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all i have to do is 私が私をドライブする。死生観をみつめて

『夜明けのはざま』(町田そのこ)の読書感想文です。ひとりごとみたいな感じだけど、新鮮なうちに文字として固体化しておきたい。

どんなストーリーか?
こちら👇の特設ページでとてもわかりやすく高い熱量で紹介されているのでご参照ください。

全5篇、家族葬専門の葬儀屋を舞台に描かれる人間模様。

どの物語の主人公とも私との共通項は全然ないのに「名状しがたいその心の動きを私も知っている」と思わされた。

昨日の敵は今日の友。そんな格言に鼻白んでしまうくらい、どうしたって分かり合えない人は、確かにいる。


愛してくれているなら〜してくれるはず、というmy理論でがんじがらめになったり。


他者に自分独自のラベルを貼ったり、貼られたり。サイズの合わない服を着せたり、着せられたり。耐えられないほどじゃないから胸の奥に押し込めている居心地の悪さって、ある。


因果応報なんて嘘だ。理不尽と不公平がまかり通る世界で、何でこんなことになってんだっけ?の連続なのかもしれない。
でもそんな人生も、確実に終わる時が来る。見送る立場に置かれたら、そのことをどう受け止めればいいのか。


終着点が必ず存在する旅に何か意味があるのだろうか、そもそも意味なんてものを求める類のものではないのか。 意味なんて問われても、私の脳内からは陳腐な言葉しか出てこないし、考えるのを放棄したくなる。

でも少なくとも、私が私をドライブしないと、命の原動力が萎んでしまう気がする。萎んでしまうのは生命体として授けられたその本質に反していびつな気がする。自分としてもきっとそれは不本意なことだ。

常日頃から「終わり」を意識に留めておくのは、私には難しい。でもたまに、そのときが確実にやってくるということを思い出してみるか。私の「本質」なるものがあるなら、それを最大限に拡張させていってみたい、と思った。

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