駅の長い階段で生まれるシンパシー
なぜあなたはエレベーターやエスカレーターを使わず、この階段をのぼっているんですか?
いつも尋ねたくなる。駅の長い階段をのぼっているとき、前の人のふくらはぎを見ながら、後ろから私を追い抜いていく人の靴音に注意を払いながら。周りのその人たちに、不思議な共感、連帯感を抱いてしまう。
こちらが思わず体を縮ませてしまうぐらいの勢いで風を切るように駆け上がっていく人は、よほど急いでいるんだろうなと思うけれど。
長いそれを、マイペースにタン、タン、タン、と一歩一歩踏み上がっていく人の動機が知りたい。
健康意識からなのか、並ぶのが嫌なのか、足を止めるのが性に合わないのか。私が思いつきもしないような理由が何かあるのか。
同じとき同じ階段を共有している人みんなにアンケートを取りたくなる。その階段を自分ものぼるたびに、毎回その欲求がわいてくる。
ミドサーの見ず知らずの私にそんなこと尋ねられたら、例外なく訝しがられるだろう。不審者認定されてしまう。win-winの180度向こう側、lose-lose。
息子が小学生になったら、夏休みの自由研究と称して息子を誘って(そそのかして)みようかしら。
「エレベーターとか乗らんとあそこの階段のぼってる人らに聞き込み調査しようや!」
母が宿題に介入したら怒られるかしら。介入というより私物化か。うーむ。
なんにせよ気が早い。6年も7年も先になるだろう。
妄想は私を浮き足立たせる。
暑いのは、寒いのより消耗する気がする。夏から逃げたい。
だからこそいくつになっても、夏を楽しむ方法を探し続けている。
今だって楽しい。けれど妄想は、夏を好きになれそうなポイントをキュレーションしてきてくれるから。
何年か先の夏の思い出を先取りしてみる。