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【取材旅行】葛城一言主神社
高鴨神社から5キロほど北に建つ神社です。
間に天孫降臨伝説のある「高天」があり、高天原神社もあります。
その辺りはすかっと空が抜けていて広々とした高台で、神様が降りられてもおかしくないと思わせる風情があります。
その高天のそばの葛城山に降りたったのが、一言主大神です。
古事記には、雄略天皇が葛城山に百官を引連れ狩りをした際に天皇と同じ姿で顕現されたと伝わります。
畏れた雄略天皇は御刀・弓矢・百官の衣装を一言主大神に献じたそうです。
その降臨の地がこの神社の建つ地です。
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二の鳥居のそばに参拝者駐車場があります。
その鳥居のすぐ足元に気になるものが…。
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蜘蛛塚です。
朝廷に反した者・土蜘蛛も討伐した話は九州・関東にも伝わりますが、こちらは神武天皇が討伐したと伝わる土蜘蛛を三か所に分けて埋葬(封印?)した塚のひとつだそうです。
神武天皇即位以前の己未年、大和国では波哆丘岬の新城戸畔(にいきとべ)、和珥坂下の居勢祝(こせはふり)、臍見長柄丘岬の猪祝(いはふり)という三箇所の土蜘蛛をそれぞれ討ち取らせた話が日本書紀にあります。
また、高尾張邑にいた土蜘蛛を葛を編んだ網で打ち討り、それに因んで地名を葛城と改めた…という地名発祥譚があります。
一言主神社HPにもその話が蜘蛛塚の説明として載っています。
高尾張邑にいた土蜘蛛は「体が侏儒のように小さく手足は長かった」とされています。
私は渡来人を彷彿とさせられるのですが…。ほら、韓国の方って日本人より手足が長いですよね?
(若かりし頃、韓国旅行で洋服を買う際に困ったことがあります。当時はやっていた裾に刺繍のあるパンツが欲しかったのですが…丈が…(後はもう語るまい。笑))
神武天皇その人こそ渡来人という説もありますし、虫の蜘蛛に因んだ表現かもしれませんが…。
土蜘蛛についてはまた改めて考察したいと思います。
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歩みを進めると、本殿へは石段を上るスタイルです。
その手前に水が流れ境界を表し、小さな橋を渡ります。
(この先は犬は入れません)
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階段を上がり切った境内は明るく広々としています。
本殿は唐破風造りで華やかな雰囲気です。
後日気付いたのですが、前日が秋の例祭だったようです。
そのせいか清々しくさっぱりとした様子に感じられました。
御祭神は「一言のお願いを叶えてくれる」という一言主大神と、上記の逸話の雄略天皇こと幼武尊です。
一言主神は古事記において「悪事も一言、善事も一言、言離の神、葛城一言主の大神」と自己紹介しているように元々は「凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神」であったそうです。
その名から事代主と同一神であるとも言われています。
事代主は父・大国主の代わりに国譲りを表明する神ですね。
そして、神武天皇の皇后・ヒメタタライスズヒメの父でもあります。
また一説には、高鴨神社の御祭神・アジシキオオヒコネと同一ともされるようです。
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境内は明るい雰囲気で、稲荷社など7つの境内社や、雄略天皇像、長寿祈願の像など見所が詰まっています。
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石段の下には「亀石」があります。
こちらの亀石は「災いをもたらす黒蛇を役行者が調伏し、その上に亀の形をした石を置いた」そうです。(公式HPより)
役行者は一言主の神を使役し、金剛山と葛城山に橋をかけささえたという話が『日本霊異記』や『今昔物語集』に伝わります。
特に『日本霊異記』ではその際に一言主が役行者を讒言し、伊豆に配流されるきっかけを作っています。
役行者は葛城の流れを組む賀茂氏の出自で、舒明天皇の頃に生まれ、金剛山や葛城山でも修業をしたと伝わります。
賀茂氏の縁者がその祖・アジシキオオヒコネと同一神ともされる一言主神を使役したものの失敗…という風に考えますと、『霊異記』の編纂された平安時代の歴史観を垣間見ることが出来そうですね。
(本筋からずれますので、今回はここでやめておきます)
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神社は氏族の歴史を伝える…と私は常々思っておりますが、こちらの一言主神社や高鴨神社など葛城氏系の神社は、もっと巡って葛城氏の本質に迫りたくなりました。
(近くの葛城水分神社も前回の考察を深めるためにも参拝していところです)