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【取材旅行】吉野歴史資料館

今回の旅でどうしても行きたかった場所の一つが…吉野。
吉野の山は訪れたことがあったのですが、川の方、宮滝にはまだ辿り着くことが出来ずにいました。
どうしても今回は宮滝をちゃんと自分の目で見たかったのです。
なぜなら今執筆(というか推敲段階)の小説に登場するからです。
イメージはあるけれど、ちゃんと描きたくて…(変なところで学者気質?学者の友人知人の影響大です)。

吉野の宮の復元模型(ジオラマ)もどうしても見たくて、閉館ぎりぎりでこちらの資料館に駆け込みました。

吉野宮滝模型(一部ですが)

あああ、良かった!
イメージしてきたものとほぼ一致しています!
調べたり、飛鳥時代を舞台の書籍や漫画で培ってきたものが間違いではなくて、ほっとしました。

展示物たち

「吉野」というと古代オタクの私は、壬申の乱を思い浮かべますが、そのはるか以前の縄文時代からこの地には住む人があったことが出土品からわかります。

勿論その後も、吉野山では源義経と静御前の別れの地になったり、南北朝時代には南朝が置かれたりと歴史の中に度々登場しますね。

平安時代には「吉野桜」のお花見や吉野への寺社参拝は貴族の娯楽のひとつでしたし。

…なぜ吉野なのだろう?と以前から謎に思う場所でもあります。

歴史年表

こちらの資料館では、古代から近現代までの吉野の歴史が網羅されています。
展示物に対しての説明がとても丁寧なので、それぞれの時代の吉野について知ることが出来ます。
広さはさほどではありませんが、歴史好きには見応えたっぷり。
そしてこの年表、吉野川の流れになってる!なんてオシャレな・・・!

近世の展示

今でも吉野は「行ってみたい」と思わせる魅力がありますよね。
私は「どうしても吉野桜を見たい!」と思って、奈良出張中に強行陣で山へ向かったことがあります。
濃淡のピンクに染まった山は美しく、平安貴族の気分を味わえました。

吉野の山には古代から自然信仰があり、そこで宮(離宮)も建てられたのだと考えられています。
確かに吉野には独特の雰囲気があります。
ですが、奈良の中でもなぜ吉野だったのか?
大海人皇子や義経、後醍醐天皇は吉野に隠れたのか?
…学生時代から謎に思っていることです。
その糸口を今執筆中の小説で書こうとしているところなのです。

ウグイの模型(非常に印象的!)

吉野がその後、天皇や貴族に好まれたのは飛鳥時代の大海皇子(天武天皇)や持統天皇の影響が大きいと思います。

川でとれるウグイも神饌とされたそうで、大海人皇子の前でウグイを詠った国栖奏が舞われたという伝承が説明されていました。
国栖人は大海人を歓迎したそうです。

4世紀には、国栖人が応神天皇に酒を献じて歌を歌ったと古事記にあり、大海人と同様に歓待されたようです。

吉野を宮とした最初の天皇は雄略天皇でしょうか。狩りを行った話が記紀に見られます。

閉館間近に駆け込みでしたが、資料室の方がとても親切にしてくださって、資料用に封筒までくださって・・・本当にありがとうございました。



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