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【取材旅行】高鴨神社

2日目のはじまりです。
今回は犬連れなことと、日没ギリギリまであちこちを巡りたく、車中泊の旅としました。
(車中泊を想定した車選びをした甲斐が!)
実は去年も同じ時期に車中泊を含む旅をしたのですが…今年の方が暑くて寝苦しかったです…。

若干寝不足ながらもまず訪れたのが、高鴨神社。
山の麓に凛とした空気を湛えた境内に目が覚めました。

それもそのはず(!?)
こちらの御祭神は「死した神をも甦えらせることができる、御神力の強き神様であられます。それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深く、また人の歩む道を目覚めさせて下さる神様」なのです。
(ん?目覚め違い?笑)


狛犬さんが愛嬌系でかわいい入口の鳥居


高鴨神社は賀茂氏の本拠と伝わる場所に建っております。
古代史好き、神社好きの皆様には言うまでもありませんが、古代大王とも婚姻関係にある豪族で、京都の上加茂神社・下賀茂神社で有名な氏族ですよね。
その賀茂氏は今は京都(山城国)のイメージが強いですが、元々はこの辺りを統治していたのですね。

ご由緒書き

ご由緒にはアジシキオオヒコネの神こと「加茂の大御神」をアマテラス大御神とイザナギ大御神と並ぶ神であると書かれています。

出雲系のイザナギ、倭国系のアマテラス、大和系のカモというイメージでしょうか?

私は時々考えることがあるのですが、日の神・月の神・星の神という話が新潟の弥彦神社の社伝等に出て来るのですが、それぞれが誰を指すのだろう?と。
また、アマテラス・スサノオ・ツクヨミと三貴神のうちツクヨミの曖昧さもずっと気になっています。
もしかするとカモ大御神こそが月の神・ツキヨミなのでしょうか?
(スサノオとイザナギを重ね、夜(星)の神と考えた場合です。星は航海の目印で海の神とも考えられますよね。また伊勢の外宮には北斗七星と結びつく点が多々見られます)

少なくとも賀茂氏は日本が統一国家になる前には大王家の一つだったと私は思っています(妄想含む)。
賀茂氏は古代神道を統べる豪族の一つだったからです。
(物部氏もそうですね。)

そして賀茂氏の「かも」は「かも」は「かみ」に通ずるとも言われています。
古代、神とは現人神=大王だったと思うのです。
もっと古くは、賀茂氏の統べる金剛山や葛城山をご神体として祀っていたのだと思います。(社伝にもありますね)

古代には賀茂氏や物部氏も大王家として、それぞれの神山を祀り、それぞれの領地を統治していたのだと思います。

巻向に沢山の地方からの移民があったことは出土する土器からも明白ですので、もっと西や東から移ってきて、それぞれの居住地区を定めたのかもしれません。
(中臣氏は鹿島神宮辺りから巻向入りした氏族だと私は思っています)

京都の賀茂神社に斎院がいたことも伊勢の斎宮にも通じ、その権威の高さを物語っていますよね。
物部氏も崇峻天皇の頃には斎宮のような巫女姫がいたことも伝わっておりますし…。

私が「実は賀茂氏って古代ものすごい権力を持っていたのでは?」と思うきっかけとなったのが、この社伝にも登場する伊勢の神宮摂末社の「かも神社」です。
神宮の摂末社の中でも珍しく「かも神社」は「鴨下神社」と「鴨神社」に分かれて2つあります。
鴨神社は山の中腹にあり、参拝しにくいため遥拝所のように麓に下社が置かれたのかもしれませんが、少し離れているのが気になります。
そう、まるで内宮と外宮のように(そこまで離れていませんが)。

伊勢に住んでいた頃、伊勢贔屓の私見がこちらです。

今は少し考えを改め、賀茂氏が平安遷都と共に祭祀利権を我が物にしたのではなく、天武天皇の神宮整備に伴って、山城国に追いやられたのでは?とも思えてきています。
(…賀茂氏が時勢に敏くて自ら山城に…ということもなきにしも?ですが)

考察が長くなってしまいました。
境内を見て行きましょう。

境内案内図

さすがは京都を含む全国の賀茂社の総本宮…!
境内は広く、摂末社も多いですね。

入ってすぐに能舞台(勾玉池のよう)

伊勢では鴨神社の神は水を司るとされておりますが、池も広く…伊勢外宮の勾玉池や正殿前の沢地となぜか趣が似て感じられました。

伊勢外宮の亀石の辺りと緑の感じが似てるような…そんな気分に

そして高鴨神社正殿(石段から上)は撮影不可です。
これも伊勢の神宮と同じですね。
(神宮は石段の下からならOKという緩さもあるのですが(安倍首相やオバマさんもそうやって集合写真を撮ってましたね)、こちらはどうなのでしょう。
遠景だけ失礼しました。

この先撮影不可とのこと

正殿は朱塗りが映えて壮麗で、失礼ながらも驚くほどです。
さすがは賀茂社の総社(大事なので二回目)。

池のほとり

正殿を参拝し、池のまわりをめぐると摂社末社が並び、途中には鳥居の並ぶ稲荷社が、最奥には西神社が坐します。
西神社(西宮)には、タギリヒメ命など水に縁の神様が祀られています。
池のそばにぴったりですね。

さて、こちらの高鴨神社は弥生時代から続く最古の神社の一つだと伝わります。
「弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶように なりましたが、ともに鴨一族の神社であります。」
(高鴨神社公式HPより)

この記載からやはり稲作に伴う水分が連想されます。
昨日の最後に訪れた石神遺跡同様に…。

宮司さんはアマノコヤネ命を先祖とし、天智天皇側近の中臣連金とも血縁だそうです。
天智天皇の名「葛城皇子」と賀茂氏の地「葛城」、そしてどちらも現在の京都方面への出向…やはり気になりますね。

話は変わりますが、こちらのすぐそばに「かもきみの湯」というゆかしい名前の日帰り湯がありました。
名前の由来はもちろん賀茂氏です。
いいお湯でしたので、皆様もよろしければ…。

お湯につかり、古代の賀茂氏に思いを馳せるのもまた一興。

そうだ。忘れるところでした!
賀茂神社といえば、八咫烏。
賀茂氏は八咫烏の化身とも言われていますよね。
最近陰謀老界隈で「影の天皇」だとか「天皇家を支える集団」だとかを「ヤタガラス」と呼んでいるのを見かけます。
もしかすると戯言ではない可能性もあったり…なかったり…?

(カモ氏は鴨氏加毛氏など色々な表記がありますが、この記事では「賀茂氏」とさせていただきました)

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