌隊(シスター!)。いや歌い手だけでなく、指揮者までもがノリノリで歌って踊っている。子どもの頃から地元の合唱団などで正統派の合唱を体験してきた私にとって、鳥肌が立つほどの衝撃と感動だった。

 ――これは何? ほう、ゴスペル⁉ いや待て、ちょっとだけ見覚えがあるぞ・・・。

 そして思い出したのは高校時代、レンタルで観た1980年のアメリカ映画『フェーム』だった。芸術学校の卒業公演で生徒達が手拍子をしながらリズミカルに歌う姿に「カッコイイ! 私もこれをやってみたい。でもこの歌唱スタイルは何? どこでやってるの?」と思ったことがあったのだ。その答えが数年後、唐突に舞い降りた。これだよ・・・これ!

■私の街にもできていたゴスペルクワイア


 若い世代の人達には当たり前すぎて不思議かもしれないけれど、当時はこういう、手拍子や振り付きで歌うという「合唱」のスタイルはほぼ皆無・・・というか、一般に浸透していなかった(ミュージカルとかプロのステージとかはまた別)。

 ところがこの映画の大ヒットによって、日本でも急速にゴスペルが広がり、各地でアマチュアのゴスペルクワイアが急増したという経緯がある(私の知る限りでは)。調べてみると、私の住んでいる街にも何団体か活動していることがわかった。

 待っててね、いつか入るから・・・と私は勝手に情報源のホームページ(それすらもまだ貴重な時代)に語りかけていた。ちなみにこの時、徹夜仕事が当たり前の雑誌編集部で働いていたので、願いが叶うのはもう少し先になる。

■『天使にラブ・ソングを・・・』はこんな映画

 
 さて、今さらだが映画『天使にラブ・ソングを・・・』のあらすじはこんな感じ。とても有名な映画なので、知ってる人も多いと思うけど。

 ネバダ州リノ。ナイトクラブのステージで日々歌う、しがない歌手のデロリスはマフィアのボス・ヴィンスの愛人。妻となかなか別れないヴィンスに愛想が尽きたデロリスだったが、ある日殺人現場を目撃してしまったことから非情なヴィンスに命を狙われることになり、警察に駆け込んだ結果、裁判までの間サンフランシスコの修道院に身を隠すことに。
 厳格な暮らしに馴染めず、修道院長と対立しながらも、聖歌隊の指導を任されたことから歌手としての本領を発揮。聖歌をソウルやロック調にアレンジすることで見事なパフォーマンスを繰り広げるようになり、聖歌隊は街の人気者になるのだった。ついにはローマ法王が演奏を聴きに訪れることになり、沸き立つ聖歌隊。その一方でマフィアの魔の手がデロリスに迫っていた・・・。

映画『天使にラブ・ソングを・・・』あらすじ要約

 前半、なんと言っても聖歌隊の成長ぶりが感動的。
 最初とは別人・・・いや別隊かと思うほどの成長ぶりだ。正直言って、数日前までは音楽になっていなかった(ごめん)。
 けれど、彼女達は単純に下手クソだったわけじゃない。ただ、やり方がわからなかったり、自信がなかったのだと思う(はじめから謎に自信がありげなメンバーもいたけど・笑)。

 それでデロリスがしたことは、彼女達を「猛特訓してセミプロ級の歌い手に仕上げた」のではなく、表現する方法を教えて、自信をもたせたということ(そもそも褒め上手なところから、彼女の元々の人間性が垣間見えている)。これがとっても気持ちいい。具体的なレッスン風景はあまり出てこないけど、デロリスはきっとこう言い続けたと思う。

――うん、すごくいい! もうちょっとこうしてみよう。できるできる、ほら、できた!って。

 そう思うのは、合唱団や合唱部で歌ったことのある私自身の経験によるところも大きい。だって――。

■デロリスは極めて「褒め上手」な合唱指導者


 ほぼアマチュアの面々を相手にする合唱指揮者や指導者は、技術や経験がバラバラのメンバーから、「ヤル気と自信と可能性」を引き出すのがとにかくうまい(人が多い)のだ。

 優れた指導者は、私の知る限りほぼ「ほめ上手」。みんなから出てくる声が自分の理想と違っても、辛抱強く、技術面と精神面でみんなをひとつにして1曲をつくり上げていく。そしてすんごい励ます。ホスピタリティも並大抵じゃつとまらない。

 だからデロリスがどれだけすごい合唱指導者かわかった私は、余計に胸が熱くなった(現実にああいう人って、音楽界には本当にいる)。

 そして聖歌隊のなかでもとりわけ印象深いのが、1人だけジャンパースカート(?)のような服を着たシスター・メアリー・ロバートだ(見習いという設定らしい)。
 とてもシャイな彼女は実はすごい才能の持ち主で、それを見抜いたデロリスによって新生・聖歌隊初のステージでソロを任される(いちばんオイシイとこの)。
 『Hail Holy Queen』という曲を披露するその場面がもう、いろんな意味で感動的で、これはミュージカル映画史に残る名シーンだと思う。なにがいいって、
 聖歌隊のイキイキとした表情。
 教会から聴こえる音楽に集まる、ふだんは教会に縁遠そうな若者達(おいでおいでと呼び寄せる神父もいい)。
 歌い手以上にキレッキレのデロリスの指揮。
 そしてシスター・メアリー・ロバートの、自分自身の声にびっくりして感動している表情。
 そんななか、ひとりだけ激怒する修道院長(笑)←これがラストの感動につながる。

最初は教会を嫌がるデロリスですが、人ってわからないものです(写真はイメージ)


■音楽も文章も「表現は人間の喜び」


 歌いながら「自分にびっくり」しているシスター・メアリー・ロバートは、殻を破って新しい自分と出会い、表現する喜びを知った。良かったね、あなたのできることを見つけたね! ーーこのシーン、本当に感動的。

 歌に限らず、表現するってシンプルに人間の生きる喜びだと思う。
 notoもそう。たくさんの人に読んでもらえて、評価してもらえたら確かに嬉しいけれど、それ以上に1人の人間としてまず「表現できること」が生きる力に繋がる。この映画はその喜びに満ちていて、デロリスという存在が聖歌隊にそれを伝える役割を果たすのだけど、デロリスもまた、彼女達との出会いによって「人の才能を引き出すという自分の才能」に出会えたんじゃないかと思う。

 そう、デロリスはマフィアの愛人に甘んじるような人じゃない、もともと、いる場所が違ったのだ。それは後半、マフィアの子分がデロリスに対峙して「尼層(non)は殺せない」と言ったことでも表現されている。ギャグシーンのようにも描かれているけれど、ここはすごくドラマチックな場面。やっぱり無駄のない、よくできた脚本だなぁと思う。

■映画との出会いで「歌いたい」を取り戻す

 
 さて、話は少し戻るけど、20歳でこの映画に出会った私は、自分のペースで仕事ができるようになった27歳の時、ようやく念願のゴスペルクワイアに入った。
 その後は数年にわたって思い切り歌い踊ることになる――と同時に「もっと歌いたい」スイッチが入り、正統派の合唱もまたやりたくてアマチュア合唱団にも入った。生きてて辛いことも多々あるけれど、好きなことがある、その場があることの喜びをかみしめた数年間だった。

 ちなみに、ゴスペル仲間に聞いたらやっぱり当時の大半のメンバーが「あの映画で興味を持った!」と言っていて、影響力に驚いたし、何度でもその話題で盛り上がることができて、話は尽きなかった。映画はいいねぇ。

 20代後半から30代にかけて、歌を通して出会った人間関係が、今の自分の生き方にも大きな影響を与えている。『天使にラブ・ソングを・・・』を観てよかった、というより観てなかったら今頃どんな人生だったのだろう・・・という気持ちのほうが大きい。

 
 ――と、ここまでなら私の体験だけで終わりだ。

 けれどこの話には、ちょっと続きがある。亡くなった姉と、最初で最後のゴスペルの話だ。

ラストの大聖堂のコンサート素敵ですよね。個人的にはマギー・スミス演じる修道院長の笑顔が感動的でした(写真はイメージ)


■姉の人生最初で最後のゴスペル


 ーーここからは、興味のある方のみ読んでいただけたら嬉しいです。

 私には、数年前に40代で亡くなった姉がいる。固定記事にもなっている「余命ゼロの姉、スローな調停で子に会えず、無念死」に出てくる、その姉だ。(もしご興味があれば、ご一読願います↓↓ 後編もあります)

 姉は、命が尽きる1年くらい前にゴスペルのステージに立った。最初で最後の、それは見事なステージだった。

 当時既に病気が進行し、日常生活はなんとか送れていたものの、一人娘との面会交流もままならず、調停も遅々として進まず、通院しながら不穏な日々を過ごしていた姉は、突然私に聞いてきたのだった。

 ――ねえ、私もあなたみたいに歌ってみたい。ちょっとだけ練習に参加してステージに立てるような、そんな楽しい企画か何か・・・ないかなぁ?

 姉の闘病や調停を支えながら自分の家事育児もして、疲れ切っていた私は「お姉ちゃんが言うようなそんな都合のいい話、ないよ」と即答しようと思ったが、いやちょっと待て・・・と、とどまった。あるじゃないか。

 ゴスペルのワークショップだ。

 私がかつて所属していたゴスペルクワイアの指導者・ケイコ先生が主催するワークショップが2カ月後にせまっており、「よかったら参加しない?」と声をかけられていたのだ。私は無理だけど、これは姉にぴったりなのでは? と、あまりのタイミングの良さに、ちょっと笑った。

 ――あるよ。

 参加料を払い、比較的難易度の低い(場合によるけど)ゴスペルの曲を何曲か、数回の練習で覚えてコンサートに立つ。ゴスペルにはこうした企画がけっこう多い。姉も子どもの頃に少し合唱経験があるけれど、ゴスペルは初心者。それでもウェルカムなのがワークショップというものだった。

 そもそも音楽的な技術や経験より、やってみたい、楽しみたい、そういう人が正統派の合唱よりも気軽に参加できるコーラス――それがゴスペルだ。キリスト教信者が決して多いとは言えない日本でもこれほど浸透したのは、音楽表現としての大らかさやダイナミックな魅力が、歌い手の間口を広げたからだと思う。

 それでも、自分に経験がなければ人には紹介しづらい。ゴスペルやっててよかった! と一層思った瞬間だった。

 姉の抱える事情をケイコ先生に伝え、参加申し込みをすると、すぐに返事がかえってきた。

 「特別扱いはしないけど、体調面での配慮はさせていただきます。必ずお姉さんをステージに立たせます。任せて!」

 ケイコ先生はこういう人だった。私はちょっと泣きそうになりながら、メールを受信したスマホに何度も頭を下げた。

■渾身の3曲…そして奇跡のソロ(ソリ)歌唱

 
 かくして2カ月後、姉はステージに立った。
 本番まで5回ほどあった練習を、姉は発熱で1回だけ休んで、あとは頑張って通い、録音や歌詞カードを活用して家で自主練もしたらしい。最後まで「働きたい」と少し仕事もしていたから、働きながら、闘病しながら、娘との面会交流の調停も頑張りながら。寂しさと不安を抱えながら。

 「なんとか頑張ってここまで来ました。明日聴きに来てね」と言われ、果たしてあの痩せた体で歌えるものかと心配しながら、まだ小さかった娘2人を連れてホールに出向き、私はステージを見守った。

 それにしても、少しくらい間違ったっていいのに、練習、頑張り過ぎだよ・・・と思っていた。でも、どうせ何を言っても聞かない。

 コンサートでは姉のほかに、ワークショップ参加者の約20人と、ケイコ先生が指導するほかのゴスペルクワイアも合同で歌っていて、姉はその数十人の最前列で、病気とは思えないほど立派に歌っていた。
 全部英語の歌を、振りまでつけて、笑顔で。私の隣では何も知らない娘2人が、「おばちゃんカッコイイね!」とノリノリで手拍子。彼女たちの手前、私は絶対に泣かないと決めていた。

 私もあなたみたいにステージで歌ってみたい・・・と姉は言った。人生最後に・・・とは言わなかったけれど、そのつもりだったはずだ。

 そして予定の3曲が終了後、ちょっと驚くようなことが起こった。ケイコ先生がマイクを持って満員の会場へ向かって言ったのだ。

「は~い皆さんありがとうございます! アンコールの曲では、ワークショップメンバーが2人ずつワンフレーズを歌いますので、みなさん聴いてくださいね!」
 
 耳を疑う。ワークショップメンバーがコンサートでソロを歌うなんて、私の知る限りめったにないことだ(この場合2人ずつだから〝ソリ〟だけど)。大抵は、ふだん歌っているクワイアの誰か・・・上手な人が担当する。

 大丈夫⁉ と思っているうちに曲が始まり、姉はなんとトップバッターで、ケイコ先生から渡されたマイクを持ち、ほんのワンフレーズを歌った。
 ソリの相棒は、重低音が素晴らしい大柄の男性参加者だ。姉のか細い声はその低音にカバーされ、途中、消えかかりながらもなんとか歌い切ることができた(文字通りベースがあるから歌いやすかっただろう)。

 そして奇跡と言うべきか、姉とその男性はあまりに声質が違うため、かえって姉の細い声も目立つことになり、かき消されることなく、ちゃんと客席まで届いたのだった。

どんな景色が見えたのかな…(写真はイメージ)


■「ありがとう!ゴスペル最高だった」


 「わ~、おばちゃんの歌じょうずだったね」と、特に姉に懐いていた長女が嬉しそうに言った。この子ももうすぐ、悲しい別れを体験することになる。
 そして確信した。これはケイコ先生のサプライズだ・・・。
 「姉のために企画してくれたんですか」と聞いてもイエスとは言わないだろう。だから今に至るまで聞いたことはないけれど、そういう人だから、私にはわかる。
 
 だってゴスペルや合唱の指導者ときたら、歌い手1人ひとりから「ヤル気と自信と可能性」を引き出すのが上手な人ばかりだから。ホスピタリティも並大抵じゃつとまらない。そして、すんごい励ます。

 演奏終了後、ロビーで待っていたら姉が興奮気味に出てきて「ありがとう、ゴスペル最高だった! これはクセになるね~。やってる人の気持ちがわかったよ」と顔を紅潮させて言った。姉のそんな笑顔を見るのは本当に久しぶりだった。

 「私も歌いたい」と言われた時には驚いたけど、闘病中に私が姉にしてあげられたことのなかで、このワークショップの紹介は我ながら一番のグッジョブだったと思う。
 ゴスペルやってて良かったなぁと思うと同時に、悔しくもあった。だってお姉ちゃん、そんなに楽しいなら、前から歌いたいと思っていたなら、いつからだって始められたのにね。だってゴスペルって誰でも、いつからでも歌えるものなんだから。

 姉はこのコンサートが終わった2カ月後に「長くて3カ月」という余命宣告を受け、その8カ月後に亡くなった。結局、最愛の娘とも会えなくて、姉の闘病と調停のさなかでの良い思い出と言ったら、ほとんど唯一このゴスペルだけだった。それが、思い返しても悔しくて寂しくて、涙が出るけれど、それでも素晴らしい1日だったと温かくもなるのだった。

■今も歌っていますか?


 コンサートの映像は後日、DVDとなって私の手元にやってきた(本当はセル商品なのを、ケイコ先生がナイショでプレゼントしてくれた)。

 泣かずに観る自信がなくて、現在に至るまでまだ一度も再生していないけど、目を閉じると思い出す。

 あの日の姉はシスター・メアリー・ロバ―トのようだった。もちろんあんなに上手じゃないけど、「私でもやればできる」という喜びが、細い体から溢れて出ていた。パワフルに指揮していたケイコ先生も、まるでデロリスみたいに格好良かった。

 そして最後に、コンサートでは印象的な出来事がもうひとつあったことを書いておきたい。

 ワークショップ参加者の何人かが「私とゴスペル」という短いスピーチをしたなかで、60歳の元看護士という女性が、こう話したのだ。

 「仕事ばかりの人生だったけど、何かしてみたいと今回初めてゴスペルに挑戦した。この年齢でも、私でもできるんだって思えて、今とても嬉しい。これからもずっと続けたいと思います」

 ――あの女性どうしているかな、と今でもたまに思い出す。あれから何度もステージに立って、ゴスペルを楽しんでいたらいいなぁと、名前も知らない人だけど、祈っている。


 映画『天使にラブ・ソングを・・・』に感謝を込めて。

クリスマスシーズンが近づくと、ゴスペルを聴く機会も増えますね


映画について何本か書いています。よろしければどうぞ↓↓↓



ちなみに、姉がなぜ最後まで子どもと会えなかったのかを詳細に書いた後編はこちらから↓↓↓


自己紹介です↓↓↓


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